第6話 路地裏ショッピング
店を離れ、人通りのまばらな道を歩いていくが、到着時に見た旅人や御者の姿はもはや無い。恐らく日が暮れる前に別の町を目指したのだろう。
一方で衛兵の数は増え、すれ違っても特に注意を引く事はなかった。
フードを目深く被り、俯いても怪しまれる様子は皆無。手配書が町まで回っていないのか。
はたまた無能なだけなのか。
いずれにしても堂々と往来を歩ける状況に、多少の安堵を覚えた。
およその行き先も検討がついた余韻が手伝い、のんびり町並みを見学していたものの、防具屋を通りかかった所でピタリと足を止める。
最初はショーウィンドウ越しに眺めるだけだったが、気付けばガラスに張り付き、傍から見れば物乞いだと思われたかもしれない。
【どうした】
しかし突然話しかけられた声に鼓動が跳び起き、慌てて顔を離せば周囲を見回した。店員に対応しようと周囲を見回すが、誰もいない挙句に憶えのある声が耳に残る。
バツが悪そうにフードを引っ張り降ろしたものの、隠れた瞳は未練がましく店を覗いていた。
「…さっき食事したところの店員が、山賊うんぬんって言ってたろ?装備は整えた方がいいと思ってな」
【金は貴様が使い果たしたはずだが】
「まぁ、そうなんだけどさ…」
わざわざ指摘されずとも、十分理解している。小さな溜息を吐き、りんご数個で底を尽く懐事情に肩を深く落とした。
再び品を眺めるが、零しかけた2つ目の溜息は強引に喉の奥へ押し込む。
所詮は身から出た錆。そう自分に言い聞かせるが、意識は店に執着して離れるつもりがないらしい。
店内には簡素な造りの甲冑や、マネキンの鏡像が着込む鉄製の胸当て。そして等間隔に足甲と手甲が並んでいたが、質も見栄えも良いとは言えない。
小さな町だからと考えれば、それも仕方のない事なのだろう。
だがその割に値段が高い。住人が買うようには見えず、必要に迫られた旅人の足元を見た商売に思える。
かと言って安く売られては質に疑問を覚え、どの道手が届く金額でも無い。踵を返せば博打で負けたように再び道沿いを歩いていく。
【あの道具がいるのか】
「…アレが欲しいってわけじゃないけど、他の店も似たような物だろうしな。口に出したところで何も買えない事に変わりはないさ」
【食に全財産をつぎ込んだ後に吐くセリフではない】
「山賊のことは食べたあとで聞いたんだからノーカンだ」
言い争いに発展する事もなく、鈍い陽射しを浴びながら互いに淡々と語り合う。
仮に大声を出した所で、失った路銀が戻ってくるわけでもない。むしろ周りの注意を不用意に引き、正気を疑われるだけだろう。
だが身を守る装備を何1つ持ち合わせないのは流石に心許ない。いままで整備され、かつ衛兵が巡回する街道と違い、次の旅路は危険そのもの。
いっそ衛兵の身ぐるみでも剥ぐか考えたが、サイズが合わなければ、襲うだけ時間の無駄だろう。
ありのままの姿で挑戦するか。
そうでなければ犯罪に走るか。
地道な資金稼ぎが求められる状況に、ウンウン悩みながら歩く最中。
【――右斜め前方の路地へ入れ】
警戒を露にした一言に、過剰な反応を示す真似はしない。努めて平静を装い、変わらない歩調で建物の間に滑り込んだ。
途端に素早い身のこなしで走りだせば、積まれたゴミの山へ回り込む。拾った鉄棒を握りしめ、影から表通りをソッと監視した。
「…誰かに尾行されてたか?そんな気配はなかったはずだぞ」
【そこを動くな】
やはり誰か来ているのかと。気配も辿れない相手に、武器を握る手が一層固く締められる。
しかし全身に鳥肌が立つや、鉄棒はあっさり手放されてしまう。まるで身体の表面を一斉に撫でられたようで、零した嬌声を強引に押さえ込んだ。
身をよじっても熱は引かず、悪化する劣情に塞いだ指の隙間から嗚咽が漏れると、内側から何かが這い出ようとする感触が延々続く。
意を決して身体を見下ろせば、服の下がモゴモゴと独りでに動いていた。
「おまっ、ウーフニッッ…ィル!何し、あんッ…ンンぐぅ!」
肉体が波打つ度に言葉は揉み消され、甘い衝動が胸の奥を締め付ける。
だが如何に蹂躙されても、声だけは出すまいと。それだけの想いで歯を食い縛るが、頑なになるほど情欲が纏わりつく。
頬は紅潮し、瞳に溜まった一筋の涙が顎を伝っても、地面に滴る事はない。首へ流れる前に吸収され、何事もなかったように全てが繰り返される。
腹の底が沸騰する最中、体内を貪られる感情が何なのか理解は及ばない。しかし抑えていた声も限界に達し、芯に巣食う劣情を吐き出そうとした刹那。
【――終わった】
氷の如く放たれた言葉にハッと我に返り、押し寄せた熱い波が遠ざかっていく。路地を吹き抜ける風が心地良く感じられたが、起き上がろうにも力が入らない。
無理やり立とうとすれば膝から崩れ落ち、ゴミの山に頭から飛び込んでしまう。
ようやく気怠そうに顔を上げるが、表通りから醜態を覗く通行人がいない事にひとまずホッとする。
「……さっきの…んッッ、なん、なんだよ…」
【脱げば分かる】
満身創痍のアデランテに対し、冷徹なウーフニールに反論する気力も沸かない。いまだ頬に籠もった火照りを感じつつ、それでも言われた通りに服をたくし上げた。
全裸にしてどうするつもりか問いたいが、身体の火照りを逃がすにも丁度良い。
しかしふとした違和感がアデランテの手を止めた。服の上から伝わるゴワゴワした感触に、怪訝な面持ちで身体を見下ろす。
それから急いで脱げば、現れたのはあられもない姿ではない。見慣れない装備が上半身を覆い、ズボンも勢いのままに降ろした。
やはり馴染みの無い着衣が足を包み、思わず目を輝かせる。
「…なんだ、コレは」
ようやく捻り出せた感想も程ほどに、着ていた服をゴミの山へ放棄。その場でクルっと回り、子供の如くはしゃぎながら両手でペタペタ触っていく。
感触からして鎖帷子か。その上に黄土色の縦線が入った青いサーコートを羽織り、両肩から指先までを手甲が。
膝から下は足甲が覆っている。
まるで物語の姫が魔法でドレスを仕立てた心持ちにさせられるも、突如動きを止めると顔を強張らせた。
姫、などと浮かれる歳でもなければ、武装した乙女の物語など聞いた事がない。王子を手に入れるべく、戦争でも始めるつもりなのだろうか。
再びゴミの山から狭い路地を覗くが、以前通行人の注意が集まる事はない。胸を撫で下ろし、顔を引っ込めると改めて装備を見直した。
覚えがないと思っていたが、よくよく考えれば何処かで見た憶えがある。かつての合戦場ではなく、もっと最近の。
ついこの間と言っても過言ではない記憶の糸を辿っていく。
そしてカチリと、頭の中で歯車がハマった音がした。
「こいつは…さっきの防具屋で見た装備じゃないのか?」
腕を回し、足を上げ。装備を忙しなく観察する。
ショーケースで見た値段と釣り合わない商品の数々が、今や自身の身体に装着されていた。
「もしかして衣服も変幻自在なのか!?」
【貴様の要求に応えたまでだ】
「あの防具が欲しかったってわけじゃないけど…それにしても身体だけじゃなくて、物にも変身できるんだな…正直驚いた」
【指令達成に支障があっては困る。問題があれば言え】
「…随分熱心なんだな。カミサマのことは嫌いだとか言ってなかったか?」
【オーベロンの指令。その次は貴様の使命。身体を取り戻すための労力は惜しまん】
「――……プッ」
ぶっきらぼうに語られる動機に、思わず吹き出してしまう。それに機嫌を損ねたのか、キュッと締まった首をタップすれば直後に解放される。
戯れの領域にすら思える触れ合いに微笑み、“新調”した装備に浮かれた刹那。右腕の手甲を一瞥するや、ふと目つきが険しくなった。
「……少しいいか?」
【どうした】
「右腕の籠手だけ外すことは出来ないか?剣を振る時に邪魔というか、前に着てた甲冑も右だけ私が勝手に外してたッふぅわわわわッッ?!」
言い終える間もなく右腕が波打ち、咄嗟に左手で押さえつける。
全身で体感した衝動が右肩から先にだけ集中し、倒れないよう壁にもたれ掛かれば、熱い吐息が絶え間なく洩れ出した。
しかし疼きも程なく鎮まり、余韻で震える指先を高らかに掲げれば、相変わらず腕は意のままに動く。
「み、右手が暴走するかと思った…」
【右腕の装備を要求通り解除した。それで問題はないか】
「……あぁ、いい感じだ」
安物と侮っていた装備でも、いままで着たどの防具よりも身体に馴染む。
右腕をぐるぐる回し、興奮も覚めぬまま腰に手を伸ばすが、勢いよく空ぶった手は虚しく開閉され、ようやく武器の存在が思い出された。
「…そういえば武器も持ってなかったんだよな……ウーフニール。武器を生やす事って出来ないか?」
【どんなものだ】
「どうって、そうだな……う~ん、こんな事が出来るって分かると、今から武器屋へ行っても目移りしそうだしな…途中ですれ違った衛兵が腰に下げてた物と同じでいい。ゴザの町で宿の店主に変身してる時にも見たろ?あんな感じでッアッッふあ!?」
今度は左腰を右手で押さえつけ、左手で口を塞ぐ。右腕の変化に比べれば疼きは穏やかだが、どの道我慢は強いられる。
それも【終わった】との呟きでパッと消え、一息吐いてから見下ろせば、腰には確かに鞘が差されていた。
「お…おぉー…ッ!」
柄をしっかり握り、質感を確かめると勢いよく剣を抜く。上空から差し込む光に刃先を反射させ、新品に見える様相に感動すら覚えた。
そのまま刃を指の腹で弾き、ペットを撫でるように優しく。先端から鞘付近まで下ろしていけば、最後に指を刃にグッと押し当てた。
剣が震える程の圧にも関わらず、親指には切り傷が全く付いていない。
やがて手を放したアデランテの顔色は先程とは一変。雨雲が如く表情を曇らせ、剣を弾く度にしかめた眉は雷さえ落ちそうだった。
「…おい、全然切れ味がないぞ。こいつはナマクラじゃないか!」
【切れ味など知らん】
「知らん、ってそれじゃ剣にならないだろ!見てみろ、ゴミ袋さえ切れないんだぞ?」
【目測の情報で切れ味を再現できるはずがない】
「そんなの妄想でカバーしてくれよ!」
【声を抑えろ】
模造刀同然の武器でゴミの山をぼふぼふ叩くや、前触れもなく首筋が逆立つ。咄嗟に手で押さえ、短い疼きを必死に耐え凌いだ。
「…ぁくッ……またコレか」
直後に掌をフサフサとした感触が押し返す。掴める程の質量に深い溜息を吐き、渋々引き上げると豪快にフードを被った。
装備は新調されても、顔は継続して隠さなければならないらしい。
不満はいくらでもあったが、無計画に金を使い果たした手前強くも言えず、溜息に合わせて
もう1度身体を見下ろせば左手をギュッと握り、足を景気よく踏み鳴らす。
「…よし。じゃあ南東目指して出発するか!」
気持ちはリセットされ、再び表通りへ戻った。まずは町を出るべく意気揚々と歩くが、度々ウーフニールに方角を修正される。
地元民の如き案内に来た事があるのか問いたくなるも、彼の正しさを証明するように建物は減っていく。
やがて町の境界を隔てる柵を乗り越え、背の高い草むらをかき分ければ、あっという間に深い木立ちへ到達。新装備も相まって少しばかり浮足立つが、アデランテの歩みは森の手前で止まる。
「…ウーフニール」
【どうした。まだ何かあるのか】
唐突な問いに対し、不機嫌そうなモヤが頭の中でざわつく。早く行けと言わんばかりの声音に、されど口を開こうにも言葉が出ない。
どう切り出すべきか迷い、焦点の合わない瞳がしばし周囲を泳ぐ。しかし埒が明かない状況に一息吐けば、フードの端を目一杯顔の前に下ろした。
「あ…あのさ……その、“あの感覚”は何とかならないのか?」
【あの感覚とは】
「そりゃあ…あ~もぅ、あの感覚だよ!変身する時に身体がぞわぞわぁ~!って来て、内側が熱くなって…身体がすくむというか、身動きがとれないというか…その」
【多少の違和感で無力化するほど軟弱でもあるまい】
「そんなんじゃない!ただ…へ、変な気分になるっていうかさ…私もよく分からないんだけど」
【……変な気分?】
疑問に満ちた問いが耳元で囁かれ、復唱されるとさらに顔を伏せる。
一体何を口走ってしまったのか。
世迷い事に顔が火照り、慌てて視線を逸らすが話し相手はそもそも見えず。触れず。
アデランテ自身の中にいる。
「わ、わわ忘れろ!今聞いたことは忘れろ!いいなッ!!」
【無理だ。とにかく慣れろ】
――忘れろ!
――無理だ。
太陽が背中を照らす中、同じ言葉の応酬が繰り返される。しかしいくら記憶の抹消を求めても、要求は虚しく森中に木霊するだけだった。
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