第18話 影の追撃者

 ナターシャと離別後、クレアは残された部屋で一人大きなため息を吐く。


 なぜ、彼女が傀儡術の術から脱出できたのか?

 勇者タクヤへの入念な洗脳もそうだが、糸巻きの勇者マコト・タイラが現れてからと言うもののおかしな事が立て続けに起こる。


 王国は須く他者を洗脳し、替の利く駒として利用し続けてきた歴史がある。本当の意味での従者などおらず、貴族もまた、国が他国を攻め滅ぼした際に有能な一族を洗脳、傀儡化して操ってきたものだった。


 ナターシャの生まれたアシッド家もまたそのうちの一つ。

 教育と称した洗脳で王家の駒として忠実な部下を輩出してきた。


 しかしそれが何故か解除され、あのような失態を生み出してしまった。

 アシッド家を配下に置いてから100年以上、一度たりとてあのように反逆することなどあり得なかったと言うのに。


 言うに事欠いて勇者の恋人を名乗るだなんて。

 思い出しただけでも腹が立つ。

 何度痛めつけても怒りがおさまらない。

 クレアは拳を堅く握りしめ、般若の如き様相を呈す。



「クレア、素が出てるわよ?」



 開け離れた扉の内側。姉である第一王女アリシアがノックをしながら声をかけてきた。

 そのまま扉を閉め、「誰かに見られたら大変よ。築いてきたイメージが壊れてしまうわ」と忠告する。



「あら、わたくしったら」



 いけないいけないとすぐに表情を消し、いつもの柔和な表情に切り替えた。



「らしくないわね、どうしたのよ」



 アリシアは今朝の失態を知らない。

 それもその筈、同室の彼女が情報収集をしてる間にクレアが独自に仕掛けたからだ。


 あくまでも勇者タクヤの裏切りを匂わせる探り。

 そこで嗅いだことのないフルーツの入手を急いだ。


 結果は侍女の裏切りだ。

 洗脳魔法と傀儡術の解除がどのようにして起こったのかクレアは知らないが、そこに繋がりがあると確信している。


 それを全て語らず、自分が被害者に聞こえるように要所要所を抜いて姉アリシアへと伝えた。


 それは部下の裏切り。

 そして勇者タクヤの王国離反の証明。

 無能の勇者マコト・タイラとの結託。


 どれもがクレアの妄想に近いものであるが、ここ数日のタクヤのおかしさは確かにそれを思わせた。



「しかし解せないわね。貴方の手駒が飼い主に噛み付いたの?」

「ええ、あんなに可愛がってさしあげましたのに、ショックで寝込みそうですわ」

「それで、始末はしたの?」

「傷物にしてあげましたわ。アレでは嫁の貰い手も見つかりません、ふふふ」

「違うわクレア、そう言う意味じゃないわ」



 一人慈愛の笑みを浮かべる妹へアリシアは頭を振る。

 キョトンとするクレアに、忠告するように唇を尖らせた。



「自分の手から離れた従者は殺しなさい。あの子は王国のやり方を知りすぎてるわ。今はまだ愚民を騙せてはいるけど、一度でもそれらが露呈したら私達王家はおしまいよ。お父様もそう仰ることでしょうね」



 確かにそうだ。

 ナターシャにはそのような任務をいくつか与えては成功させている。

 しかしクレアが下した沙汰は男を取られた恨みで入念に顔を潰した程度。

 元のナターシャは人形のように表情は少ないが、整っているその顔を二度と見れないようにしただけ。

 勇者が手を差し伸べにくい、見れない顔にした。

 そこでクレアは一度溜飲を下げたのだが、問題はそれだけではなかったのだ。



「荒くれ者を雇いますわ」

「ダメよ。弱っていても手練れ。王家付きの侍女なんて一般人が敵うとでも思ってるの?」

「でしたら、どうすれば良いんですの?」

「私の影を使うわ」

「お姉様の影と言えば……」

「先々代勇者シンゴ・モリよ」

「それはそれは……確実に息の根を止めてくださいますね」







 シンゴ・モリ。

 かつて王国に誕生した最強の勇者で、魔王討伐を一年未満で達成した影使いの勇者である。

 世界の半分を覆う影を自在に操り、王国にいながら影を渡っていつでもアリシアの願いを聞き届ける超越者であった。



 影が形を持って動き出す。

 アリシアの願いを遂行するべく、まずは勇者タクヤの自室に赴き、そして荷物を物色する。

 芳しい香りを発する果実を物色し、それを厳重に布袋に包んで懐に入れた。

 勇者シンゴは毒物取り扱いのエキスパートでもある。

 どれだけ罠を張り巡らせようと通用しない。


 そして固有スキル『影武者』は、己を影の中に潜ませ、影で作り上げたもう一人の自分を操作することで直接殺害する事を防ぐ効果がある。

 これで何度殺しても死なない、実質無敵を作り上げ魔王討伐を成功させていたのである。



 だがどんな事にも誤算というのはつきものだ。

 勇者タクヤの匂いを追って向かった先、そこには獣の楽園があった。


 人類から見たらランクA以上の災害獣が群れをなして暮らす。

 そんな場所に一人乗り込むタクヤ。

 そこにもう一人別の人類の姿を発見する。


 アレが噂にあった無能の勇者であろう。

 だが同時におかしな事に気がつく。


 無能であるならば、なぜ人類にとって脅威でしかないこの森に存在しているのか?

 それを訝しむと同時に動き出す。


 何かを取り出すでもない。

 ただ、何か腕を振った。



 それだけで、たったそれだけで影で作り上げた残機が2000減った。



(何をされた!?)



 シンゴは見えない恐怖に抗いながら、それでも任務を達成すべく勇者タクヤに近づこうとして……



 意識が遠のくのを知覚する。

 それは操る残機の消失。広げた影が全て始末されたことの自覚だった。



 目を覚ました時、王宮内の自室で疲労困憊で椅子にもたれかかっていた。



「この私が、任務に失敗しただと?」



 その事実にかつての勇者は無能の勇者に敗北した事実を悟った。



「どうされました、シンゴ様」



 見張り兼メイドのメリッサが様子のおかしさに駆けつけた。


 普段数万の影を率いるシンゴ・モリは屈強な肉体を持つ美丈夫だ。

 だがそんな彼が今や見る影もない。

 全ての影を失ったシンゴを見るのが初めてのメイドはいつ死んでもおかしくない様子のシンゴに駆け寄り、何か呟いてる言葉を拾い上げる。



「私はもうダメだ。お嬢様を……頼む」



 以降、一切の口を開くことなく。

 数百年王家に忠誠を誓った忠義の勇者シンゴ・モリは天に召された。

 王国最強の切り札、万の命を持つ勇者シンゴ・モリが誰の手によって葬られたのか?


 それを知る者はいない。

 王宮内はその事実を伏せ、長い休暇を与えていると配下へ口頭で伝えた。


 王の耳に届いたその報は、発信元のアリシアへすぐに伝達される。

 伝書の魔法がアリシアの元に送り届けられたのは任を命じてから三日後のことだった。



「どうされましたの、お姉様?」



 勇者シンゴに任せておけばもう大丈夫だろう。

 安堵の息を吐いて豊かな生活に戻った二人の王女は、しかしその報を受けて表情を青ざめさせた。



「王宮へ戻ってこいとお父様が」

「何故ですの? まだ定期報告の日程ではありませんよね?」

「緊急事態だそうよ。事態は一刻を要すると」



 定期報告の日取りであっても、王国への帰還要請などそう滅多に起こらない。これは何かあったかと察するのは容易であった。



「どうしたの、二人とも?」



 そんな二人をよそに、勇者タクヤ・オカモトは呑気なものだ。

 ここ数日で随分とリラックスできたのか、あくびを一つ書いては様子のおかしな仲間を見やる。



「王国への帰還命令が下されましたわ」

「え、なんで?」



 タクヤの返答は至極真っ当なものである。

 旅達から一年。

 それまでに大きな戦果は一切あげていない。

 なんだったら失敗続きの日々である。

 この前も失わなくても良い大きな代償を支払ったばかり。


 勝手に先行した王国騎士団が自滅した形で全滅した。

 それを抑えることができなかったのは勇者としての力不足だとタクヤは考えていた。


 だからこそこの旅の帰還命令はお叱りのものだろうなと察するのは素早かった。

 


「何はともあれ、これ以上隠し通すことはできないでしょ。覚悟を決める時が来たね?」

「タクヤ様、他人事ですのね?」

「勝手に敵対行動を取ったのはあの人たちでしょ? 僕は大丈夫だって言ったじゃない」

「タクヤはあの男と関わってから変わってしまったわ。もう王国の平和には興味がなくなってしまったみたい」

「そんなつもりはないんだけどね。ただ、視野狭窄に陥ってたのを自覚しただけだよ」



 その視野狭窄こそが王国への忠誠だと信じて疑わない二人の王女は、このまま帰還して本当に大丈夫かと肝を冷やす。





 そしてナターシャはと言うと、

 マコトと一緒にティティの世話係として雇われていた。




 そこに至るまでには幾つかの経緯を遡る必要がある。

 顔をぼろぼろにされた少女を拾った勇者タクヤが、マコトのいる場所に連れ込んで傷を癒すべく頼った。



「あ、あの解毒剤振りかければ一発ですよ」

「マジで?」

「マジ寄りのマジっすね」

「どんだけ万能なのさ、平君の特製スープ」

「つっても流石に死んでたら蘇生はできませんよ?」

「そこまでは求めてないさ。でも彼女がこうなった経緯は知っておきたいかなって」

「パイセンは相変わらず勇者やってますねー」

「性分だよ。きっとアリシア達に出会わなくても人助けはして回ってたと思う」

「よっ勇者の中の勇者」

「茶化すなよ。って、傷が癒えてきたみたいだね」

「どんな子が出てくるか楽しみっすね」



 抉れて元の形状がわからないくらい、息ができてるのが不思議なくらいの少女の素顔が、状態異常回復付与の効果を持ったスープをかけて復元していく。

 そこに現れたのはタクヤの見知った姿で……



「ナターシャ!? どうして君が!」

「パイセンの知り合いですか?」

「うん、知ってる。例の彼女だよ」

「ああ、味方に引き入れる予定だった。じゃあこの状態は?」

「多分あの子だ」

「ひぇーおっかないっすね」



 パーティメンバーのどっちかだと認識するマコトに対し、タクヤは考え込んだ。

 そして傷の修復とともにナターシャが意識を取り戻す。



「あれ、私……ここは……?」

「目が覚めたかい? ナターシャ」

「ゆ、勇者様!?」

「うん。この傷はクレアが?」

「………」



 ナターシャは一瞬目を逸らし沈黙を続ける。

 あんな傷をつけられた時点で和解はない。

 もう王国に帰る家などないと思っていたほうがいいだろう。

 そう思うと涙が溢れてくる。

 なんであの時、あのような軽率な判断をとってしまったんだろう。

 ずっと靄のかかっていた意識が唐突にクリアになって、本来なら取らないはずの行動を取ってしまった。

 それが王家に弓引く形になってしまったのは他ならぬナターシャの意思である。


 それを自覚して、タクヤの問いかけに頷いた。

 激しいキャットファイトが繰り広げられていたのはお互いの力関係が拮抗しているからだと思っていたが、現状は違った様だと自分の浅はかさを呪うタクヤ。



「パイセン、俺のことも紹介してくださいよー」

「あ、ごめん」



 そんな二人の間に割って入る、少しだけチャラい。

 もとい空気の読めぬ少年。



「あの、そちらの方は?」

「うん、彼は僕と同じ勇者だよ」

「えっ!?」



 ナターシャは聞いてないと目を白黒とさせる。



「どもども、一年遅れでやってきた糸巻きの勇者っす。けど王女様二人には嫌われてるんすよねー、なんでか」



 その反応に、だろうなとナターシャは頷く。

 まずあまりに勇者らしくない。

 そして固有能力が本当に乏しかった。

 なんだ、体から糸が出せるというのは。

 これだったらまだ自分の方が強いだろう。

 そう思い込むナターシャ。



「ナターシャもあの二人と同じ見解かな?」



 それを勇者タクヤによって見抜かれる。

 表情は微笑んでいる様で、少しもの悲しさが浮かんでいた。



「あ、いえ」

「ちなみにだけど、彼はレベル3でブラックドラゴンを撃退してるよ」

「はい?」



 ナターシャは勇者タクヤの口から放たれた言葉を飲み込めず、素っ頓狂な声を漏らした。

 普段ならば絶対に発しない音域で。

 自分でもバカっぽいくらいに気の抜けた声で。

 それくらいに信じがたい。

 その低いレベルもそうだが、糸だけでどうやってSSランクの魔物を葬れるのか?

 勇者である以上一般人とは違った解釈での討伐だろうとは思う。だがナターシャの頭ではその討伐方法が一切思い浮かばなかった。



「ほら、バカにされたー」

「平君の能力は実際謎が多いからね」

「ま、しょうがないっすよ。俺でもいまだによくわかってないっすからね。お陰さんで食っちゃ寝の毎日を送ってますよ」

「自堕落な生活だね。少しだけ羨ましいよ」

「ま、おかげさまで人間から目の敵にされてますけど」

「手懐けたモンスターが規格外だからね」

「それを言っちゃおしまいっすよー」



 気絶から復活したばかりのナターシャは要領が掴めないまま二人の勇者の会話を聞き届ける。

 そんな会話に混ざる様にして、巨大な獣が立ちはだかった。



「あ、ポチおかえりー」

「お邪魔してるよ」



 金色の毛皮を靡かせて足音もなくいつの間にかそこにいた獣に気さくな挨拶を交わす勇者二名。

 ナターシャは頭が追いつかないままただ沈黙を貫き、

 


「とう!」



 直後、その巨大な獣の真上から飛び降りた小さな影に注目する。



「こら、ティティ。お客様の前だぞ」

「客ってなんだ? 美味いのか?」

「ははは、相変わらずだね」

「タクヤか! 久しぶり!」

「昨日来たばかりだよ? でも名前を覚えてくれていたんだね。えらいえらい」



 和気藹々とするその輪にナターシャは入っていけずに足を踏み出せずにいる。



「とりま糸を挿入っと。これで話が聞こえるかな?」



 何かが頭の中に入ってくる。

 それは一切の痛みもなく、ただ頭の中を渦巻く靄を消し去って。ナターシャの自我を明確に浮き出していく。

 己がなんのために生まれたのか、そんな呪縛じみた使命を上書きする様に、自由を縛る鎖を砕く。



「あの、私……」



 悲しくないのに、涙が溢れて止まらなくなった。

 もう一人の勇者との邂逅で、縛り付けられていた運命から解放された少女は泣くだけ泣いたあと意識を失った。



「ありゃ、寝ちゃった」

「回復した後だしね。今はそっとしておこう」

『それより誰、この人間。にーちゃんの糸を預ける関係の人?』

「そういうなよポチ。この人はきっと俺と同じ様に国に捨てられた人なんだ。行き場がなくなったから今はこうしてこの場所で匿ってやってる」

『それっていつまで?』



 ポチは主人が他者によって奪われてしまうのを恐れるかの様に眠る少女を睨め付けた。

 それを払う様に手を振るティティ。



「らしくないぞ、ポチ」

『ティティの癖にオレに意見するの?』

「マコトの番を名乗るなら、器の大きさを見せろと言ってる」

『ふんっ』



 なにやら物々しい雰囲気を漏らす二匹の獣。

 両方がメスであるからこその葛藤か。



「パイセン、つがいってなんすか?」

「あはは、君は知らなくても良い言葉だよ」

「えー教えてくださいよ。スマホ今電波届かなくて検索できないんすよ」

「まぁ、ポチ君に慕われてるってことだよ」

「何言ってんすか? ポチと俺は相棒っすよ」



 はははと笑う勇者タクヤに、マコトは食ってかかる。

 それをよそに番争いをしだすポチとティティ。

 種族の垣根を越えるべく、二匹の獣は己の器の広さを競い合う。


 そんな場所に放り込まれた行き場を失った少女は一人、生まれて初めて夢を見た。



 翌朝。

 様子を見に来た勇者タクヤにナターシャの今後を窺う。

 当分はこの森で身を隠すが、いずれ出ていくこと。

 それを聞いて勇者タクヤは街へと舞い戻った。


 身を隠すと言っても、働かざる者食うべからず。

 とは言っても役割は全て振ってあるので手持ち無沙汰にさせてしまっていた。


 そこでナターシャが決意表明。

 元々侍女という職業をしていたのもあって誰かの世話をするのは得意だった。


 この群れの中で一番の暴れん坊であるティティの世話係を名乗り出たのである。


 それならば勇者マコトも違う仕事ができると乗り気で、現状に至る。

 しかし実際のところは番争いの延長線上で、且つ監視の目論みがあった。

 俗に見極めとも言う。



 こうしてかつて王国の姫の侍女だった少女は魔王軍四天王の後継人の侍女へと就任した。

 当事者は知らずとはいえ、皮肉なものである。

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