第二章 女中と異国の元王子②




 こうてい夫妻が牛相撲を観戦するという一報は、またたにピンザオ市内に広まった。ニジェナがバンサ国の皇后になって以来、民衆の前に姿を見せたのは婚礼の式典のみ。そのため、大会当日には、ニジェナ皇后を一目見ようと民衆が会場に押しかけ、ちょっとした騒ぎになっていた。

 ほかの女中たちからその様子を聞いたコチュンは、ニジェナのたくを手伝いながら心配を口にした。

「牛相撲の会場は満員だと聞いています。予想以上の混雑ですが、だいじょうでしょうか?」

「まぁ……護衛の兵士もいるし、問題ないだろう」

 ニジェナは鏡の前から立ちあがると、しょうのでき栄えに満足して微笑んだ。

「どうだ、れいか?」

「はい、今日もお美しいですよ」

ちがうよ、お前の仕立てたこの衣装だよ」

 ニジェナは身に着けている衣装をながめた。目の覚めるような黄色のに、黒いひもしぼりをかせ、本来よりも細身に見えるふうがしてある。

「コチュンが仕立てる衣装はいつも見事だな。どこでこんな技術を身につけたんだ?」

「育った家が貧しくて、着るものを自分で作らないといけなかったので、自然とさいほうが得意になっただけなんです。おかげで、女中の仕事にもつけたんですが」

 コチュンは、衣装を着こなすニジェナを見て、満足そうに頷いた。

「こんな裁縫でも、ニジェナ様のお役に立ててよかったです。今日もとても綺麗ですよ」

 コチュンが自信をもって答えると、ニジェナはかんがいぶかげにコチュンに微笑みかけた。

 ところが牛相撲の会場に着いてみると、コチュンもニジェナも、人の多さに驚いてしまった。牛相撲の土俵を囲むように、客席が階段状に広がっているが、入りきらない観衆が公道にまであふれていたのだ。皇帝夫妻の席は、土俵を見下ろせる特製のやぐらに用意されていて、この混雑からはかくぜつされている。トゥルムは、民衆に手をりながらつぶやいた。

「まさか、ここまで注目を集めるとはな。お前もバンサの国民に手を振ってやれ」

 トゥルムに耳打ちされ、ニジェナも民衆に手を振った。すると、割れんばかりのかんせいこり、ニジェナは驚いて目を丸くした。王宮での事件や上皇からの冷たい仕打ちを経験していたので、バンサ国はユープーをにくむ人ばかりだと思っていたのだ。

「こんなに大勢の人が、ユープーとの友好をかんげいしてくれていたんだな」

「ああ。多くのバンサ国民が、ユープーとの和解を望んでいた。おれが皇帝にそくできたのも、ユープーとの同盟ていけつも、民衆の支持があったから実現できたことだ」

 トゥルムはニジェナに教えると、再び民衆に手を振った。トゥルムの言葉と民衆の歓声に背中を押され、ニジェナも力強く民衆に手を振り出した。それでも、時折歓声に交じってニジェナに対するじょくてきな声が飛んでくる。やぐらの下には護衛の衛兵がついており、しんにゅうしゃしゅうげきしゃは入ってこられない。それでも、トゥルムは顔をくもらせた。

「ここにいる間はしんちょうに動いたほうがいい。あの女中を連れてきて正解だったな」

 トゥルムが忠告したとき、大きな歓声があがった。主役の牛たちが、土俵に現れたのだ。

「いつか、そうほうの国の牛で、牛相撲ができるようになるといな」

 ニジェナは、おのれに対するせいには耳をふさぎ、歓声を浴びる牛たちをまぶしそうに見つめた。



 その頃、コチュンは会場の外に並ぶ食べ物の出店を急いで回っていた。バンサ国のしょみんてきなものが食べてみたいと、ニジェナにたのまれたのだ。コチュンはすでにかかえきれないほどの食べ物を持ちながら、遠くのほうで沸き起こる歓声を聞いた。

「おーい、コチュン!」

 そのとき、誰かに呼び止められた。ひとがきの向こうから、トギが手を振りながら駆け寄ってきたのだ。傍には、コチュンの知らない女の人がいる。

「トギも牛相撲に来てたんだ。その人はどなた?」

「職場のこうはいだよ。ルマっていうんだ」

 トギにしょうかいされると、ルマはぎこちないあいさつをした。

「コチュンさんのことは、妹みたいな子だって、トギさんから聞いてます」

「そうなんです。トギとは小さい頃からの付き合いで」

 コチュンはルマに答えると、からかうようにトギを見た。

「休みの日に彼女とお出かけなんて、うらやましい」

「ルマとはそんなんじゃないよ。ちょうどおたがい予定がなかったから、牛相撲に誘ってくれたんだよ。な?」

 トギに同意を求められ、ルマは少し不服そうに頷いた。どうやら、ただの仕事仲間と思っているのは、トギだけのようだ。コチュンは二人のみょうな関係に気づき、慌てて両手に抱える買い物袋を見せた。

「わたしは仕事で来てるの。急いで帰らないと怒られちゃう。だからもう行かなくちゃ。二人で牛相撲を楽しんでね!」

 トギにてきこいびとができるよう願いながら、コチュンは足早に去ろうとした。

 ところが、勢い余って通りすがりの人にぶつかってしまった。相手が体格のいい男性だったため、コチュンは跳ね飛ばされて地面に転がった。

「何やってんだよコチュン! すいません、そそっかしいやつで……」

 トギがコチュンをこし、ぶつかられた相手に謝った。しかし、その人はコチュをじろりとにらむと、さっさと歩き去ってしまった。

「コチュンさん、大丈夫?」

 ルマがコチュンのよごれた手をき取ってくれた。幸い怪我もないし、ニジェナのお使いの食べ物も無事だ。しかし、コチュンは遠ざかっていく男を目で追い、首を傾げていた。

「あの人、どこかで見たことあるような……」

「なぁ、あの男、ちょっとあやしくないか?」

 おくをたどっていたコチュンに、トギが耳打ちするように告げた。

「何も買おうとしないくせに、ずっとこの辺を歩き回ってる。しかも、牛が近くに来ても目も向けない。牛相撲の会場なのにだぜ?」

 トギの言わんとしていることを察して、コチュンはごくりとなまつばを飲んだ。



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