第二章 女中と異国の元王子①


 コチュンが皇后付き女中になってから、数か月。しょうが燃やされるきゅういっしょえて以来、コチュンとニジェナの間には、それなりのしんらい関係ができあがっていた。

 ニジェナは正体をかくしながら、皇后としても仕事をこなさなければならない。コチュンは、衣装を失ったニジェナのため、男性の身体からだを隠す新たな衣装を仕立てたり、バンサ国ならではの風習を教えたりと、ニジェナの役目をかげながら支えたのだ。だけど、なぜ彼がこんな大役を務めることになったのか、理由を聞くことは禁じられていた。難しい外交問題だからだとコチュンも考え、深くさぐろうとはしなかった。

 そんなこんなで、ニジェナのあつてきな態度はなくなり、コチュンも仕事にやりがいを感じるようになっていたある日。

「ほんと最悪! 絶対にあり得ない!」

 コチュンは、トギを夕食にさそい出し、またもや仕事のをこぼしていた。

「まあまあ、犯人がわかってよかったじゃんか」

「全っ然、よくない!」

 コチュンがおこっているのは、ニジェナの衣装に火をつけた犯人についてだ。

 先日、長く不明のままだった犯人が、れんみやで働くえいぜんの職人だと判明した。衛兵によるじんもんの結果、ユープー人のニジェナが気に食わず、いやがらせのつもりで部屋にしの、衣装を燃やしたと告白したのだ。

 皇后に対するろうぜきである。当然、厳しいばつあたえられるとだれもが予測した。しかし、営繕の職人は、わずかなばいしょうきんはらっただけでほうめんされ、王宮の仕事をかいされたたん、ガンディク上皇とこんにしている貴族が彼をやとったというのだ。

「悪いことをした人間が、ほとんど無罪のまま平然と暮らしてるんだよ。犯人のせいでニジェナ様がどんなつらい思いをしたか考えれば、絶対に許せないでしょう!」

「コチュン、ちょっと声が大きいぞ。そのへんにしとけ」

 いかりが収まらないコチュンを、トギがあわててなだめた。どこで誰に聞かれているかわからない。ましてや、人々の反発も大きいユープー人の皇后様である。彼女を支えるコチュンにまで危害がおよびはしないかと、心配がきないのだ。

 トギはやさしい声でコチュンをなぐさめ、おかしそうに笑い出した。

「最初のころは、あんなにぎらいしてたのに、今じゃずいぶんかたれするようになったな」

「話してみると、本当は良い人だってわかってきたから。助けたくなったの」

「コチュンらしいな。よし、今日はおれのおごりだ。好きなもの注文しろよ」

 トギが景気よく言い放った途端、たちまちコチュンはじょうげんになった。

 しかし、コチュンののうには、蓮華の宮にいるニジェナの姿がおもかんでいた。

 ニジェナは自分の正体を隠すため、ほとんど部屋から出ない。公務も外に出ずに行えるものをとトゥルムがうまく調整していた。だから、コチュンがひまをもらって王宮を出る日は、一人で本を読んでいることが多い。それでも、自分がトギに愚痴をこぼすように、心情を誰にも打ち明けられないどくは、とても苦しいのではないだろうか。

 コチュンが考えをめぐらせていると、そういえば、とトギが声をはずませた。

「秋分の日に、ピンザオ市で大きなうし相撲ずもうの試合があるって知ってたか? バンサ中からせんばつされたよこづなきゅうの牛が、ぶつかり合って力比べをするんだ」

「そんなもよおしがあるの? 全然知らなかった」

「そうだと思ったから、ちらしを持ってきた」

 トギはコチュンに牛相撲の広告をわたした。バンサ国のらくといえば、牛相撲である。それがどんなものかは、コチュンもよく知っていた。だが、秋分の日に行われる牛相撲は、コチュンが見たこともないような大きな規模の大会らしい。出店や興行もあり、町中がおまつさわぎになるようだ。トギはコチュンの反応をうかがい、おずおずと口を出した。

「なあ、もしよかったら一緒に……」

「このちらし、もらってもいい?」

 コチュンが、トギの言葉をさえぎって切り出した。

「公務でいそがしいニジェナ様に、おすすめしてみようと思うの。気晴らしにぴったりでしょ」

 目をかがやかせるコチュンに、トギは自分の話をあきらめ、仕方なさそうに笑った。

「いいんじゃないか。誘ってみろよ」

「ありがとう。そういえば、トギ、今何か言いかけたよね?」

「いや、おれの話はいいんだ。それより、うまくいくようにがんれよ」

 微笑ほほえむトギに、コチュンは満面のみでうなずいた。蓮華の宮に帰ったら、さっそくニジェナに話してみよう。彼がどんな反応をするのか、コチュンはワクワクした。



「牛相撲っ? バンサ国に、牛相撲があるのかっ?」

 牛相撲の話を聞いたニジェナは、わかりやすく興奮した。コチュンだけでなく、トゥルムでさえおどろかせるほどのひょうへんっぷりだ。

「その様子だと、牛相撲の観戦に誘うのは、正解のようだな?」

「観に行けるのかっ?」

「ああ、お前の女中が提案してくれた。お前があまりにも部屋にもりすぎてるから、少しは外に出る機会を作れとな。だから、公務のいっかんとして牛相撲の観戦を考えている」

 トゥルムが答えると、ニジェナはほおこうちょうさせてコチュンの前にった。

「団子、ありがとう! お前は最高だ!」

 ニジェナはコチュンの両手をつかんで、ギュッとにぎりしめた。予想をはるかにしのぐニジェナの反応に、コチュンも笑いが止まらなくなってしまった。

「ニジェナ様も牛相撲がお好きなんですね」

「ユープーにも同じ催しがあるんだ。牛相撲は昔から観戦していたし、牛は大好きなんだ!」

 ニジェナは待ちきれないと言わんばかりにねた。いつもの高貴な振る舞いが消え、子どものようにはしゃぐニジェナに、コチュンとトゥルムは、顔を見合わせて笑い出した。

「まさかこんなに喜んでもらえるなんて、思ってませんでした」

「まさに名案だったわけだ。それに、バンサ国の新皇后が、いつまでも国民の前に出ないのはまずいと思っていたからな。公務として観戦するのは、政治的な意味でも最適だ」

 トゥルムも表情をやわらげ、コチュンに礼を言った。コチュンは自分の提案が、予想以上の成果をもたらしたことを感じて、ニジェナと一緒に飛び跳ねたい気持ちになっていた。

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