第一章 新米女中と嘘つき皇后⑦


 争いのちゅうにあるニジェナが、彼らの前に現れたのだ。その途端、部屋にいる全員が、ニジェナの姿にくぎ付けになった。

 ニジェナは、見たことのない衣装を身に着けていた。ユープー風の着つけに、バンサ国の伝統的な刺繍が大きく施されている。だいたんにさらけ出された褐色の背中はわくてきで、バンサ国の装飾品がさらなる彩りをえていた。

 二つの国の文化を混ぜたかのごときよそおいが、ニジェナの美貌を底あげし、あっとうてきな美しさで上皇までをも黙らせたのだ。

 その様子を後ろにひかえながらぬすていたコチュンは、小さく拳を握りしめた。

 バンサ国とユープー国の文化がゆうしたのはぐうぜんだったが、女中たちが持ってきてくれた貴金属の装飾品は、ニジェナの褐色の肌にとてもよくえた。コチュンは、一緒に様子を盗み見ている女中たちに視線を向けて、微笑み合った。

「……我がバンサ国の文化を、盗み取ったか?」

 ふいに、ガンディクがニジェナの衣装をなじるように吐き捨てた。ニジェナの美貌に打ちのめされたと思っていたのに、まだ難癖をつける余力があったらしい。コチュンと女中たちは、ハラハラしてその様子を見守るしかなかった。

 しかし、ニジェナは穏やかなみを浮かべると、背筋を伸ばして告げた。

「バンサ国とユープー国の文化は、合わさるとこんなにも美しいものになるということです。それは、わたくしがトゥルム様に嫁いだことと同じ。バンサ国とユープー国は、ともに歩み寄り手を取り合うことで、さらに強固になる。この衣装は、その証明です」

 コチュンは見惚れてしまった。ニジェナの言葉によって、その場しのぎの道具だった衣装が、同盟の意義を伝える芸術作品にしょうされたのだ。

「ニジェナ様……かっこいい」

 コチュンの口から、思わず呟きがこぼれた。

 ガンディクはいらちを隠すどころか強い不快感を示し、反論に口を開きかけた。ところが、エルスが大きく咳き込み出した。春とはいえ夜は急激に冷え込む。病弱なエルスは、ほってきな息切れを起こしやすくなっていたのだ。チヨルがエルスの傍に駆け寄った。

「エルスの顔色が悪いわ。こんなになるまで待たせるなんて、ユープー人は非常識ね」

「それは違います、母上。わたしたちが急に訪ねたのがいけないのです」

 意外にもニジェナをかばってくれたのはエルス本人だった。彼はせきを抑えながら、とつぜんの来訪をニジェナとトゥルムにびた。

「わたくしこそ、遅くなりまして申し訳ありませんでした。エルス殿でん、ごゆっくりお休みください」

 ニジェナが答えると、エルスは弱々しく微笑んだ。ガンディクとチヨルは、エルスの体調の変化をして、これ以上長居はできないと判断したようだ。彼らを見送りに出たトゥルムとニジェナは、上皇たちの乗った馬車が見えなくなると、ようやく詰めていた息を吐き出した。



 ニジェナは自室に戻ると、衣装の結び目をほどいてあっという間に脱ぎ捨てた。脱ぎてられた衣装は、一枚の織物に戻った。しかし、借り物のほうしょくひんだけは、机の上にていねいに置いていく。その一つを、トゥルムが指でさわってニジェナに言った。

「今回は、女中たちの機転に救われたな」

「本当だよ。一時はどうなるかと思った」

「……で、お前の服を焼いたのは、やはり反対派の仕業か?」

 神妙な顔で尋ねたトゥルムに、ニジェナは「おそらくな」と肩を落とした。

「上皇たちに正体がバレなかっただけでも、幸運だったかもしれない。まさかこんなあからさまにしかけられるとは……不意を突かれたよ」

 ニジェナは絞り出すようにこうかいを口にした。窓の鍵をこじ開けられ、衣装や装飾品を燃やされるなんて……自分に向けられる敵意の大きさに、ニジェナはぶるいした。武器を持ったしんにゅうしゃに、おそわれていてもおかしくなかったのだ。

「やっと同盟を結んだってのに、平和は難しいな」

「犯人は、おれが必ず突き止める。そうやって、一つ一つ問題を解決していくしかないさ」

 トゥルムはくだけた言葉ではげました。するとニジェナは、柔らかい笑みを見せた。

「けど、今回の件でわかったことがある。バンサ国にも、おれの味方になってくれる人間はいるらしい」

 ニジェナは、衣装を燃やされた自分の代わりに、コチュンが心の底から怒ってくれたことをかいそうしていた。あんな風に言ってくれる人が現れるなんて、思ってもみなかった。

おどしたとはいえ、いい協力者を得たな」

 冗談めかして言うトゥルムに、ニジェナも笑って頷いた。

「そういえば、アイツはどこにいった?」

 ニジェナは風呂場を覗いて、驚きにまばたいた。だつじょかべに寄りかかって、コチュンがすやすやとねむっていたのだ。どうやら、ニジェナが脱ぎ捨てた織物を洗おうとして、そのまま眠ってしまったらしい。ニジェナが忍び笑いを漏らすと、トゥルムもコチュンを見た。

「仕事中に眠るとは……やはり子どもだったな」

「今日はいろいろあったからな、大目に見てやるさ」

 ニジェナはかわいた化粧着でコチュンを包むと、ひょいときあげた。このままにしておくわけにはいかないが、女中の部屋まで運ぶこともできない。仕方なく、愛用の長椅子にかせてやることにした。毛布を掛けると、幼いわりに端正な顔が、ふわりと微笑んだ。ニジェナは長椅子に寄りかかり、コチュンのがおを見てつぶやいた。

「ほんと、ちびのくせに、がんってくれたよ」



 コチュンがようやく目を覚ましたとき、朝日であふれる部屋の真ん中に、ひどい顔をしたニジェナが座っていた。

「ニッ、ニジェナ様、どうしたんですか、そのお顔!」

 コチュンが慌てて駆け寄ると、ニジェナはうらみがましくコチュンを見た。

「お前が長椅子で寝るから、落ちないようにここで見張ってたんだよ。てつでな!」

「えっ、えええっ、ごめんなさいぃ!」

 まさかニジェナにそこまで迷惑をかけただなんて。コチュンは真っ青になって狼狽うろたえた。だが、ニジェナはさっさとコチュンの傍から立ちあがると、ふらふらとした足取りでしんしつに向かった。

「とりあえず、おれは寝るっ!」

 だが、ニジェナはちゅうでピタリと立ち止まると、コチュンを振り返ってぶっきらぼうに告げた。

「昨日は、お前のおかげで助かった……ありがとう」

 ニジェナはまた歩き出し、乱暴に寝室の扉を閉めた。残されたコチュンは、礼を言われたことに驚きつつ、散らかったままの部屋を見渡した。

 そうしてまた、噓を守る一日が始まるのである。



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