第一章 新米女中と嘘つき皇后⑤




 バンサ国の上皇ガンディクは、先代の皇帝であり、トゥルムの父親でもある。今なお国中にえいきょうりょくをもち、自分の支配に属さない集団や他国に対して、非情なまでにこうげきてきな人物だ。長男のトゥルムと次男のエルスにも、自身のていおうがくを教え込んだが、トゥルムは父親とは正反対のおんけんになり、エルスは生まれつき病弱だったため、ガンディクの期待に沿えるこうけいしゃとはなりえなかった。

 地位をゆずったとはいえ、ガンディクはトゥルムに対して、常に厳しい目を向けている。特に、今回のユープー国との同盟ていけつには、誰よりも反対していた。

「あんな国など、わずらわしい条約を取り決める間もなく、ほろぼしてへいごうしてしまえばよかったではないか」

 蓮華の宮をおとずれたガンディクは、この日もまたトゥルムとニジェナの婚姻になんくせをつけ、りもせず国同士の問題をやり玉に挙げ出した。トゥルムの母親のチヨルは、夫の話に何度も頷き、弟のエルスはごこが悪そうに黙り込んでいる。

「父上は、まだそんなことを言っているんですか。今はぼくの時代ですよ」

 トゥルムは、ガンディクの考えを真っ向から否定した。トゥルムは幼いころから支配的な父の背中を見て育ち、戦争によって国がへいするのを知った。父の考えが、いかに国を弱らせるのかを、身をもって学んでいた。だからこそトゥルムは、両国の平和を一番に考え、ユープー国との同盟締結に心血を注いだのだ。

「これからは、他国と手を取り合って共存し、こうきゅうてきな発展をすすめるべきなのです」

「なぜ格下の連中とつるまねばならぬ? バンサの地位が下がるだけではないか。勝手に婚姻政策など進めおって」

「国同士の関わりに、格も地位も存在しません」

 トゥルムのたびかさなる説得に、ガンディクが考えを改めることは一度としてなかった。父親の反対を押し切ってまでこの婚姻が成立したのは、ニジェナが人質同然の形だからこそ、実現できたともいえる。トゥルムは相変わらずの父親に失望して肩を落とすと、同意を求めるように弟を見た。だが、エルスは姿勢を低くし、目線を逸らしてしまった。

「ところで、ユープーの姫はどこにいる? なぜ我々の前に姿を見せないのだ」

 ガンディクは、ニジェナが部屋から出てこないことにげんきゅうし、舌打ちをした。

「我々と顔も合わせたくないということか? せっかく人質代わりにバンサ皇室に迎え入れてやったのに、れい知らずもいいところだ」

 ガンディクの言葉に、チヨルが頷いた。

「トゥルム、いくらお前がユープー国を取り立てても、かの国の姫君が無作法者では、かばいようがありませんよ」

「もうすぐたくが整うと思いますので、しばらくお待ちを」

 トゥルムはました顔で答えたが、服の下ではあせをかいていた。



 蓮華の宮の暖炉は、寒冷期以外は火を落としている。それなのに、コチュンが手を入れた暖炉は、つい先ほどまで燃えていたしょうに、熱気をはらんでいた。コチュンは黒焦げになったニジェナの衣装を持ちあげると、顔を青ざめさせた。

「ひどい、誰がこんなことを……」

「おれが風呂に入っている間に、何者かが窓の鍵をこじ開けて、部屋をらしたみたいなんだ。暖炉に火がつけられていて、あわてて消したら、このありさまだ……」

 コチュンは暖炉からすべての衣装を拾いあげたが、無事なものは一着もない。

「トゥルム様は、このことをご存じなんですか?」

「おれを呼びに来て、この状況を見た。今は上皇の相手をしてかんかせぎをしている」

「上皇様にもお伝えしないと。ニジェナ様の部屋を荒らした犯人が、まだ近くにいるかもしれませんよ」

「ばか、そんなことできるわけないだろう」

 ニジェナは目を見開き、かぶりを振って衣装を投げ捨てた。

「どうして今、おれの部屋が荒らされたと思う? まるで、上皇が蓮華の宮に来ることを知っていたみたいだろう? 皇族の予定なんて、ほとんどの人間がよしもないのに」

「それじゃ犯人は……上皇様がここに来ることを、わかっていたってことですか?」

「もしかしたら、犯人は上皇の手のものかもしれない」

 まさか、と言いかけたコチュンは、トギから聞いたばかりの話を思い出した。この国には、ユープー国との同盟を良く思わず、敵対心を抱く者が大勢いる。この国の上皇が、ユープー国を快く思っていないことだって、十分にあり得るのだ。

 もし上皇が、ニジェナが皇后として公務にあたることをさまたげるために衣装を燃やしたというのなら……コチュンは身の毛もよだつような想像をして、足がすくんでしまった。

「わたしが、ニジェナ様のお傍についていたら、こんなことには……」

「お前がいても、犯人は同じことをしたに違いない。ほんと、いん湿しつにもほどがあるよな」

 コチュンが自分を責めたとき、ニジェナはそれを否定するように、怒りのほこさきを犯人へ向けた。てっきり責任をついきゅうされると思っていたコチュンは、驚いてニジェナを見た。

「わたしを、おこらないんですか?」

「なんで無関係のお前を怒らなくちゃならないんだよ」

 ニジェナはげんそうに首を傾げた。衣装を燃やされたことを、仕事を放り出した女中のせいにもできたのに。ニジェナはじんも考えていないみたいだ。

 コチュンが驚いていると、ニジェナはちょうてきに笑い、ぽつりと言った。

「こんなことが起こる予感は、バンサに来る前からしていた。かつての敵国を簡単に許せるはずがない。だから、おれは何をされようがかまわない。いつかバンサとユープーが争うのをやめて、手を取り合うためのはしになれれば、それでいいんだ」

 コチュンは言葉を失ってしまった。ニジェナは自分に向けられる敵意を知っていても、両国の平和を取り持つために、政略結婚の代役を務めようとしている。優しさと勇気だけで一身を投げ打つニジェナを思うと、コチュンのおさえきれない感情が、声になって出てしまった。

「ニジェナ様にこんな仕打ちをするなんて。わたし、犯人が許せない!」

「なんで団子が怒るんだよ」

「怒りますよ! ニジェナ様のかくを知らないで……こんなれつな真似、見過ごせません!」

 コチュンはニジェナを見あげて断言すると、グッと両手をにぎりしめた。

「こうなったら、何がなんでもお衣装を用意しましょう! それも、ニジェナ様の美しさを、さらに引き立てるような!」

「無理するなって。最悪、とびらしに挨拶をすればいいんだし」

「そんなことしたら、ニジェナ様の王宮での立場が悪くなるでしょう」

 何か、何かこのきゅうだっする策はないか。コチュンは部屋中をわたし、使えるものがないか探した。そのとき、コチュンはニジェナの部屋の、豪華な垂れ幕に目を留めた。

「この垂れ幕、使えないでしょうか」

「え?」

 コチュンがニジェナに指さしたのは、日よけ用の織物だった。赤色のに、バンサ国

の伝統的なしゅうほどこされている、ありふれたそうしょくひんの一つだ。コチュンは垂れ幕に手をばして、かんしょくを確かめてみた。生地がしっかりしているわりにやわらかく、自由にたたむことができそうだ。

 こうなったら、やるしかない。

「ニジェナ様、この垂れ幕をてんじょうから降ろしてください。これを使って衣装を作ります」

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