第一章 新米女中と嘘つき皇后④




 王宮の外はバンサ国のていピンザオだ。日が暮れても人の往来が続き、店ののきさきに客引き用の赤い提灯ちょうちんが出される。その一角で、コチュンはまった大根の香りと、居酒屋のけんそうに包まれていた。一緒にしょくたくを囲む相手が、コチュンの話を聞いてゲラゲラ笑っている。

「どこの職場にも、めんどくさい上司っているんだなあ」

「ちょっとトギ、ごとだと思って笑わないでよね」

 コチュンがひがみっぽく口をとがらせると、彼はペロッと舌を出してとぼけて見せた。

 トギは、コチュンと同郷のおさなみだ。今はピンザオ市と地方を結ぶ馬車のぎょしゃをしていて、先に上京した手前、コチュンと会うと兄貴風をかせるのだ。しかし、なんだかんだとそれが、コチュンの数少ないいききの時間にもなっていた。

 コチュンは王宮を出るなりトギを食事にさそい、ためにため込んだ仕事のをぶちまけた。もちろん、そうなってしまった理由はせてはいるが、トギに話すと、いくらかすっきりした気分になれた。

「確かに、今日のコチュンは少しやつれてるな。新しく任された役目っていうのが、相当きついんだろ。いったい何の仕事なんだ?」

 トギはコチュンの顔を見て、不安そうに尋ねた。こういうづかいが、トギのやさしいところだ。コチュンは少し迷った挙げ句、支障がない程度に打ち明けた。

「実はわたし、皇后様付きの女中に任命されたの」

「こっ、皇后様って、あの皇后様?」

 トギは驚いてせき込み、目を丸くしてコチュンに食いついた。

「マジかよコチュン、あの絶世の美女のお傍についてるのかっ? すげえ仕事だな!」

「今話してためんどくさい上司が、そのニジェナ皇后様なんだけど?」

「婚礼の式典を見に行ったんだけどさ、ニジェナ様の美しさはこの世のものとは思えなかったぜ。おれ、あの人になら、どんな仕打ちを受けてもいい」

 トギの夢見るような顔に、コチュンは白い目を向けた。

「悪いけど、この仕事ってそんな甘くないからね」

「でも、皇后付き女中っていえば、すげえしょうかくだろう。苦労するのも仕方ないさ」

 トギはにこにことめると、景気よく手のひらを叩いた。

「よしっ、コチュンの出世祝いだ、今日はおれがおごってやる」

 出世というわけではないのだが。コチュンは返答に困りつつも、いたわってくれるトギに甘えることにした。食事を終えて会計を済ませると、二人は店を出て、街を歩いた。

「はあ、もう帰らなきゃいけないのかと思うと、しんどい」

 コチュンががっくりとかたを落とすと、トギはおだやかに笑った。しかし、先ほどのおちゃらけた様子はりをひそめ、真剣な顔でコチュンに話し出した。

「コチュン、あのな。さっきは店の中だったから言えなかったけど、新しい皇后様、一部の民衆にはあんまりウケがよくないんだ」

「え、どうして?」

 予想外の話に、コチュンは驚いてトギを振り返った。

「おれの職場にはさ、昔の戦争でユープー人に家族を殺されたり、兵士として戦ったりした人がいるんだよ。何十年もったけど、今もユープーをにくんでる。当たり前だよ、ひどい戦争だったから。それもあって、ユープーの姫様の輿入れにも反発してるんだ」

「トゥルム陛下とニジェナ様のごけっこんは、国中でお祝いしていたじゃない」

「そりゃ、あんなお祭り騒ぎをされちゃ、ユープーに文句を言いたい人でも黙るしかなかったんだろうよ。だけど、新しい皇后様を嫌う連中は、本当にいっぱいいるんだ」

 トギはさらに声を潜めると、コチュンの耳元でぼそぼそと打ち明けた。

「実はさ、知り合いのじいさんが、を起こしかけて衛兵にこうそくされたんだ。婚礼の儀式に、反ユープー派の連中でなぐり込もうとしてたらしい」

「そ、それ本当なの?」

 にわかには信じがたい話にコチュンがおののくと、トギは|トギはしんみょうな顔をして頷いた。

「ここ何年かは落ち着いてきたとはいえ、ずっと戦争をしてきたユープー国との同盟なんて、難しい話だったんだ。今でも、ユープー国にめ込めっていう声を聞くし、ニジェナ皇后を敵視する人も大勢いる。だからコチュンも、皇后様にかたれしすぎるなよ。続けるのが無理だと思ったら、仕事なんかめていい。おれがなんとかしてやるからな」

 トギは王宮までコチュンを送ると、にこやかに帰っていった。しかし、彼を見送ったコチュンは、深いため息をついた。

 トギの話を聞くまで、バンサ国とユープー国の同盟に反対している人がいるなんて、コチュンは思いもしていなかった。でも、言われてみれば心当たりがある。ニジェナとトゥルムのこんいんの式典で、ニジェナに笑顔はなかった。蓮華の宮に厳重な警備がかれていたのも、彼に反発する一派をけいかいしてのことだったのだ。

 かつての敵国に、たった一人で乗り込むということは、多数の敵意にさらされるということでもある。しかもニジェナは、性別をいつわりながら代役を演じるという重責を背負っているのだ。

 それなのにコチュンは、ニジェナを噓つきの偽者とやじり、女中の仕事を投げ出してきてしまった。あの人は、命がけで平和のために嫁いできたのに、傍で支える人間すらいないなんて、むごいくらいに可哀かわいそうではないか。

 気づくと、コチュンは小走りで蓮華の宮に向かっていた。ニジェナに謝ろう。そして、女中を務めている間くらいは、彼を傍で支えてあげよう。そう考えたのだ。

 ところが、蓮華の宮に戻ったコチュンをむかえたのは、真っ青な顔をした女中たちだった。

「みんなそろって、どうしたんですか?」

 彼女たちのただならぬ様子に、コチュンは首をかしげた。

「上皇様ご夫妻とエルス殿下が、急にお見えになられたんです」

「えっ、上皇様ご夫妻が!?」

 思いがけない展開に、コチュンは目を丸くした。上皇夫妻は、皇帝トゥルムの実の両親、エルス殿下はトゥルムのじっていだ。そんなやんごとなき方が訪問するというのに、蓮華の宮には何の事前通達もなかった。コチュンは戸惑いながら、女中たちに尋ねた。

「それで、ニジェナ様とトゥルム様は、どうされたの?」

「それが、上皇様ご夫妻がお二人にごあいさつを願ってくださったのだけど、ニジェナ様がお部屋から出ていらっしゃらないの。幸い、今はトゥルム様が上皇様ご夫妻の相手をされているけれど、このままではニジェナ様に対するご心証はよろしくないでしょうね」

「わたしたちが準備を手伝うと申し出てみたんだけど、ニジェナ様はあなた以外を部屋に入れないって、かたくなに閉じこもっておられるのよ」

 女中たちは、すっかりくたびれた様子で経緯を話した。上皇夫妻を待たせているし、ニジェナ皇后は部屋に引きこもっているしで、てんやわんやだったのだろう。

「わかりました。わたしがニジェナ様の準備を手伝います」

 コチュンは一目散にニジェナの部屋に向かった。正体を隠すために人を遠ざけているとはいえ、上皇夫妻がやってきたのに皇后のニジェナが部屋から出てこないなんて、さすがにおかしい。コチュンはいちまつの不安をかかえながら、ニジェナの部屋の扉を乱暴に叩いた。

「ニジェナ様、コチュンです。部屋に入りますよ!」

 コチュンが取っ手をひねるより先に扉が開かれ、ニジェナが顔を出した。

おそいぞ団子、すぐに入れ!」

 ニジェナはコチュンを中に引っ張り込むと、すぐに扉を閉めてかぎをかけてしまった。そのたたずまいは、湯あがりに着る化粧着のまま。上皇夫妻が来ているのに、身なりを整えていないニジェナを見て、コチュンは眉をひそめた。

「ニジェナ様、なにかあったんですか」

「……まずいことになった……」

 ニジェナは、ふるえながらだんを指さした。その中には、くろげになったニジェナの衣装が、黒いけむりをあげて丸まっていた。

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