東へ西へ編 閑話 皇女の休日 その3

ヒュドラ――迷宮で手に入れた古代魔法遺物より呼び出された巨大な亜竜。

そう、人の力では、それこそ物語の中の英雄と呼ばれるような人間でもなければ到底太刀打ち出来ない竜種の化物。

帝国の精鋭が帝国最高の工廠で造られた武具をその身に着けてさえ、それでも傷つけることすら能わぬ存在。


一度その化物の前より命からがら逃げ出した私達の前に立ちふさがる姿を見て感じることは当然のように絶望のみ。

・・・なのに、同じ様に隣でそれを見つめるハリスの主従は特に気負うこともなく軽口を叩き合う。

何なのだこの余裕は!?もしかするとこの黒い鎧の2人ならアレをどうにか出来るほどの武を持っているとでも言うのか!?


しかし、いくら私のお守りを任された者たちと言えども、さすがに破壊の権化とも言えそうな化物の相手をしてくれなどとは言えぬ。

・・・初めて出会った愛おしいと思えそうな男、それでなくとも帝国、いやこの大陸屈指の癒やしの力を持っている人間にこの様なところで死んでくれなどとはとても言い出せるものではないしな。


正直、彼と言う男に出会うまでは――婚約の件で多少自暴自棄になっていたのもあるが――この命など惜しいとも思わなかった。

だけど今は・・・出来うるならばもっと、もっとこの男の事を知りたい、そして叶うならば・・・。

思い悩む私、もちろんそんな想いなど伝わってはいない彼が話しかけてくる。


「ああ、そうそう、そちらのわん子の願いを聞いて殿下を治療いたしましたのでその報酬として預からせてもらいますけど問題ないですよね?」


・・・この状況で何を言っているのだこいつは・・・。

と言うかお前は兄の命令で私を助けに来たのではないのか?どうしてケーシーと契約などと?

いや、そんな事はどうでもいい。あまりよろしくはないがどうでもいいことにしておこう。


治療の報酬・・・ケーシーを貰い受けたいとは一体・・・はぁっ!?

もしかして嫁にしたいと言うことか!?

あんなに力強く抱きしめた私を差し置いて!?


待て待て待て、あれだな、きっと私とハリスの間に何らかの意見のすれ違いとかそう言うモノが有るに違いない!

そう、言葉通りに受けとるのではなく隠された意味があるはずだ!

今こそ『行間を読む』能力が試される時!


・・・

・・・

・・・


ああ!なるほど、そういう事か!


あくまでも兄の名前は出したくないと。

そもそも私があの様な不甲斐ない状態だったからついつい愛しい皇女様が心配で姿を表してしまったが本来なら影から支援する存在だっただろうしな。

まったく、少し帝国に対して忠義が過ぎるのではないだろうか?


お前は皇女の命を救ったのだぞ?そこはハッキリと『貴女が欲しい』で良いではないか!

いや、しかし私は王国貴族に嫁ぐ身・・・ハリス、お前のその思いを受け止めるわけにはいかぬのだ・・・。


でもあれだ、一応?そう、一応だな、『私も一緒に攫って逃げちゃう?』的な?感じの話を・・・ふむ、量より質?

それはもう完全に求婚の言葉として受け止めて構わないよな?

だって『質』と言う物において私はほとんど最上級の女なのだからな!!

でも間違ってると恥ずかしいので王国と皇国の行き遅・・・王女たちのことも話に出しておこう。


・・・特に興味を示さぬな。と言うよりもその生暖かい反応は一体何なのだ?

物はついでに帝国の美女の話も・・・いらない?そうかいらないのか。

そうだな、うんうん、わかる、わかってるぞ!

私がいれば他の女などいらないものな?

いや、しかし、もしかしたら・・・ほら、あの、なんだ、貴族の嗜み的な?ぶっちゃけて言うと男色的な趣味も・・・絶対に無いと。


そうか、ハリスは『麗しい乙女(つまり私だな!)』が心の底から大好きと。

さ、さすがに恥ずかしいから人前で、そこまで大きな声で言い切らなくとも・・・大丈夫、ハリスの気持ちは十分に伝わっているからな!


・・・しかし、いくら2人の気持ちが通じ合ったとしても・・・私は皇女なのだ。

迷宮から迷い出て来たあの化物をこのまま放置したまま好いた男と2人幸せになることなど出来ぬのだ。

せっかく身体の傷を、それ以上に心の傷を癒やしてもらったのに、その恩にも報いず死地に向かう私を薄情と思ってくれるな。

せめてもの礼・・・そして私の死出への想い出にと、そっと唇を重ねようと・・・避けた!?おい、この男、今私の唇を避けたぞ!?


「いや、だってそういうのは結婚してからしかしちゃ駄目だって教育されてますので」


・・・確かに。

何なのだ!ハリスは身持ちまで固いのだな!

しかし時と場合と空気くらいは読んで少しくらいは流されると言うのも・・・良いとは思わぬか?

まったく、本当にお前はどこかの成り上がり侯爵とは大違いで素晴らしく、そして愛らしい男の子だな!

そう、それでこそ皇女の婿に相応しい男と言う物。

あと後ろで笑ってる連中、あとで強めにしばくからな。・・・もし、あとがあればだが。


精一杯の笑顔を彼に向け、別れの挨拶の後ヒュドラへと向か・・・おうとした私達をその手で押し留めるハリス。

そして優しげな表情で少し呆れたようにため息一つ。

何を思ってか護衛である2人、黒い鎧の2人に私達の護衛を命令すると・・・普段どおりに、見知った街を歩くように、何事でも無いように前に足を進める。


まさか・・・まさか一人で立ち向かうというのか!?

いくら、いくら惚れた女の前だといえど無謀が過ぎるぞ!?

何なのだ、何なのだそれは!?可愛いだけではなくかっこいいとか卑怯ではないか!!

これが戦場に夫を送り出す妻の気持ちか・・・何という、何という誇らしさ!

でも、それ以上に何という胸を締め付ける痛み・・・。


しかしそんな私の想いとはウラハラに彼の背中から感じるこの安心感は一体・・・。

駆け出す彼にせめて届けと心の底から勝利を願う。

そして彼の身に何か会ったときには私も後を・・・。


・・・

・・・

・・・


結果?


かすり傷一つなく剣一本であの化物を倒したさ。

自分で、この目で何一つ見逃さぬように、瞬きすら忘れて見つめていたはずなのに・・・何が起こったのかまったく理解出来ぬ・・・。


腰の剣を抜き、その身の丈の何倍もあろうかという亜竜と対峙する小さな英雄。

そこに襲いかかる憎きヒュドラの首。

噛みつかれ、飲み込まれたかと、彼を失う恐怖で目を閉じようとした私の瞳に写ったのは――ただそこにあるハリスの姿と『どぅ』と音を立てながら落ちるヒュドラの首、首、首。


兵達の剣が、槍が、弓が、傷すら付けること能わなかったその鱗、その体を意に介することもなく次々と斬り落としてゆく、その舞うような剣の煌きのなんと美しいことか!!

・・・とりあえずケーシー、これほどの物は無い程に素晴らしい心持ちで好いた男を見つめている私――の隣で尻尾を振り回しながら盛のついた犬の様な甘えた声で吠えるのはやめろ!気が散る上にハリスが汚されている気がする!



しかし・・・あれなのだな、ヒュドラは首を斬られるとその傷口から新たな首が生えると言うが・・・それは自らの身を消耗しながらの再生だったのだな。

次々と間断なくハリスがその首を落としてゆくものだから最終的には首から下、体と足の中身(肉や骨。内蔵などはどうなっているのだろうか・・・)までが首の再生に回され皮と鱗だけになり残された首が『ウネウネうごくえのき茸の塊』みたいでとてつもなく不気味だったぞ・・・。


強大な化物の討伐、そしてそれを成し遂げた愛らしい私の英雄を称える衛兵隊の歓声。

まぁ当の英雄殿は戻ってきた途端に護衛の娘に危険なことをするなと叱られておったがな。うむ、とても心がモヤっとする!!

さて、命を救われ、街を救われ、そして皇女としての名誉まで救われた男に私は一体何を差し出せば釣り合いが取れるのだろうな?


「まぁただのアフターフォローと気まぐれだから素材を全部回収させてもらえたら問題ないよ。ちなみに鱗一枚でも盗む奴がいれば連帯責任で近隣を焦土にするけど」


くっ、お前はこれだけ私に恩を売っておいてまだ照れ隠しでしてその様な事を言うのか?

私も人のことは言えぬが・・・少しは己の心に素直になった方が良いぞ可愛い。


―・―・―・―・―


皇女殿下、思い込みが物凄く激しくなってると言いますか、記憶に改ざんが起こっているといいますか、恋に恋する乙女状態と言いますか、見たくない部分は見ない状態と言いますか(笑)

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