異世界ドイツ帝国。その他の国家はどうなったか~ブルガリア王国編~

皆さんこんにちは。ヴィクトルです。

今回はブルガリア王国の考察です。はい

さすがに今日は疲れているのであまり書けませんが許してください


それでは今回はブルガリア王国を考察していきましょう


ブルガリア王国の前身であるブルガリア公国は列強の思惑で領土を

削られ、自治権は得たものの国内には不満が残りました

そんな中1908年に宗主国オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発する

とオーストリア=ハンガリー二重帝国の助力を得てブルガリアは独立

1909年4月19日にオスマン帝国はロシア帝国との戦争の賠償を肩代わり

するという条件でブルガリア政府と議定書を交わしブルガリアは名実

共に独立国となりました。


その後、ロシア帝国を後ろ盾としたバルカン諸国とオスマン帝国との

対立が激化。ブルガリア王国はセルビア王国、ギリシャ王国、

モンテネグロ王国とバルカン同盟を締結します

そしてモンテネグロ王国が1912年10月8日にオスマン帝国に対し宣戦布告

を行い第1次バルカン戦争が勃発するとブルガリアはこれに参戦して勝利

し領土を拡大しますがマケドニアの領有をめぐって同盟を結んでいた

セルビア王国、ギリシャ王国と対立してしまいます。


結果、こうした戦後処理の不満が原因となり1913年に2次バルカン戦争が

勃発、同盟は破綻しバルカン半島で再び戦争発生します。さらにこの戦争

でブルガリアは敗北し、マケドニア、ドブロジャ地方、東トラキアを失う

ことになります


1915年10月に第二次バルカン戦争でセルビア王国に奪われた失地の回復を

目標にに中央同盟国のドイツ、オーストリアとともに連合国のセルビア

王国へ攻撃しましたが敗戦を喫することになります

ヌイイ条約でエーゲ海沿岸を同じく連合国の一員だったギリシャに割譲し

敗戦後はブルガリアの政局が混迷したためボリス3世による親政が行われました



さてドイツ帝国が第1次世界大戦で勝利していたこの世界ではどうでしょう?

ブルガリア王国は中央同盟国にブルガリアにマケドニア、ドブロジャ、

東トラキアの獲得を約束していました。ただオスマン帝国との関係は悪化した

でしょう。



余談ですが...

ボリス3世の息子であるシメオン2世は

ブルガリア共和国の首相にでもありブルガリア王国最後の皇帝でもあります


という事でこのシリーズはこれでいったんおしまいです。

ただまだ考察(人物とかそのあたり)したい部分があるので

このまま続けるます。

次回は恐らく来週の水曜日までには出ると思います

ここまで読んでいただいた方はありがとうございました!

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