ドイツ帝国は勝利できるのか?②
皆さんこんにちは。ヴィクトルです。今更ですがこのペンネームの由来はヴィルヘルム2世の全名の一部なんです。ヴィルヘルム2世の全名は「フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・アルベルト・フォン・プロイセン」と言う名前でそこから気に入った「ヴィクトル」だけを取りました。ごめんねヴィルヘルム2世
さて前回は無限潜水艦作戦の中止まで行きましたね。
西部戦線はパリの手前で攻勢が止まったドイツ軍ですが東部戦線(ロシアとの戦線)
ではわり快調に進撃していました。一方無限潜水艦作戦の停止が1916年1月になって
また再開しました。どうも軍は5ヶ月近くヴィルヘルム2世を説得し続けたみたいです
なかなか気合が入ってますね...1915年に入ると西部戦線は地獄と化します。
なんと人類で初めて毒ガスが使われたのです。1915年4月22日の攻勢でドイツ軍が
毒ガスが使いました。この攻撃による死者は毒ガスだけで死者約1,200人、負傷者約3千人
と言われています。この時の毒ガスを作ったのはフリッツ・ハーバーというドイツの化学者
で彼は空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法で有名です。のちに
このハーバー・ボッシュ法でノーベル化学賞を受賞します。
一方で東部戦線ですが
ここにも毒ガスが使われましたが、西部戦線よりもロシア軍の被害が大きかったようです
原因としては、ロシアの工業化が大きく遅れていたことです。英仏はすぐにガスマスクを
制作し、前線に配りましたが。工業力の低いロシアでは工業力の高い英仏のようなことは
できず。ただただ蹂躙されていきました。国内で不満がたまった結果、十月革命が発生し
ロシアとは最終的には1918年3月3日にブレスト=リトフスク条約を締結しました
条約によってロシアは第一次世界大戦から正式に離脱しさらにフィンランド、エストニア
ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、ウクライナ及び、トルコとの国境付近のアルダハン
カルス、バトゥミに対するすべての権利を放棄し、トルコとの国境地域を除くそれらの地域
の大部分は事実上ドイツ帝国に割譲されました。ドイツ軍の影響下に入った地域では、次々
と独立国家が誕生しました。
ブレスト=リトフスク条約を締結したことでドイツは一つの戦線に兵力を集中できるように
なりました。西部戦線のドイツ軍は147個師団から191個師団に増強、一方連合国軍は178個
師団しか配備されていませんでした。1918年3月21日の早朝、ドイツの春季攻勢が開始されま
した。またの名を「皇帝の戦い」とも言います。ちなみにヴィルヘルム2世はこの3月24日を
休日とすると宣言しています。ドイツ軍はこの攻勢に合わせて史上初の短機関銃として開発
された「MP18」約10,000挺とドイツ軍初の戦車であるA7V 20輌、列車砲のパリ砲 などの新兵器を
準備しました。さらに新戦術として浸透戦術が用意されました。これは「注意深く調整されて
いるが短く強烈な砲撃により敵を混乱させ防御システムを無力化させそこに攻撃の先鋒を務め
る突撃大隊を投入する」という物ですがザックリ言ってしまうと戦車のない電撃戦です。
攻勢初期は快進撃を遂げたドイツ軍ですが戦線が膠着化しは再び消耗戦の様相を呈してきた
ところに総勢210万人のアメリカ軍の到着し、ドイツの勝機はここで一気に失われてしまいます
A7V戦車も、撃破されたり、行動不能で放棄されてしまい、運用されたのは50日あまりだったそ
うです。連合国軍側が合計で6,000輌あまりの戦車を投入可能であったのに対してドイツ側は
20輌のA7Vと併せて鹵獲戦車部隊100輌弱程度しか投入できずこれでは大きく戦局を転換させるこ
とはできませんでした。
しかし勝機がなかったわけではありません。
もしも無限潜水艦作戦を中止させてアメリカが参戦してこなかった場合。この戦力差は
少しは縮まるはずです。さらに指揮系統がバラバラだったらこの作戦でドイツ軍は勝利を収める
ことができたかもしれません。
次回はこれをもとにようやく本題に入っていきたいと思います。(ここまで来るのが長い)
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