ドイツ帝国は第一次世界大戦で勝利できるのか?①

どうも、ヴィクトルです。

相も変わらずクソ忙しい中こんなものを書いてるせいで

12時くらいまで起きてます。まあ楽しいしドイツの歴史

の復習にもなるので別に苦じゃないんですけどね...

前回は戦前のドイツ帝国の状況について軽く解説した

ところまででしたね



1914年6月28日にサラエボを訪れたオーストリア=ハンガリー二重帝国の


皇太子がセルビア人青年に暗殺されるとドイツは二重帝国を脅して


「セルビアに宣戦布告しない場合はドイツは二重帝国との同盟を切る」


的なこと言い。この当時頼れる頼れる列強がドイツぐらいしかなかった


二重帝国はこの要求を受諾してセルビアに宣戦布告します。


ですがこの当時のサラエボ事件はオーストリア人の間では反応が薄く、


ほぼ無関心に近い状態だったそうでウィーンの大衆はまるで何も起こら


なかったように音楽を聴いたりワインを飲んだりしていましたが帝位継


承者の暗殺という事件は政治には大きな影響があり夫婦とは個人的には


親密ではなかった当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は衝撃を受けてうろ


たえたと言われています。




しかしここで疑問点があります


なぜドイツは二重帝国にセルビアに対して宣戦布告するよう求めたの


でしょうか?わざわざバルカン半島に介入してもドイツには何の利益もあ


りませんし何よりセルビアの後ろにはロシア帝国がおり、戦争となれば


ロシアからセルビアへの軍事援助が予想されます。理由はいくつかあり


まずは「ドイツ軍のロシア軍に対するする」ということと


「二重帝国を確実にドイツ側に繋ぎとめておかなければならない」という事です。


まずは「軍事的優位が消滅」という事ですがこれは軍部全体で「1916年か1917年


にはドイツ軍のロシア軍に対する軍事的優位が消滅する」という考えが広まり焦り


が軍部で広まった結果、皇帝であるヴィルヘルム2世はじめ政治指導者も焦り始め


たことです。参謀総長の小モルトケが「戦争は早ければ早いほどドイツに有利である」


と述べている事からこの考えはかなり広まっていたことが伺えます


そして「二重帝国を確実にドイツ側に繋ぎとめておかなければならない」という事です


がこれは二重帝国がドイツに残された最後の同盟国であり、同盟国の動揺はドイツに


とって死活問題であるためであり確実にドイツ側に繋ぎとめておかなければならなく


さらにはロシアが3B政策の妨害をしてこないよう抑えつけておきたかったというのも


あります。ちなみに3B政策と言うのはヴィルヘルム2世によって提唱されベルリン


(Berlin) ・ビザンティウム (Byzantium、イスタンブールの旧名) ・バグダッド


(Baghdad) を鉄道で結ぶという19世紀末からのドイツ帝国の長期戦略の事を指しますが


もっともこれは後世になって一種の語呂合わせ的な言葉として生まれた言葉だそうです


ドイツはこの政策が原因でイギリスとの関係を悪化させています。いったいどうやった


ほぼ全方位に敵を作ることになるのでしょうか...


それはともかくドイツは開戦初期は快進撃を続けましたが「シュリーフェンプラン」に


基づいてドイツ軍は西部戦線を主戦場としてベルギーを通過して北フランスに進撃を試


みますがロシア軍に対処するため二個軍団を西部戦線から引き抜いて東部戦線へ送った


結果「シュリーフェンプラン」が求める西部戦線の右翼の強化がうまくいかなくなり


連合軍の反撃においてドイツ軍の侵攻は完全に停止します。これによりドイツに迅速な


勝利を約束するはずだった「シュリーフェンプラン」は早々に挫折しヴィルヘルム2世は


小モルトケを更迭し代わりの参謀総長を任命します。




さてここから歴史の分岐点を考えていきたいと思います


まず「シュリーフェンプラン」が成功するかどうかですが不可能に近いと思います


そもそもこの計画自体無理がありました。「周回運動の外周部にあたる第1軍の進軍はお


よそ1日あたり40km程度必要であったのに対し歩兵の進撃速度は最大で25km程度」


「予想外に早かった東部戦線でのロシア軍の攻勢」「量的優位性の消失」「ベルギ


ー軍による予想外の抵抗」など上げ始めると切りがありません。つまりここでの勝


利は不可能です。次のターニングポイントは「無限潜水艦作戦」です




無限潜水艦作戦


1914年の開戦当初、強力な水上艦戦力をもたないドイツ海軍は通商破壊を水上艦では行えず


敵の強力な水上艦隊の勢力下でも作戦行動が可能な潜水艦がこの任に最適だと考え。


Uボートが作られます。しかし開戦時期のUボートの評価はそれほど高いものではなく、あく


までも補助艦艇という位置づけでしたがそれを一変させる出来事が起きます。オットー・


ヴェディゲン大尉が指揮するU9がイギリス海軍の装甲巡洋艦3隻を立て続けに撃沈。さらに


オットー・ヘルジンク大尉が指揮するU21がイギリス海軍の戦艦2隻を撃沈し各国海軍を驚愕


させました。これらの戦果に自信を付けたドイツ海軍は、1915年2月にイギリス周辺の海域を


交戦海域に指定しイギリスに向かう商船に対して攻撃する無制限潜水艦作戦が始まりました


しかしその3か月後に英国船籍の豪華客船ルシタニア号を無警告で撃沈し1,198人の犠牲者を


出すとわずか半年で中止されましたが1917年1月には再び再開されています




ここでまた分岐点が出てきます


もしもこの時無限潜水艦作戦を再開していなかった


実際、当時の皇帝ヴィルヘルム2世と宰相は「アメリカの参戦でドイツにとって不利になる」


としてこの作戦に消極的でしたが軍部首脳陣がアメリカを過小評価していたことにより


それらの慎重な意見を押し切って無制限潜水艦作戦を再び実行に移しましたがこれがあだと


なってアメリカが連合国側で参戦する一因となります。もしも再開しなかったらアメリカは参戦


せず。ドイツはアメリカからの増援を気にせずじっくりと英仏を相手することができたでしょう




今回はここまでです。次回は無限潜水艦作戦中止後の展開について考えていきたいと思います


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