第2話 干支
昭和四十一年、丙午。
これが私の生まれ年。今は気にする人も少ないけれど、私の子どもの頃は周囲の大人たちから損な年に生まれたものだと言われ続けた。午は午でも丙午は特別だ。旦那を喰い殺してしまうという逸話通り、私はとても気性が荒い。人付き合いが苦手で、他の人と交わる経験も少なかったために普段は引っ込み思案な面が表に出ているけれど、本当はとても気が強く、一度怒り出したら手がつけられない。おまけに頑固ときているから、いつまでも嫌な思いを引きずってしまう。あっさり忘れて次へ進めば良いものを、頭の中で同じ場面が繰り返され、その後に嫌な思いが心の中に刷り込まれてしまう。嫌な性格だ。
私は自分が嫌いだ。わりと好き嫌いがはっきりしていると思う。なのに誰かに強く出られると、つい自分の気持ちを押し込めてしまう。特に頼まれ事は苦手だ。どんなに嫌だと思っていても断れない。ところが、相手がどれだけこちらの事を考えてくれているかといえば、あちらはさして何も考えてはいないのだ。引き受けた分だけ自分が嫌な思いをする。わかっているのに、なかなか自分の気持ちを前に出せない。だから後から愚痴が出る。ぐずぐず言うのは嫌なのに、同じ事を繰り返す。時に思い切って強く出てみても、自分のした事を思い返して、やっぱりぐずぐず考えてしまう。そんなもやもやが怒りと共に爆発する。そのせいか、私は怒り出すと自分でさえも止められない。
一番厄介なのは、そんな私の遺伝子を受け継いだ子ども達だ。自分と同じ欠点を目にすると、身体の奥から沸々と怒りがこみ上げて来る。私の言葉に反発する彼らの態度がいっそう私の怒りに火をつけて、冷静さを失った感情はまともに彼らに襲いかかって傷付けようとするのだ。頭の片隅ではこのままでは危険だとサインを送っているのに、怒りは力を弛める事もできずに突き進むしかなくなってしまう。今思えば、もう少しで事故に繋がるような場面もあったのに、大事にならずにすんだのは、ただ運が良かったというだけの事だ。虐待なんて言葉で表すと、もの凄く特別な事の様に思えるけれど、多分その殆どはごく普通の親子に起きた、ちょっとした気持ちやタイミングの“ずれ"から始まっているのだと、そんなふうに思えて仕方がない。
多くの母親は追い詰められている。夫を仕事に奪われ、子どもは日々新しい問題を運んで来る。時代は進化し過ぎて親の世代の理解を超え、母親は誰にも相談出来ずに孤立してしまう。誰かその胸の内を察してあげる事が出来たなら、彼女はどんなにか救われるだろう。周囲が思っているよりも事態は切迫している上に、時間の猶予を与えてはくれない。その都度何か答えを出さなければ、先へも進めない。たとえ自分の出した答えに自信が持てなくても、そうして先へ進むより他に道はないのだ。そんな状況に置かれている母親はきっ多い。夫はもっとそういった家庭の状況に、目を向けるべきなのだ。
今や家庭の平和は母親一人の肩にはとても重過ぎて支え切れないという事を、世の男性達はもっと知らなければならない。子育ては母親の仕事。そんな時代は、もうとうに過ぎ去ってしまったのだから。
平成十七年 記
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