わたくし日記

@okaeri333

第1話 大人

 長女を授かって三年後、私たちのもとに新しい命がやって来た。私たち夫婦は二児の親となり、嫌でも大人の顔をしなければならなくなった。これはかなりのプレッシャーだった。私はいつまでも大人になりきれずにふわふわと風に揺れる風船のような自分を持て余していた。三十半ばを過ぎた今でもそれはあまり変わらない。私の頭の中は思春期と呼ばれた頃からあまり成長していないのかも知れない。私はどこかで大人になる事を拒んでいる。

 大人の世界はどこか汚い薄汚れた印象。純粋なものは排除されてしまうようで怖い。それでも足を踏ん張って頑張っていると、今度は修復不可能なほどに打ち砕かれる。私は今そんな大人の世界に身を置いている。学生から社会人になって大人になった。収入を得る事で経済的にも自立し、自由を手に入れた。そこに生きているのは確かに私自身。全ての結果は我が身に降りかかって来る。〇〇さん=私。名前で呼ばれる事の潔さ。

 生きるのが下手な私はずいぶん損もしたし、嫌な思いもして来た。要領良く生きている人たちを横目に見ながら、自分の不器用さを恨んだ事もある。だけど、それでも自分が上手に立ち回るような生き方をするのだけはどうしても嫌だった。バカを見る事がわかっていても、自分の気持ちを騙すような事は出来ない。わかる人だけわかってくれればそれで良い。そんなふうに考えて自分を貫き通してしまった。中にはそんな私を気に入って可愛がってくれる人もあったけれど、それは大抵ずっと年上の人たちで、同年代の人たちとはいつも馴染めずに淋しい思いをする事も多かったように思う。私は何処かで意固地になっていたのかもしれない。自分の事だけ考えて、上手に上手に生きて行ける。そんな人たちが本当は羨ましくて、そう出来ない自分に反発していただけだったのかもしれない。私はいつも彼女たちと距離を置いて、決して自分からそこへ加わろうとはしなかった。

 かなしいかな、大人の世界ではそうして誰かの力を利用できる人ほどいい目を見る。要領良く生きられる者が勝ちなのだ。だからといって私がそんなに正直者かといえば、実はそうでもない。自分を守る為に都合の良い嘘をつく事もある。それでも、私は彼らのやり方をやはり心の何処かで嫌悪している。それは何でも自分ひとりで抱え込んでしまう自分自身への歯痒さの裏返しなのかもしれない。

 独身の時はまだ良かった。何事も自分に戻って来る。けれど子どもを持ってそれでは済まなくなった。事は次から次へと周りを巻き込んで行く。例えば学校で子どもが倒れたとする。それだけの事が何事かと思うほどの大騒ぎに発展しまう事がある。そして一度騒ぎを起こした子は、その後もずっと偏見の眼差しで見られる事になってしまう。けれど、本当に騒ぎを起こしたのは子どもではない。だって、それを騒ぎ立てたのはその時その近くに居た大人たちなのだから。初めにそばにいた大人たちの対応ひとつで事態は大きく変わってしまう。私はそれが怖くてたまらないのだ。

 親になると大人の顔を強いられる事が増える。自分が大人になりきれていないのに大人として振る舞わなければならない時、私はいつも困惑する。幸か不幸か、私は大きな騒ぎの当事者になる事はなかった。だからそんな時親がどんなふうに事に当たるのか、それを導き出す引出しが見つからない。子どもの頃の私はよく貧血を起こして倒れた。遠足でもすぐ気分が悪くなってひとりだけ別行動になる事もあった。長時間立っているとそれだけで血が下がって貧血を起こしてしまう。ところが、検査を受けてもいつも結果は異常なしだ。小学校では数え切れないほど保健室のお世話にもなったが、それで母が学校に呼び出される事もなかった。いつも気分が落ち着くのを待ってひとりで家に帰る。それで終わりだ。『今日お嬢さんが学校で倒れました』なんて連絡が家に入る事もない。私の母は勤めに出ていたから、連絡が入ったところで迎えに来てくれるわけでもないのだけれど、近頃では職場へでもお構いなしに『迎えに来て欲しい』と連絡が入るらしい。学校は事が起きた時の責任から逃れるのに必死なのだ。

 私が六年生に上がる年、弟が小学校に入学して来た。弟は社交的でわんぱく。すぐに友だちも出来て楽しそうだった。けれど少しだらしのないところがあって、学校でも忘れ物が多かった。母は楽天的であまり細かい所には気がいかない性質(たち)だから、学校の連絡もさして気にしていなかったのだろう。度々の忘れ物に、私が弟の担任から呼び出しを受けるようになった。私の言葉を受けて、その時ばかりは母も弟に注意するのだけれど、用意すべき物はとっくに何処かに失くしてしまっていて弟は持っていない。結局、私が自分のモノを貸す事になる。けれど私の手を離れたモノたちが、無事に私のもとに戻って来る事は一度もなかった。それでも私は弟にモノを貸し続けた。もちろん何度も断ったけれど、母に泣きつかれて渋々承知した。その後も弟の担任は何か問題が起こる度に私を呼び出した。母が勤めに出ていて連絡が取れないからと私に状況を説明し、家庭での対応を求めつつ弟を帰してよこすのだ。

 私はこれがたまらなく嫌だった。私は親じゃない。弟の行動の責任まで負わされるのではたまらないと抗議した。ところが当時の母の言葉は、ただ私を落胆させただけだった。

『いくら嫌でも血の繋がりだけはどうしようもないのよ。あなたの弟なんだから我慢してあげて。』そう言ったのだ。

違う。そうじゃない。私が言いたかったのはそういう事じゃない。心の中で何度もそう叫びながら、私は母に期待する事を諦めてしまった。これは母親が、あるいは父親が対処すべき問題で、その度に私が、私だけが振り回される事に納得がいかなかったのだ。けれど母はそういった事には全く気づかずに、ただ私に弟のだらしなさを許してやれと言った。

 この母のおかげで、私は子どもの頃からずいぶんと大人の役割をさせられて来た。反面誰かに頼ったり甘えたりした経験が乏しいから、精神状態はいつも不安定で心は拠り所を求めていた。私が大人になりきれないのは、自分に自信が持てないからだ。弟が成長し、私も親の代理から解放された。やっと自分の事だけ考えれば良い、普通の子どもの立場に戻る事が出来た。収入を得る事で自由も手に入れた。なのに手にした結婚という名の幸せは、再び私に大人という役割を与えてよこした。今度は死ぬまで逃れられない親という名の責任。また責任と役割に縛られる毎日。自分の事だけを考えて生きられる時間の素晴らしさ。周囲の友人たちは、皆たっぷりと子どもとしての時間を過ごしている。だからこそ、自分に自信を持った大人になれるのだ。でも私は、ただ背伸びの大人の役割を続けているだけ。何かに裏打ちされた自信なんて持てるはずもなかった。

 父はともかく、母は上手に手を抜いてその責任の一端を私に押しつけて来た。けれど母にその自覚はない。母は充分に母親としての役割を果たし、私がここまで何事もなく過ごして来たと信じている。時々私が子どもの事でグチをこぼすと、母は平気な顔で子どもは皆そんなものだと言ってよこす。私はその度心の中で、『えー、私は親に面倒をかけないように、ずいぶん色々な事を我慢して来たのになぁ。』と思う。こんな事なら、遠慮なんかせずにたくさん我儘を言っておけば良かったのだ。今となっては遅いけれど、もし母が今の私と同じ立場に立たされたら、とても自分の仕事など続けてはいられなかっただろう。授業参観も、欲しい物も、ときには親の愛情さえも我慢して、何でもすぐに手に入る弟を妬ましく思った事も一度や二度ではなかった。

 だからこそ、私は今自分がここにいる事を誰よりも褒めてやりたいと思っている。子どもはやはり子どものままで、その時間を充分に与えられるべきなのだ。私は誰に対しても心を開けずにいる自分を知っている。愛して欲しいと言えなくて、絶望する前に扉を閉めてしまった弱い自分と今も闘い続けているのだから。

 この『大人』を書いてから更に時間が過ぎて、現在の私は五十代に突入した。時折、母にあの頃の私はこんな事が嫌だったんだと話す事がある。そして大人の役割も、また私を試すように何度も何度もやって来る。それは結婚前後を問わず繰り返しやって来る。もう何処からどう見ても大人の私に、大人を拒む言い訳のしようもないけれど、老いていく母を前に私の中の闘いは未だ続いている。

            令和三年十月

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