第7話 淫魔の末裔
オレたちのキスに呆気にとられたのか、それとも別れの挨拶をする時間を与えようという慈悲なのか。
一郎は恭介から手を離してしばしオレたちを眺めていた。
オレの方は意識が混濁していたので恭介のことしか頭になく、彼のあどけない笑顔に夢中になっていた。
こんな状況で発情するのはおかしいだろう。そもそもオレも恭介も男同士なのだから、この感情を発情と呼ぶのも何かがおかしい気がする。
だがそれでもこうしているだけで胸のドキドキが加速していく。心臓に直接ボスミンを注射されたかのようにバクバクと胸が暴走し、体中に血液と精気が駆け巡った。
依存性のある薬物でもここまでの効果はあるまい。
「もういいぜ恭介。急に変なことをして済まなかったな」
心のなかでは小一時間。実際には一分ほどのキスを終えたオレは恭介を離した。
「お兄ちゃんとなら嫌じゃないからいいよ」
無礼を詫たオレに笑顔を返す恭介はこれで大人の女性ならそのままベッドに押し倒したくなるほど可愛い。
いや、今すぐ押し倒せるほどにオレは彼の虜になっていたし、なんなら押し倒せるだけの精気が今のオレには満ちていた。
どうやら恭介とのキスでオレの精気が回復したらしい。
今まで学生時代に同級生からからかわれてマドカと変な空気になったときにも、付き合いで行ったキャバクラで女の子相手に羽目を外したときでもこんなふうに回復したことなどなかった。それが恭介の唇を奪っただけでこうも回復したのだから摩訶不思議に感じてしまう。
これが恭介がワラシと呼ばれる理由。正確には隔世遺伝した淫魔の末裔としての力であると、このときのオレは知らなかった。
「それ以上はいけねえ!」
そしてオレたちを眺めていた一郎もそれに気がついたようだ。
オレを見逃すなんて甘いことは言っていられないとばかりに抜いた刀に精気をまとわせて、恭介を避けるようにオレの首筋を狙って突いた。
「悪いな」
だがオレも精気が回復したのだからこの状況も問題ない。
恭介ごと包むバリアを作動させたオレは刀の切っ先を弾き、そのまま一郎を吹き飛ばした。
距離ができたところでゆっくりとオレは立ち上がると、恭介に「後ろに隠れていな」と格好をつける。
恭介もオレの精気が回復して流れが変わったのを感じたようで、「うん」と可愛く頷いてから素直にオレの後ろに下がった。
ビシッという音を立ててから地面にカチャリと落ちたのは左腕のバリア発生装置。
精気が回復したばかりで咄嗟に使用したからか、装置が耐えられないほどの精気を注いでしまったようだ。
「ようやく本調子でございますか」
「ああ」
まさに本調子。
それどころか一度死にかけてから回復した反動なのか絶好調をも超えていた。
意識して抑えなければ漏らしそうなほど満ち足りた精気が充填された黒き魔槍は掌の中で熱を帯びて早く撃てと訴えてきた。これなら素早い一郎が相手でも追尾できるあの弾も放てる。
「必死にかわせよ、ムカデの旦那ぁ!」
引き金を弾くと銃口から真っ黒いエネルギー波が槍のように迸った。
オレが恭介くらいの頃に見たアニメの主役が使う技に憧れて考案した黒い流星。
オレの精気が漆黒の突撃槍となって一郎目掛けて放たれた。
先程の避け方を考慮して狙い所は胸と足元の二発。バンバンと音が響く。
「カカカ!」
だがそれに対応して一郎が取った対抗手段も予想を超えてきたか。
これまでの動きから腹這いにならなければ高速移動できないと思っていた腹巻きの力を立ったまま使用したのだ。
プンという音速を超える音が聞こえてきた。
俺の突撃槍も超音速ではあるが、人体ほどの体積が音速を超えたということはアレが発生するのが物理法則か。
ソニックブームに絡め取られた周囲の風が竜巻となってオレを囲い込んだ。
プンプンプンプンと煩い音を立てながらオレの動きを一郎は封じてしまう。
「カイトお兄ちゃん……」
この竜巻に恭介も巻き込まれておりオレの足にしがみついてきた。
心配そうに震える彼を安心させたい。
「大丈夫。こんな竜巻を起こしたら、向こうも責められる場所が限られるさ。それにな……黒い流星は二回曲がるんだぜ」
オレは銃に次の弾を込めつつ、先程放った二発の突撃槍に念を送った。
一発は正面百メートルほど後ろの木に突き刺さっている。もう一発はアスファルトを抉っている。
通常ならば的を外れたこれらの弾丸は雲散霧消しているハズなのだがオレの突撃槍は簡単には消え去らない。
それだけこの弾丸に込められた精気は濃密で仕掛けも施してあるわけだ。
ここで唐突だが子供時代……十五年以上も昔にオレが憧れたとあるアニメの話をしよう。
主人公の使用する黒いビームのような攻撃には二回まで相手を追尾するという効果が付与されていて、遠距離から狙い撃つ戦いを得意としていた。
この弾丸はそんな主人公への憧れを大人になっても抱き続けたオレが考えついた答え。
流石にホーミングこそできないが、発射後にオレが念じた方向に二回まで再加速する能力が付与されていた。
さあこの竜巻の中ではオレたちも身動きができないが、相手も攻め込める場所は一つだけだ。
その場所はオレが直接狙うから、お前たちは保険になってくれ。
「当然そこだよなあ!」
次に放つのは一郎が生み出した竜巻の直径に近い極太の弾丸。突撃槍のように名前をつけるのならば破城槌だ。
一瞬キラリと白刃が月明かりに照らされたのを見てからオレは銃口を上に向けて引き金を弾く。
見た目は派手だがエネルギー密度は精気相転移を破ったときほどではないので一発くらいではオレもへこたれない。
だが竜巻が巨大な銃身の役目も果たしたようで、本来なら距離が離れるにしたがって範囲が広まるぶん拡散する衝撃が竜巻の太さまでに固定された状態で一郎に襲いかかった。
竜巻もソニックブームでかきまわす一郎の動きがない状態で内側からオレの銃撃で広げられて散らばっていく。
このまま一郎も竜巻も消えてくれれば楽なんだが。
「こいつは驚いた」
端から上に向けて撃ってくることなどお見通しなので白々しくオレを煽る一郎。
竜巻の外にすぐに出て破城槌をかわした一郎は自由落下していたようで、ちょうど竜巻がかき消えて視界がクリアになったところで着地してオレと目が合う。
そのまま腹巻きの高速移動で間合いを詰めればオレの首にあの刀は届くだろう。
腹巻きがなくてもあと数歩なので、これまで見た一郎の身のこなしのキレなら届くかもしれない。
「お別れでい」
勝ちを確信したのか、別れのセリフを呟く一郎はニヤリと笑う。
オレは眼前に迫る彼の顔をじっと捉えて突撃槍に念を込めた。
先程も説明したとおり突撃槍は二回まで再加速できる。
いかに一郎の動きが超音速であろうともオレの突撃槍も負けてない。
「ニィ」
逆手に構えた一郎の刀がオレの首筋に触れて、三人目の血脂吸った白刃は濁りきった。
そして一郎は微笑んだあとに顔を一瞬歪めるとそのまま地面に倒れる。
彼の背中には再加速して飛来してきた日本の突撃槍。
二つの傷口からは先程まで張り詰めていた筋肉によって絞り出された彼の血が勢いよく吹き出した。
「これで決着だ」
オレは倒れた一郎に向けて繰り返し破城槌を放った。
強敵だったからこそ念入りに、なにかの間違いで生き返って襲いかかってこないように。
下手な三下が相手ならば一撃で肉体を塵一つ残さず砕いて証拠隠滅するところだが、オレは一郎を警戒して息の根が止まったのがわかるまでは餅つきの杵のように槌で一郎を突き続ける。
最後にオレは精気を蓄えた一撃で一郎の死体をいつものように消滅させてこの戦いの終止符とした。
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