第6話 染まる白刃

 オレは地面を素早く這って動く一郎に追撃をするのだがその動きはオレの予想を上回る。

 殺すつもりで放った二発の弾は虚しく地面を抉るだけに留まり、左右に動いてフェイントする一郎はまるでゴのつく虫のよう。

 向こうも正面から斬りかかっても、その独特の姿勢故に防せがれると見越しているようだ。

 特殊な術を身に着けていないようなので精気だけで判断すれば喜久子のほうが危険そうではあったがとんでもない。彼は今夜出くわした敵の中で最も強い。


「クソっ!」


 オレは更にもう一発を撃ったがこれも空振り。

 その瞬間、目が乾いて霞む感覚に苦痛の声が漏れてしまった。


「そこ!」


 一郎はオレの隙を見逃さない。精気が尽きてきた影響で視力も衰え、闇に紛れた彼をオレが見失ったのを読んで、オレの左手側から接近していた。

 ヒュンという刃が風を切る音がする。

 星の明かりに煌めく白刃は精気を帯びており、まだ刃先が通る前だというのに首筋には冷たいものが走った。

 このタイミングでは攻撃を防ぐのは間に合わない。この状況でオレが取れる防御手段はもう他にはない。


「がぁ!」


 オレの左腕に巻かれたリング。緊急用のバリア発生装置を作動させての防御で致命の一撃を防いだのだが、これでオレの精気はすっからかんだ。

 バリアも切れ味を落とすことこそ出来たものの、振り回された刀がぶつかる衝撃までは防ぎきれない。

 鞭で打たれたかのようにの喉の打点は腫れ上がり、勢いそのままオレは車の前まで吹き飛ばされていた。


「お終いでさあ。噂と違ってもう種切れですかい」

「うぐぐ」

「よほど薩摩おごじょ共の接待で骨抜きにされてたようで」

「何を言ってやがる。あれはただの化粧臭い婦人会だぜ」

「まだ減らず口が叩けますか。首が切れないだけでも上出来だというのに」


 腹巻きを使用せずにゆっくり歩み寄る一郎。彼にはオレが虫の息なのがお見通しのようだ。

 そのまま右手に持った刀をオレに向けたまま近づいてきて、ついにあと一歩踏み込めば刺せる位置まで到着した。


「命が惜しければ諦めなさい。大人しくワラシを差し出していただきましょう」


 渡さねばこのまま刺し殺すか。絶体絶命の状況に、なんとかせねばと体中の残った精気を銃に込める。

 流石にカラカラに近い状態ではチャージに時間がかかってしまう。時間稼ぎに口で場を繋げれば良いのだが。


「く……こんな時に言うのはなんだが、ワラシだなんて珍しい呼び方じゃねえか」

「アンタ……強情な割にはワラシのことを知らずに絡んでましたのか?」


 なんでもいいと思ったオレが咄嗟についた単語。ワラシについてオレが聞き返すと一郎の顔は一瞬緩む。


「知らないから何だって言うんだよ」

「アタシらも薩摩も大塚も、みんなワラシの奪い合いをしているんでい。ワラシは精気っつう今の世の中に欠かせないチカラを使う上で、持っていれば他人より大きなリードが得られる打ち出の小槌さ。座敷童子っていう昔のお伽噺があるだろう? あの恭介というボンズはそれの同類よ」

「ご解説どうも。だが知っているか?」

「何でい」

「お伽噺に登場する幸福装置ってのは、無理矢理奪おうとする人間を破滅させるんだぜ!」


 オレの口八丁が図星だったのかもしれない。

 ニヤリと表情を動かした一郎は話はここまでとばかりに刀を喉に向けて突いてきた。

 オレは刺し違える覚悟で一郎の右肩を狙い引き金を弾く。

 一発の銃声が鳴り止むと血が道路に滴る音がする。ポタポタと音を立てているのは誰の血か。


「危ない危ない。お兄さんが企んでいなかったら、そのままワラシごと刺しちまうところでさあ」


 残念ながらオレの放った銃弾を一郎は咄嗟に避けていた。

 会話で銃に精気を装填する時間を稼ぐ。狙い所は肩ごと刀を弾き飛ばせる右肩。それらオレの手札を長年の経験で見抜いてしていた彼は、体を捻って致命を避けてからオレを刺すつもりだった。

 だがこの最中に一郎が予想もしなかったことが一つ起こる。それはオレたちの間に恭介が割って入った事だった。

 一郎も咄嗟に手を止めるが銃弾が肩を掠めた影響で握力が落ちていたようだ。

 すっぽ抜けそうになった刀を握り返す際に、一郎は恭介の背中を切っ先でなぞってしまった。

 普通の刀ではなく鍔の効果で切れ味を増した白刃だからか。

 軽くなぞるだけで恭介の背中には一文字の傷がついて、裂けた表皮から血が出ていた。

 肩から流れて刀をつたる一郎の血と切っ先についた恭介の血。

 混ざり合う二つが道路に滴った。


「済まなかったなボンズ」


 恭介に一郎は謝るのだがそれは口だけだろう。

 彼にとって恭介にはワラシとしての価値しかないハズだ。

 できれば傷つけたくないのは恭介が言わば商品だからにすぎず、死ななければ問題ないと思っているだろう。

 オレも恭介も彼の考えをそう思っていた。


「おじさんは研究所の人たちと同じなんでしょう?」

「その通り。欲のためにワラシを手に入れようとしているって意味じゃあ同じ穴の狢でい」

「だったら僕を刺殺して連れていけばいい。どうせおじさんのところに連れて行かれたら僕はまた死ぬんだから」

「オイオイオイ。そんなヤケは起こしちゃいけねえぜボンズ。アタシらもボンズのワラシとしての力を利用したいのはその通りだが、傷つけるつもりはねえ。少なくともボンズを弄り回そうとしていた研究所の連中とはやり方が違いまさあ」

「いいや同じだよお前さん」

「見るからに精気切れで虫の息だったのに、まだ息がありましたか」

「もう指一本も動かせやしないぜ」

「でしょうね」

「だが口は動かせるから死ぬ前に教えてやるよ。そのワラシとかいうモノを狙っている連中のせいで恭介の心はいっぺん死んだんだぜ。そんな恭介が心を開いたのは、ワラシなんて知らずにコイツを哀れに思って助けに来たオレだったんだ」

「それは感動的なお話ではありゃせんか。ですがアタシにはどうでもいいことでい」

「そうだろうな。だから恭介はお前に連れて行かれるくらいなら、死んだほうがマシだって言っているんだ。戦場の習いもある。恭介が死ぬつもりならオレも一緒に死なせてくれ」


 恭介があいだに入ってオレを庇ったこと。そして殺してから連れて行けと言い切ったこと。

 これらはたぶん「その代わりにオレを殺すな」という取引をするつもりだったのだろう。

 オレも今夜が初対面だというのに、コイツのために戦って死ぬのなら仕方がないとほだされてはいたがそれは恭介も同じだったようだ。

 出会ったばかりなのに相思相愛の恋人同士の様じゃないか。そう考えているとカラカラだった精気が少し回復していた。


「それはダメだよカイトお兄ちゃん。僕なんかのためにお兄ちゃんは死んじゃいけない」

「別にアタシはボンズが大人しくついてきてくれるんなら、そのお兄さんには興味ありませんがね。ボンズが殺すなと言うのならば見逃しまさあ」

「おじさんもああ言っている。だからここは僕がもう一回死ねばいいんだ」


 もうこれは話が出来上がっているってやつか。

 恭介は犠牲になって白子組に連れて行かれる。オレはその代わりに見逃されて元の生活に戻る。

 命あっての物種な裏仕事なんだ。損得で言えばここは話に流されるべきだと決まっている。

 もし意地を張ってオレが死ねば、マドカだけではなく小さな体で抱きついてオレを庇っている彼まで悲しませることになる。

 それは避けたい。だがそれで生き延びると言うことは、今度はオレもさっきまでの恭介のように生きながらに死んでしまう。

 たとえ白子組に報復して恭介を取り返したとしても、それを良しとしてしまったオレの心に癒せない傷が残る。

 だからオレはこの話にケチをつけた。


「それじゃダメだ」


 オレは残る力を振り絞って恭介を抱き寄せる

 恭介のつむじがオレの鼻先に来て、脂汗の匂う彼の体臭が妙にオレの胸を高鳴らせた。

 こんな状況でオレの体は何故興奮しているのだろう。死にかけると子孫を残そうとした体から粥の如きものがあふれると言うが、この状況ではやはりオレももうすぐ死ぬのだろう。


「キミを死なせてオレだけ生き残るわけには行かないぜ。オレはお兄ちゃんなんだからな」

「ククク……臭い見世物でい。まあアタシは嫌いじゃないですがね」


 一郎も最初はこの小芝居じみたやり取りを呆れながら眺めていたが、そろそろ痺れを切らしたか。


「ですがその辺でもういいでしょう。さあ行きましょうかボンズ」


 一郎は刀を鞘に収めて傷ついていない左腕で恭介を掴む。

 それによりオレの体から恭介が離れていく。

 そんなのは嫌だ。

 オレは本能で抵抗していた。


「お、お兄ちゃん!?」


 錯乱したオレは一郎に逆らって恭介を離さず、そして彼の幼い唇を奪っていた。

 幼い頃のおままごとですらしたことがなかった初めてのキス。

 いきなりオレにキスされて困惑なのか、頬を赤らめる生き生きとした恭介の表情。

 口付けしているのが男同士だというのも気にならない程にオレの意識は恭介のあどけない唇を貪ることに集中していた。こんな状況でサカリがつくのはどうかと思うが、こんなにも幸せな気持ちで胸が満たされたのは初めての経験である。

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