第102話 絡み酒といえば、あの人のはずなのだが

「あらあら、噂をしていたら」

「噂?」


 サヤの怪訝な顔をよそに。

 男は心底くたびれた顔で言う。


「あの客の爺さん、絡み酒が度を過ぎてるよ。おれ、商談が終わって一人でゆっくり飲んでたはずなのに」

「申し訳ありません。お部屋で気分を変えられるよう、お手配いたしましょうか?」

「じゃあ、白葡萄酒一本と魚の包み揚げを一皿」


 気の毒な男は部屋へ戻っていった。


「絡み酒。まさか」

「そのまさかなんです」


 おかみさんは困り顔だ。


「あの、絡み酒の方がトージン先生です」


 サヤは驚いたのか、一瞬ぽかんとしていたのだが、


「……先生、変わってないわねえ! でも、任せて」


 たちまち張り切り出したので、ダンもトーガも不安を覚えた。

 おっと、ということは、ついて行かないわけにいかない。


   * *


 ミズイロトンボ亭の食堂は、卓が二十ほど並んでいる。

 どの客も思い思いに夕餉と一日の疲れを癒す酒を楽しんでいたのだが、窓辺の卓だけが違った。

 老人がひとり、杯を傾けては辺り構わず話を振って迷惑がられている。老いからくる頑迷さが話をくどくしてそうさせるのか、ただの酒癖か。判別はしかねる。

 どの世界の学者にも好まれる、袖と裾の長い上着をひっかけている。色は青。袖口に金糸で刺繍がほどこされており、その格式高い紋様は何らかの学位を示すものと思われたのだが、どうもこのガランスで通用するものではなさそうである。

 となれば、この老人は異世界からの学者なのか。


「いいえ」


 宿のおかみさんはトーガの疑問に答える。


「あの方は私の父の幼なじみですよ」

「あの見慣れぬ上着は?」

「古着市に出ていたそうですよ。こう異世界の通路が増えては、成り行きで暮らしに難儀した方が服を手放してお金を作ろうという考えだって、出てくるでしょうね。

 そんなお気の毒な方を騙して魔法具を二束三文で買い取る連中もいて、この土地はすっかり評判を落としてしまったわ。

 それも仕方ないのかもしれない。〈白の地〉、ベルリオーカ様方も各地に部署を増やしていらっしゃるけれど、それでも手が回らないことが多いとお詫びが先日掲示板にあったわ。こんなときは、できることをするだけよ」


 さもあらん。


「霧のせいで暮らしが変わってしまった人たちはお気の毒ですわ。うちの宿ではそうした方がいらっしゃった時には、お手伝いすることにしています。急にお家がなくなったり、そんなこともありますもの」


 おかみさん、篤志家らしい。

 そんな話をしていると。


「ほう? それではクギバネの食性をご承知と?」


 皮肉混じりの声が響いた。


「炭の匂いを嫌う理由をまだ誰も探求しきれていない。ただ、効力が認められている以上否定はできない。それは炭をそこまで軽んじる根拠としてはいささか弱いと思われるが、貴殿はこの世の理に通じておられるとの世評のようですな?」

「先生!」


 会話への割り込みも構わないのがサヤらしいとトーガとダンは思った。

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