第90話 燻製工場はクギバネに効くのか
「いい匂い」
塩に漬けた鳥と臓物をゆでて、完全に火を通すところである。
「将来、燻製の店を持つのはどうかなあ」
疲れとまどろみがまざりだして、サヤの頭の中は楽しい想像で満ちる。
(お兄ちゃんが帰ってきたら)
店の制服は、お兄ちゃんに作ってもらって。
(腸詰めの燻製は売れるよね)
腸詰めは、兄に誉められた。店の仲間と集まる時は、手土産にしたいと頼まれた。
いや兄は、仕立屋の家に生まれながら裁縫の腕は人並みだった妹の、料理はなんでも誉めてくれた。
(自慢のお兄ちゃん……)
神殿の巫女見習いの舞踊衣装は、兄が名指しで任されたものだ。
衣装方の繊細な指定を実現できる腕は、あの時点では兄だけだった。
(服と布が置かれる環境をいつも考えるのがお兄ちゃんなの)
翼竜乗りたちが高所に向かうときの急激な気温と気圧の変化。
長時間、身体を洗えない環境下で過ごす皮膚のために必用な体温調節もろもろ。
(お兄ちゃんはそれに応えられる生地の知識がある)
なので。
具体的に何に関わっていたのかわからないが、トーガとダンの、それぞれの兄弟が関わっているということは、何らかの装置の開発なのだろうなあ、と、そこまでは誰でも推測できるところだ。
「服……自動人形の服とか。
でもそれ、機密にする?」
サヤが思うに、何か皮膜部分がその装置にはあって、兄の布の知識が必要になっているのではないだろうか。
「防水加工とか……布自体を強化するとか……」
そういえば兄、昔、〈布の鎧〉を作ったことがある。
布の肌触りと通気性を保ったまま、金属並の硬度を持たせるとか。
結局失敗したが、甲冑着用時の下着に応用ができたので、もの作りはどう転ぶかわからないのが面白い。
「お兄ちゃんたち、どこにいるのかな……」
茹で上がった肉と臓物を燻す準備にかかる。
「あ。罠、しかけるの忘れた……」
明日の晩はウサギの罠を忘れずかけよう。
次の食材のことも考えつつ、燻す作業に入る。
組み立てた箱の冗談に十分火を通した肉と臓物を並べて、メルガの木屑を敷き詰めて……
* *
「サヤ」
夜半に起こされた。
トーガとダンだ。
「あ。寝てた。
燻製できたよ」
「そう思って焚き火の交代に来た」
「あとは馬車で寝ろよ。初日から疲れるのよくないだろ」
「うん……」
燻製の出来は上々だ。
「つまみ食い嫌だから、しまうね」
「おう」
「どこかでお酒が手に入ったら最高だよ」
「あるといいな」
「じゃ、よろしく。おやすみ」
初日の晩は、このように穏やかなものだった。
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