第37話 〈白の地〉のエルフさま

 神殿につとめるエルフのベルリオーカは執務室で、先日ブランカで発生した失踪事件の報告にあらためて目を通していた。


(蝶の発生についての報告から、わずか数日)


 最初は、異世界がいつものようにつながった証拠と思われていた。

〈つながった〉と、判定される基準はいくつかあって、大抵は〈白の巫女〉が異世界の到来を知り、何かが降りてくることで明白になる。

 ほかのわかりやすい基準には、住人から、見慣れぬ種族を見た、話した、という報告が一日のうちに複数上がること、見慣れぬ物体の出現があり、ものによっては押し戻せること、などがある。


(『見慣れぬ蝶』を判断することが、まず難しかった)


 ただでさえ、新種の生物の判定は難しいのである。


(そしてなぜ、蝶が触れた、もしくはすすんで触れた者のうち、討伐隊だけが消えたのか)


 ベルリオーカは、数百年前の記憶を呼び覚まそうとする。自分はそのためにこの地にとどまったはずなのだ。


(〈白の巫女〉も、その時は先代だった。

 あの時〈赤の竜〉は、ひどく荒れ狂っているように私には思えた)


 そこは、覚えている。


(ところが〈白の巫女〉の感応によれば〈赤の竜〉は常に冷静で、怒りもなければ、喜びも見られないという)


 それは、何を意味していたのですっけ。

 みな、消されてしまった。


(なさけない)


 長命のため、記憶の継承を担うべくこちらへ残ったはずの自分の記憶を易々と消す大胆さ、冷酷さを持ちながら、それで怒りもなく喜びもないとは。


 いや、今は失踪者の件にあたらなければ。


 報告をさらにめくる。


(最初に消えたとされる討伐隊の隊員は、〈白の地〉出身の人間。入隊前は時計職人だった。名は、バン)


(次には、鍜治屋出身の、カネダ)


(仕立屋出身、トルソ)


 ほか、全員、ゲイル博士に関わりがある。

 この三人、経歴だけでもゲイル博士の研究に協力していただろうことがわかる。

 その研究とは機械の竜。翼竜とともに戦う、からくりの竜だ。

 なんでも、翼竜が身につける防具にもからくりを仕掛け、身体への負担を軽くする研究もされているらしい。


(それが、彼らがいなくなった理由だとしたら)


〈赤の竜〉は、怒りもなく冷静に、


 そんな存在はエルフの長い命のあいだ、何度か目にしたことがある。まず大義があり、それよりほかは些末事。


(大義の成就に躓きとなる。それだけで無慈悲に排除をおこなう)


 ついてくるのは、天地を呪う声。我々が何をした? 天は我々を愛してはいなかったのか?


 対して執行者は、〈天地の平定を行っている〉、常にそのつもりですべてをおこなう。


 そうして平定された地には、雑草のごと刈り取られ、ならされた民の血の川が流れるばかり。


(いけない。そんなことばかり思い出してしまう)


 嘆きの声の前に無力だった。そこで役立つべき自分の記憶にも、同じ力を執行されたから。これが冷酷でなくなんなのか。


「どうかした?」


〈白の巫女〉があらわれた。見えるかたちは保つが、身体はない彼女はいつも、唐突に登場する。


「なんでもないの。報告を読んでいただけよ」


〈白の巫女〉はその感応の力で、心の乱れを察知する。そして、何か余計なひとことを言いたがるのは彼女の人柄だ。


「ほどほどにね。

 あのね、〈救い手〉は今ごろ博士とお会いしているわよ」

「ゲイル博士ね?」


〈救い手〉。

〈白の巫女〉が、〈紫の霧〉のいまだ届かぬ場所に呼びかけ、召喚したという。


「うまくことが運んでくれるとよいのだけれど」


 ベルリオーカの心配に、〈白の巫女〉は、こたえる。


「大丈夫。もうひとつ、ズルい手を使っておいたから」


 一瞬の間。


「……ズルい手? まさか」


 以前、冗談にそんなことを言っていたのを笑ってとがめたことがある。


「〈?」


 なぜ笑顔でうなずくのだ。


「まさか。そんなことをしたら、どうなるか、」

「うまくいってるわ。私、まだ正式な許しこそないけれど、〈創造者〉の世界に依代を持てている」


 そんな。


〈白の巫女〉は、いつものように微笑んでいる。

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