第14話 「花」
「あ痛っ!
ごめんなさいね、お友達が来てる時に。
あ痛っ」
店のエプロンを付けたままの神薙さんは、家に来るなりまた玄関口ドアの上枠にひたいをぶつけた。二度も。
また、というのは、彼女は叔父の件で来るたびに、なぜか必ずぶつけているからだ。
背が高く、ストレートロングの髪をバレッタでまとめている。
「大丈夫ですか?」
俺の声がけもいつも同じだが、
「大丈夫。慣れてるから」
彼女の返しもいつもと同じだ。
麦茶のグラスを接客テーブルに運んで、さて。
「お家の中、ちゃんと片付いてて、偉いね」
「いえ」
何の話題が出てくるのか。
「鈴木さんが担当してくれてた仕事、おかげさまで続いていてね。今日もこれから夜に行くことになってて。本当に叔父さんには助けられてたのよ」
「はい……」
ショウウインドウや、ホテルのフロントなど、閉店後に入る仕事は、フラワーアレンジメントの講師でもある神薙さんが自ら現場に入る。
長いこと非正規の仕事と家族の介護ばかりで陰キャのような印象を持たれがちな叔父は、じつは営業としては優秀だったそうなのだ。
小さな花屋なのに、名の知られた大きな店の花の仕事がいくつか取れたのは叔父のおかげなのだと、叔父がいなくなってまもなくの頃、神薙さんから教えられた。そりゃ正社員に、の声もかかるわ。
「それで、見てほしいものがあって」
「はい」
神薙さんは、エプロンのポケットからなにか出した。
手のひらに隠れるくらいの、小さな木の箱。
「これがね、……まあ、まず見て」
「はい。
何か変わったことでも?」
叔父から連絡があったとか。
その、婚姻届とかのその、あの、
「ちょっと普通じゃなくて。
とりあえず、見てもらってからのほうが、話しやすいかなと思うから」
蓋を開ける。
「指輪」
箱の中で丸まっていた、ベルベット状の黒い布を広げて。
その真ん中に、銀の指輪があった。
指輪?
「まさかそれ、神薙さん」
やはりそれか、と、婚姻届の件がまた頭に浮かぶ。
婚姻届どころじゃねえ、叔父のストーカー行為が行き過ぎて、まさか指輪を送り付けるところまで?
でも、異世界から?
「どうしたの?」
「叔父がまさか、」
「え?
あ、ああ、鈴木さんが送り付けて来た、とかなら最初からそう話すわ。その辺は大丈夫。
ごめん、最後まで見てもらえる?」
「すみません」
取り乱した。
「見て」
神薙さんは、手のひらに布を広げ、真ん中に指輪を置いた。
なんでもない指輪に見える。
銀の細工物。三本の細い線がよりあっている、普通の指輪。
ん?
俺、この指輪を知っている気がする。
「……」
神薙さんが人差し指を伸ばし、指輪にそっと触れた。
触れると。
……なに?
* *
『巫女が触れると指輪は光り、みずからその指に収まった』
栞さんはスマホを見つめ〈白の巫女〉について書かれた個所を探している。
『「この指輪が私を選んだゆえに、私は〈白の巫女〉なのです」』
「世界の境界線が侵食し合って乱れたところに、彼女は救いをもたらす者を探していたのよね」
「だな」
「叔父さん、どんな救いをもたらすのかしら」
「そりゃ、物語の作者だからな。ご都合主義の結末でもなんでも、穏やかにおさめるためのなにかを期待したんじゃねえのかな」
「ご都合主義って、そう簡単にはできないのよ」
若輩ながら創作に手を染めている栞さんは弱々しく抗議する。
「そんなもんかい? 俺は何も書いたりしねえからわからんけど」
「やっぱり、お話の流れとかあるし。ご都合主義でも面白く読ませてしまう人は、なんというか文章家として腕力がある感じがする。
私は弱気で、文章もまだまだだし、なんかそういう整合性無視とかできないの。自分の責任で作っているものだから、そのあたりは気になるものなのよ」
「てことは、この件、時間がかかるのは覚悟したほうがいいってことかあ?」
「どうなんだろう……」
顔を見合わせて、なんとなく窓の外を見る。
紫の霧が、ふたたびこの家を包んでいた。
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