第4話 「なんで泣くんだ?」などと言われても。

 以前、葦原がカップ焼きそばの湯を俺の部屋の窓から捨てようとして起こった悲劇については既に話した。

 今、葦原はリベンジと称してカップ焼きそば超大盛を手に、俺の机に飛び乗っている。窓は半開きだ。


「よせ!」


 ところが足を押さえる俺に、葦原は、


「……なんだあ?」


 茫然自失の声を出した。


「わっ!」


 何があったのか。

 次の瞬間、俺が見たのは、葦原の手からカップ焼きそば超大盛が、まるごと窓の外へ落ちていこうとするさまだった。


「あ……っちい!」

「浩平くん?!」


 さすがに栞さんも飛んできた。

 俺は葦原の脇から滑り込んで、落ちたカップ焼きそばを受け止めたものの、1/3ほどが湯とともに一階の屋根に流れていった。……あとで掃除だ……あの時と同じだ……

 いや、しかし。


「……ごめん」

「いや、いいんだ」

「え、なにこれ……」


 俺たち三人は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 さっきまでここは、いつもの町内だったはずなのだ。


「紫の霧」


 今は違う。

 家の周囲は木々の生い茂る深い森で、紫の霧に包まれている。


「叔父さんの小説みたい」


 栞さんの言うとおり、それはそうなんだが。


「頼もう!」


「え、誰?」


 玄関先から、張りのある声が響く。


「頼もう!

 拙者は旅の騎士グレン・グランハルトと申す!

 スズカワ殿よりここで落ち合うとのことで参った!」

「グレン?」


 あの、栞さんが感じ悪い、と言っていたコメント主と同名のようだが、騎士は小説サイトには書き込みしねえだろ。


「てか、浩平。その前に、ここはどこで、騎士とか名乗る奴が出てきてどうなんだよ?」


 昔から俺が取り乱しはじめると、葦原が冷静に突っ込んでくる。


「いや、それに、スズカワ殿と落ち合う、って。

 アカウント名だよな? スズカワって。叔父さんの」


 叔父と関係あるのか?


「……やだ……異世界転移しちゃったのかな……」


 栞さんが専門用語を駆使して状況を把握しようとした。

 そして、葦原が次に何をはじめたかというと、カップ焼きそばの生き残り分に、ソースを混ぜはじめた。


「葦原?」

「どうする? 玄関出てみるか?」


 絵面的には一番間抜けな、ソースを混ぜている奴が一番冷静なのはなぜだ。


「一応、スズカワの甥、てことで、出ていっても浩平なら斬られはしないんじゃないか? あいつ武器、なに使うか知らねえけど」

「お、おう」


 恐る恐る階下へ降りていった。

 あとから葦原と栞さんもついてくる。


「手を洗ってはどうか」


 葦原に言われ、洗面所で軽く流した。火傷はしておらず、冷たい水がしみることはなかった。よかった。


 そうしている間も、グレンの声は響く。


「頼もう!」


 行くか。


 俺は、玄関のドアノブに手をかけた。


「……おお? おお! スズカワ殿!」


 ???


 まさか。


 意を決して、俺は戸を開ける。

 そこには。


「おお! 浩平! 久しぶりだが、なんで家にいるんだよ? 誕生日だから、早退か? あははははは」


 そこにいたのは、叔父さん。


 ひと月も行方がわからなかった叔父さん。

 ひと月前と同じ、いつもの出勤時と同じ、黒のスーツにネクタイを締めて。

 そして、握手をしているのが、グレンと名乗った騎士……なのか。背が高く、銀髪で、革製の防具をまとい、馬も連れている。


「おお? なんで泣くんだ?」

「甥ご殿であったか!」


 涙が出てきた理由は自分でもよくわからない。張りつめたものが、ぷつんと切れた、そんなところだ。

 しかしこの、ちょっと近所に出かけて戻ってきた風な叔父の態度と、まるで状況を理解していないらしい旅の騎士のおっさんに囲まれて、俺はどうすればいいのか。


「なんだよ浩平、誕生日だろ?

 悪いんだが事情が変わってな、もう二、三日戻れないんだわ。会社には有給あとで申請するから、そう言っておいてくれないか。

 あと、誕生日のサプライズも少し延期な。中間試験前に景気づけ、と思ったが、すまんな。

 あ、言ったらサプライズじゃねえわ! あはは」


 ……なに?


「有給とか、無理だろうよ」

「浩平?」


 何かを察して、葦原と栞さんも出てきた。


「おお、葦原くんと栞ちゃんも来てたのか。ありがとうな、浩平の誕生日に来てくれるなんて」

「……誕生日じゃねえよ」


 葦原が俺をおさえにかかっている。さすが幼なじみだ。それで次の言葉も比較的落ち着いて言えた。


「叔父さん。もういなくなってから1ヶ月経ってるだろ。捜索願も出してるし、今の俺の保護者、怜子伯母さんになってるからな。ついでに中間試験は終わって、明日から期末試験だから!」


 自棄になったのでさらに言ってしまうと、実は葦原も栞さんも、うちに集まって試験対策をする、ということにして動物園に行く計画だったはずが、結局言葉通りうちに来ているのだった。どうでもよいか。


「いっかげつ?」


 叔父が、ぽかんとした。


「俺、この世界に飛ばされて、グレンに会って意気投合して、まだ半日だぜ?」

「半日?」


 どうやら、お互いに多くの説明が必要なようだった。

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