第2話 「数字がすべて」などと言われても。
「とりあえず、このノートの件をもう少し共有しようか」
なぜか葦原が仕切りはじめる。
「だな」
俺は、今のところ明らかな部分を話しはじめた。
「とりあえず、これには参った」
【浩平へ
もしものときは、アカウント管理頼む】
行李から出てきたノートの表紙裏に、いきなりこんなことが書かれていたら、尋常でないことが起こっている、と、心拍数も上がろうというもんだ。
「で、読み進めると、小説サイト用のネタ帳なんだな」
アカウント名。パスワード。
そのあとに、各種走り書き。
ネタ帳って、備忘のためなんだろうから、他人が読んでもなんだこりゃ、だ。
「いけてるのか、いけてないのか、わからんな」
葦原が率直すぎる感想を言った。
「でもね」
栞さんが、自分のスマホを取り出す。
「見て」
小説サイトに自分のアカウントでログインして、この件が始まったあたりからフォローしておいたという叔父のページをひらく。
『四十路だけど、この世界では無双できると聞いたんですが?』
「これな」
叔父さんは、この一作のみを書いていたようだ。
俺もアカウントを一応取って、何度か読んだ。
【キャッチコピー:四十路ですが、とりあえず異世界で無双します!】
【あらすじ:花屋の営業、独身41歳の俺は、ある日営業車の故障で見知らぬ山あいの道で立ち往生する。「日暮れまで町へ戻ればなんとかなりますよ」近隣に住む者を名乗る少女の助言通りの道を進むと、どうも異世界に出てしまったようで。え? 花屋の営業なのに、なにと闘えというんです?】
【ジャンル:異世界ファンタジー】
「なんだよ、『聞いたんですが?』って」
いつ見ても納得がいかないタイトルだ。やる気があるのか、ないのか、他力本願なのかはっきりするべきだ。
「でも、★2078だよ?」
「栞さん、それはすごいのか?」
「比べてみるといいわ。これが、わたしのだ!」
なぜかやけになったかんじで栞さん、自分のページを見せてくれる。
『夏休みだけ戻ってくる幼なじみが、冬にも会いたい、て、何が起こっているのかしら』
【キャッチコピー:冬の君をまだよく知らない】
【あらすじ:遠くの全寮制の学校に入学した幼なじみのユウキは夏休みだけ帰って来る。「冬にも会いたいな」。今年、そんな意味深な言葉で別れたことが頭から離れないあたしの、冬までの妄想が止まらない!】
【ジャンル:ラブコメ】
「なんだこれ。文芸部の部誌と、全然違くないかこれ」
文芸部の栞さんのイメージといえば。
『橄欖の花が咲く頃』
【あらすじ:修道院育ちのミリアン、17歳。幼い頃に手を引いてくれた、顔も覚えていないあの人は、胸にオリーブの葉が。】
「公私を分けてるだけですっ!
それより、これだ!」
★9
「……すごいんじゃないか?」
「そ、そうかな」
「少なくとも、栞さんを褒めたいと思った3人が、最高数の★★★くれたんだろ? それとも、★が9人か?」
すると栞さんは、少しだけ誇らしげに言った。
「……うん。さんにんのほう」
★が9人でも、読んだ9人が★をつけようと思ったんだから、いいんじゃねえかと思ったが、それ以上は黙っていた。
叔父の件と伯母の指示の件があったために小説サイトを覗くようになったが、特に小説を書き始めたばかりの中高生は★0というのも珍しくないし、★0だから面白くない、ということでもないことが最近わかってきた。
ていうか、そもそも最後まで書けるだけすげえだろ。書ける奴って謙虚なのか? そこは自慢しないのな。
「でも、なぐさめはいらないの! ここは、数字がすべてなの!」
そんなもんなのか。俺はよくわからん。
「とにかく、叔父さんの小説がそこそこ受けていたことはわかった」
俺は叔父が小説を書いていたことを全く知らなかった。
叔父が花屋の営業として、早朝から時には深夜まで生け花の展示会や冠婚葬祭の会館を回り、俺の保護者として学校や町内の会合にも出席し、家事はなんとか二人で分担するようになってはいたけれど、その合間にこんなこともしていたのだ。
忙しさの中で、異世界に心を遊ばせたくもなったのではないか。
そして多分、世間には同じ気持ちの人が少なくないんじゃないか。
「第70話で止まっているんだよな」
70話も書いていたのだ。先月までに。
花屋の営業の〈俺〉が、営業車の故障で携帯もつながらない。
そんなところに通りがかった〈少女〉が、「日暮れまで町に行けばなんとかなりますよ」と、無責任なことを言っていなくなる。
とりあえず歩いてゆくと、次第に周囲は異世界へと変わり、〈俺〉は、妖力のある紫の霧に包まれた〈町〉にたどり着き、救世主を求め祈り続けていたという巫女、先ほどの〈少女〉に再会する……
そうこうして第70話は、いよいよ敵目がけてどのように突入するか、という大事な局面である。
「腹減った」
葦原がいきなり俺たちを現実に引き戻した。
「焼きそば食えよ」
俺もごく現実的に返す。
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