第18話

 陽佳から送られてきた本物のNTRビデオレター。

 それは彼女の【Hな動画】の制作宣言を最後に途切れた。


 具体的な映像はない。

 陽佳が男に囲まれて宣言をしただけだ。


 けれど、宣言したときの嬉々とした彼女の表情が僕の心を打ち砕いた。


 僕の手からスマホが滑り落ちる。

 拾おうとその場にしゃがめば、立ち上がる力が僕の脚に残っていなかった。

 体育館の床に僕はそのままうずくまる。土足対策で床に引かれたシートを、僕は意味も無くうつろな気持ちで見つめた。


「……どうしてこんなことに?」


 頭を抱えて、僕はこんなことになった原因を考えた。

 あの四人はなんで陽佳に接触したのか。


 答えはまさに僕の手の中にある。


 ――スマホの壁紙だ。


 温泉街でのデート写真。それを四人に見られたばかりに陽佳が狙われたんだ。


「写真を見て、猿田たちは僕の彼女に興味を持ったんだ!」


 スマホを握りしめる手に力がこもる。

 ケースがミシミシと鳴り音量確認の音がけたたましく鳴る。


 それでも僕の手から力が抜けることはない。


 ――なんでだよ!


 言葉にならない悲鳴を上げて僕はスマホを床にたたき付けた。

 緑色のシートの上で跳ねたスマホは、壁にぶつかり少し離れた所で液晶面を上にして転がった。


 痛々しい亀裂が液晶に走る。

 けれど、スマホはまだ動いていた。


 粉々に砕けた画面の中に、何も知らない浴衣姿の陽佳が笑っていた。


 もう、限界だ。


 あふれ出る涙を僕はもう抑えられない。


「……陽佳! 陽佳ぁあああ!」


「ゆうちゃんさん!」


 緊張の糸が切れたように泣き崩れた僕を美琴さんが優しく抱きしめた。

 ジャージ布越しにも彼女の身体の感触が伝わってくる。


 柔らかい二の腕が肩にやさしくのしかかり、絹のような首筋が頬を撫でた。彼女の細い指が肋骨の隙間をまさぐって、温かい太ももが僕に覆い被さる。

 ニット帽からこぼれた金色の髪があやすように僕の視界で揺れた。

 彼女の二つの大きなたわわは、また僕の不安な気持ちを静かに受け止めた。


 美琴さんの献身が嬉しかった。

 けれども人の優しさで我に返れるほど、愛しい人を奪われた絶望は浅くはない。


 僕は美琴さんの胸で泣いた。

 子供のように。

 ただただ悲しくて泣いた。


「ゆーいち! みこちん! 居るっ⁉」


「たいへんです勇一さん! 陽佳さんから変な動画が!」


 背後で愛菜さんと幸姫さんの声がする。

 どうやら彼女達も動画を見たようだ。


 僕の頭上で彼女達の不安げな言葉が飛び交う。


「どういうこと? もしかして、よっぴーってばあの男達に?」


 いつだって明るいことしか口にしない愛菜さん。

 そんな彼女が残酷な想像を語る。


「信じられません。勇一さん一筋の陽佳さんがどうして」


 いつも落ち着いて喋る幸姫さん。

 その声色が恐怖に震えている。


「待ってくださいまし。まだ、絶望するには早いかもしれませんわ」


 悲痛な流れを断ち切ったのは美琴さんだった。

 力強い声で待ったをかけた彼女は、僕を少し乱暴に胸から引き離した。


 涙で滲んだ僕の視界に彼女のスマホのが現われる。

 液晶画面に映っているのはやはり先ほどの動画だ。


 それは再生途中で停止されていた。


「ゆうちゃんさん、ここを見てくださいまし。陽佳さんの上にある時計を」


「……これは!」


 陽佳が立っている部屋の壁。

 白色の有孔ボードの上には銀色の丸時計。

 時計の端に映り込んだ青色の光が、やけに眩しい。


 時計からはかろうじて時刻が読み取れる。

 午後五時三十分。さらに、六時の位置の液晶には今日の日付が表示されていた。


 現在時刻は午後五時四十五分。

 動画内の時刻が正確なら、まだ撮影から十五分も経っていない。


 つまり――。


「まだ、陽佳はHな動画を作っている最中ってこと?」


「えぇ。そしておそらくこの動画は、校内で撮影されていますわ」


「どうしてそんなことが?」


「よく、耳を澄まして聞いてみてください」


 美琴さんがスマホをタップして動画を再生する。


 陽佳の【Hな動画】の嬉々とした制作宣言。

 しかし、よく耳を澄ませば、陽佳の声に混じって妙な音がする。


 特徴的なこの鐘の音は――。


「もしかしてこの学校のチャイムの音?」


「これが聞こえるということは、陽佳さんがいる部屋は学校のどこかですわ」


 よく見れば部屋の風景にも見覚えがある。


 白い有孔ボードの壁。

 どこか薄暗い部屋の感じ。

 そして、先ほどの銀時計に映り込んだ青白い光。


 マリンブルー。

 その光を僕はどこかで見たことがある――。


 待って⁉ この光ってもしかして⁉


「パソコンだ! 時計に映り込んだ青い光はデスクトップの壁紙だ!」


「……そんなモノがあるのは?」


「パソコン室だよ!」


 校舎東棟三階にあるパソコン室。

 授業以外では人が立ち寄らない寂れた場所だ。


 Hな動画を撮影するには、設備的にも環境的にもうってつけ。


 間違いない――!


「パソコン室に陽佳はいるんだ!」


 決定的な証拠の発見に僕の身体に急速に力が戻った。

 陽佳を救う微かな希望を胸に僕は顔を上げる。


 するとその視線の先に美琴さんの心配そうな顔が入り込んだ。


 唇を結んで無言で美琴さんは僕を見つめてくる。

 寂しげに光る宝石のような黒い瞳。多くの人を魅了するなめらかな頬。金色の髪が涙の代わりのように寂しくその頬には揺れている。

 美しい彼女の顔に僕の悲しみを滲ませた罪悪感に、胸がチクりと痛んだ。


「ありがとう美琴さん。僕みたいな男を心配してくれて」


「ゆうちゃんさん」


「美琴さん、僕は行くよ。陽佳がパソコン室で待っている」


「……えぇ。陽佳さんを救ってあげてください」


「君と、友達になれて本当によかった」


 ありがとう。

 僕にやさしくよりそってくれた美琴さん。

 その思いやりと友情に、僕は心からの感謝をこめて頭を下げた。


 下を向けば彼女の胸の谷間に僕の涙で大きなしみができていた。

 前衛ファッションのような光景に、少しだけ僕の深刻な気持ちが和らいだ。


 美琴さんから離れるとすぐに僕は駆け出した。緑色のビニールシートが敷かれた体育館の床を、滑らないように力一杯踏みしめて僕は陽佳の下に向かう。


 待っていてくれ陽佳――。


「必ず僕が君を助けてみせる!」


◇ ◇ ◇ ◇


 その後、校舎東棟パソコン室に向かった僕は、途中に立ちはだかる寝取り男達と壮絶な戦いを繰り広げた。それはまさしく、陽佳というたった一人の女性を巡って男同士が死力を尽くして相争う、壮絶なバトルだった。


◇ ◇ ◇ ◇


「ぐふふっ! 拙者の【催眠アプリ】を喰らえ、勇一どの!」


「なにっ! 実在していたのか【催眠アプリ】!」


 デブオタとシナジーがある催眠アプリで挑んできた鬼山部長。


 しかし、残念ながらこちらには、本物の催眠術の使い手がいた。


「感度三千倍でしてー!(パン)」


「あひぃいいいい!」


 幸姫さんの超絶催眠術により、鬼山部長は階段の踊り場で再起不能になった。


◇ ◇ ◇ ◇


「来たか木津! 不純異性交遊は即刻生徒指導室だぞ!」


「くそっ! 校則を理由に二人っきりになるパティーン!」


 体育教師の勝ち確パターンで僕を止めようとした雉本先生。


 しかし、こっちには教師をおちょくるタイプの女の子がいた。


「えっ、なに言ってるんですかセンセー! ゆーいちはともかく、よっぴーは他の学校の生徒なんですけどー? 他の学校の生徒を指導する権限なんてありますー?」


「……ありません」


 愛菜さんに「ざーこ☆ざーこ☆」と煽られて、雉本先生は廊下で戦意喪失した。


◇ ◇ ◇ ◇


「うぇーい! ゆーいっちゃん、待ってたぜ! 俺色に染めてやるから覚悟しな!」


「犬崎さん! くそっ、これはシンプルに強いやからタイプ!」


 パソコン室の前で、最後の砦として現われたのは犬崎さん。

 こういうシンプルなやから。そして埒外タイプのキャラは扱いが難しい。


 彼に無理矢理『金髪墜ち』させられてしまう――。


「って、もう金髪じゃーん! 染める意味ねェーイ!」


「人の顔を見るなりなんですの。失礼ですわね」


 しかし、なぜか美琴さんの金髪を見て彼は勝手に自爆した。


◇ ◇ ◇ ◇


 かくして、僕たちはパソコン室へとたどり着いた。

 本当に壮絶な道のりだった。美琴さんたちが、まるで助っ人キャラみたいに駆けつけてくれなければ、きっと僕はパソコン室に辿り着けなかっただろう。


 僕、なにもやってないやこれ。


 シリアスっぽい感じだったのに蓋を開けたらギャグ展開って。

 この先も嫌な予感しかしないよ。


「まぁいいや! とりあえず、ようやくたどり着いたぞパソコン室!」


 睨みつけるのはパソコン室の入り口の扉。


 白色をしたスライド扉。

 中央の磨りガラスの向こうはほの暗い。

 だが、耳を澄ませば中から人の気配が感じられる。


 中に陽佳がいる。


 そして【あの男】も。


 壮絶な戦いもついにクライマックス。

 激闘の予感に身を震わせて、僕はパソコン室の扉に手をかける。

 しかしその前に、僕は背中を預ける仲間たちに顔を向けた。


 美琴さん。愛菜さん。幸姫さん。


 僕の「覚悟はいいか」という視線に彼女達は頷く。

 この先にどんな未来が待っていても黙って受け入れる。そして僕についていく。そんな覚悟を三人の瞳の奥に見た気がした。


 どうしてそこまで僕のためにしてくれるのだろう。


 陽佳の友達だから?

 それとも、僕のことを男として意識しているから?


 いや、今は考えるのはよそう。


「行きましょうゆーちゃんさん。陽佳さんを助けましょう」


「ゆーいち! 私たちがついてるよ!」


「いざとなったら私の催眠術で記憶消去でして!」


 みんな頼もしいよ!(とくに幸姫さん!)

 なんだかチームバトルモノの最終決戦みたいな気分だ!

 僕たちの友情パワーを見せつけてやろうぜ!


 友人達の熱い眼差しを力に変えて、僕はパソコン室の扉を開いた。


 電気の落とされたパソコン室。

 日も沈み、厚いカーテンが窓にかかっている。

 そこは一寸先も見えない深い暗黒に包まれていた。


 廊下から入り込む光を頼りに、僕は部屋の電気のスイッチを探す――。


「来たな、俺のエンジェル」


「……その声は⁉」


 パソコン室の濃い闇の中で何かが蠢いた。

 部屋の中心にぼんやりとした青白い光が灯る。


 光に照らされて僕の目の前に人影が浮かび上がった。

 それはパソコン室の入り口に立つ僕たちを見つめ、棒のようなモノを構えている。


 猿田大智だ。


 奥歯を無意識に僕は噛みしめた。


「猿田。いったいこれはどういうことなんだよ?」


「どういうこと……か。それはお前の愛しい彼女に聞くんだな」


 猿田の影に隠れて少女が椅子に座っていた。


「……陽佳!」


 酷くやつれた表情をした少女は涙で頬を濡らしている。

 青白い光を放つノートパソコンの前に座り、陽佳は深い悲しみにくれていた。


 間に合わなかったのか。

 いったい猿田に何をされたって言うんだ。


 僕の焦燥をあざ笑うように猿田が陽佳の背後に回った。

 陽佳の肩になれなれしく触ると、彼はいやらしい手つきでそこを揉んだ。陽佳の顔がひくりと動く。うっすらと紅潮した頬は、快楽に耐えているように見えた。


「さぁ、見せてあげなよ小野原さん。君と僕たちが作った【Hな動画】を、君の愛しの人にさ」


「……やめて。こんなのまだ見せられないよ」


「恥ずかしがることないさ。一生懸命頑張っているのを見せてあげよう。それを見れば、きっと勇一も分かってくれるよ」


「やだっ! こんなの見たら、ゆーちゃんきっと幻滅しちゃう!」


 するもんか。


 君が猿田たちに何をされたかなんて知らない。

 知りたくもない。


 けれども、何があっても僕は君を見捨てない。

 僕にとっての陽佳の価値は、何があっても変わることはないんだ。


 信じてくれと僕は陽佳を見た。

 けれど、僕の視線から逃げるように陽佳は顔を背けた。


 猿田の影に再び隠れてしまった陽佳。「しょうがないね」と笑った猿田は、その手に持っていた棒のような何かを振り回す。

 すると、パソコン室の天井から教室の正面にまばゆい光が照射された。


 映し出されたのはパソコンのデスクトップ画面。

 映像編集ソフトがそこには動いている。


「小野原さんが嫌だっていうなら、僕がみせちゃうね。いいだろう、僕も協力してあげたんだからさ」


「いやっ! やめてっ! 見せないで!」


「さぁ、たっぷり見ておくれよ勇一! 君のかわいい姿を!」


「やだぁっ! ゆうちゃん、見ないでぇっ!」


 叫ぶ陽佳。

 芝居がかった笑い声を上げる猿田。


 息をのんだ美琴さん。

 陽佳の名を呼ぶ愛菜さん。

 黙って手を合せる幸姫さん。


 そして――前方のスクリーンを食い入るように見つめる僕。


 この場に居る人間全ての意識を吸い寄せたスクリーン。それが一度暗転したかと思えば、これから流れる映像を端的に説明した文字が表示された。


 無駄にポップなフォントで虹色に輝くクソダサいタイトル。


 そして――。


『かわいいゆうちゃん! よんさい! わくわくおつかいちゃんとできるかな!』


 父さんと母さんの声でタイトルコールが入った。


 うーん。


 これはまたぼくのかんちがいだな。


 わかった。ゆうちゃんかしこい。(しろめ)


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