第3話


 今にも崩れ落ちそうな雰囲気の木造二階建てアパートに帰宅した吹雪は、部屋に入るなりベッドに横になって、久しぶりの我が家を堪能する。

 年季が入った建物のため、所々に錆や隙間穴が目立つが、住み慣れた我が家でもある。鼻孔を擽る畳の香り、アパートのすぐ近くには道路があるため、車の振動が室内にまで伝わる。慣れ親しんだ感覚が蘇り、日本に帰ってきたのだと実感する。


 異世界に召喚される以前の吹雪に贅沢する余裕はなく、その日を生きることに必死だった。アルバイト代は家賃、光熱費、食費で殆どが消えてしまっていた。

 残ったお金は雀の涙ほどで、厳しい生活を強いられていた。

食費を切り詰め、電気やガス、水道代を節約してもお金は溜まらなかった。


 家族からの援助は一切なく、自力で生き抜くしかなかった。

学院とバイトを両立させることは大変で、常にギリギリの生活を送っていた。

 金欠状態の生活が当たり前となっていたが、悪いことばかりではなかった。


 アパートには吹雪以外の住民がいないため、静かでのんびりとすることができる。田舎でしか体感できない自然に囲まれているため、空気が新鮮でもあった。

 夜になると街灯に照らされた街並みが一望でき、嫌なことを忘れることができた。


 室内にはエアコンが取り付けられていないため、窓を全開に開ける。

鳥の鳴き声や虫の鳴き声が室内にまで響き渡り、夏を体感できた。

 さすがに電気やガスは止まっているかと思ったが、普通に使えた。

間取りは1Kであるが、風呂やトイレも完備している。

 一人暮らしには充分であり、これ以上の贅沢は望めなかった。


 「……久しぶりに帰って来たな」


 カレンダーで日付を確認すると、今日は八月十日であった。

学院は夏休みに入っているはずだが、吹雪は学院をどうするべきか悩んでいた。

 異世界で十一年を過ごした吹雪は、とっくの昔に学生気分が抜けていた。

これからは自身の力で働き、経済的に自立していくしかないと考えていた。

 今さら学院で学ぶこともないと考え、退学手続きを行うつもりだった。

学院には嫌な思い出しかないし、会いたくない人もいた。


 呪力がないと判明してから五年もの間、凄惨ないじめに遭ってきた。

自分ではどうすることもできず、耐え難い苦痛の日々を送ってきた。

 異世界で戦争を経験した今ならば過去の自分を冷静に見詰め直すことができるが、異世界での経験がなければ心が壊れていたかもしれない。

 

 思考を巡らせながらベッドに横になっていると、扉を控えめに叩く音が響いた。

帰宅したばかりで疲れていた吹雪は、ノックには応じずに目を閉じる。

 そのまま寝てしまおうと思ったが、扉を叩く音がどんどん大きくなっていった。

はっきり言うと近所迷惑であったが、仕方なくベッドから起き上がる。

 しぶしぶ玄関へ向かうと、扉を開けずに声を掛ける。

 

 「どちらさま?」

 

 このアパートに人が来ることは珍しいため、アパートの管理人かと思った。

異世界での習慣が染みついているのか、扉を開けずに外の様子を窺う。

 常に警戒を怠らないように気を張り詰め、何事にも対処できるように気を配る。 古いアパートのため、インターフォンも取り付けられていない。

 壁が薄いこともあり、外の様子を察することができた。


 「……私。瑠衣よ。意識が回復したと聞いて家まで来たの。扉を開けて」

 「お前と話すことはない。帰ってくれ」


 アパートの管理人ではなく、幼馴染の土御門瑠衣つちみかどるいであることが分かった。

土御門家とは安倍晴明を祖とする末裔であり、秋月家と肩を並べる家格でもある。

 土御門家の長女が瑠衣であり、次期当主に最も近いとまで言われている。

陰陽師としての才にも恵まれ、吹雪とは真逆の人生を歩んできた。

 それと同時に、吹雪が植物状態となるきっかけを作ったのも瑠衣である。


 あの日のことが昨日の記憶のように蘇り、心の奥底で憎悪の塊が蠢いているような気がした。あの日、瑠衣に裏校舎に呼び出された吹雪は、何も疑うことなく裏校舎に向かった。裏校舎には瑠衣だけではなく、クラスメイト全員の顔触れが揃っていた。訳も分からずに集団リンチを受け、瑠衣は助ける素振りすらも見せなかった。

 学院で唯一話せる存在だった瑠衣に裏切られたのだと、その時になってようやく悟った。

 

 「話したいことがあるの」

 「あの日のことを口止めしたいのだろう?学院側には何も話さないから安心しろ。だからもう俺に構わないでくれ」

 

 顔を合わせたら憎しみが増してしまいそうだったため、扉越しに会話をする。

もう瑠衣との縁は完全に切れている。話すこともないと見切りをつけていた。

 自己保身に走っているのであろうと容易に想像でき、盛大に溜息を零した。


 「違う。あの日のことを謝りたくて……」

 「謝っても遅い。奇跡的に植物状態から回復したが、一歩間違えれば死んでいた。だからこそ許すつもりはない。もう帰ってくれ」

 「……」


 自分でも驚くほどの冷徹な声がでた。実際はそれほど憎んでいる訳ではない。

異世界で生活しているうちに、忘れかけていたと言った方が正しい。

 だが、瑠衣やクラスメイトのことを許せるかと問われたら、答えは決まっている。

許せるはずもない。いや、これ以上は関わりを持ちたくないというのが本音である。

 集団リンチを受ける以前は、瑠衣とも仲が良かった。

一緒に勉強をしたり、一緒に鍛錬を行ったりしたこともあった。

 だが、以前のような関係に戻るつもりはなかった。

 

 肉体だけではなく、精神的にも成長した自覚はあったが、完全には大人になりきれていないのかもしれない。時が経てば許せるかもしれないが、今はまだその時ではない。それに悲しい思いをするのは嫌だった。

 瑠衣との関係はあの時に終わったのだと、自己完結していた。


 「お願い。扉を開けて……」

 「くどい。帰れと言っている。お前と話すことはない」

 「……」


 もう二度と関わり合いを持たないと、決別した瞬間でもあった。

吹雪が慣れ親しんだ異世界から帰還したことには理由がある。

 それは腐敗した陰陽師の世界を変えること。

すなわち陰陽師が必要とされない世界に変えることでもある。

 

 この世に存在する全ての鬼と妖を消滅させれば、世界は平和になる。

そうすれば陰陽師の存在意義がなくなり、自然と陰陽師が必要がなくなる。

 才能のない者が差別され、生きづらい世の中では真の平和とは言えない。

吹雪のような存在を生み出さないためにも、陰陽師の存在意義を奪う必要がある。


 そう、異世界で学んだことは多岐に渡る。異世界では生き残るか、死ぬかの二択だったのだ。敵に情けを掛けてはいけない。ちょっとした油断や情けが命取りになることもあった。これから陰陽師と敵対する可能性も十分にあり得る。

 だからこそ瑠衣との関係をここで終わらせる必要があった。

過去の甘かった吹雪は、もう存在しない。


 扉の向こうから微かに呻き声が聞こえた。

扉を開けなくても瑠衣が泣いている姿が想像できた。

 これ以上のやり取りは不毛と判断した吹雪は、扉から離れる。

再びベッドに横になると、気付いたら眠っていた。


 



 

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