第4話


 あれから半日以上も眠っていたらしく、起きた頃には朝になっていた。

顔を洗ってから歯を磨き、出掛ける準備を始める。

 今日は学院に赴き、退学手続きの書類を提出する予定だった。

学院に通う生徒たちは夏休みに入っているが、学院の事務はやっているはず。

 吹雪の通っていた学院は、陰陽師を育成する特別な機関である。


 優秀な生徒が数多く在籍し、競争率の激しい特殊な環境下に置かれていた。

吹雪の通う学院では全生徒の成績が公表されるシステムになっている。

 成績を公表することで生徒たちの向上心を育み、生徒たちを競い合わせる環境を意図的に作り出しているのだ。

 そのため、成績の悪い生徒たちは肩身が狭く、途中で退学する生徒も多かった。


 残念ながら吹雪の成績はぶっちぎりの最下位であり、努力でどうこうできる問題ではなかった。筆記試験は問題がなかったが、陰陽師に必須の呪術が扱えなかったため、実技での成績を得られなかったのだ。

 生徒だけではなく、担任の先生にも相手にされない日々を送っていた。


 「ふっ……」


 学生時代の惨めな自分を思い出して、吹雪は失笑する。

以前の吹雪は呪力がないからと努力することすらも諦めていた。

 努力は時間の無駄だと勝手に決め付け、自身を取り巻く環境を恨んでいた。

後ろばかりを見詰め、前進することをしなかったのだ。

 才能がないのも他人のせいにし、現実から目を背けていた。


 幼い頃は立派な陰陽師になると意気込んでいた時期もあった。

三歳の頃から英才教育を施され、いつの日か両親を超える陰陽師になれると信じて、鍛錬に明け暮れる日々を送っていた。

 だが、その淡い期待も十歳の誕生日を迎えると同時に脆くも崩れ去った。

 

 秋月家では十歳の誕生日を迎えると、呪力解放の儀を行う。

才能や資質を見極めるために必須の儀式であり、避けては通れない道でもある。

 十歳になった吹雪も例外なく呪力解放の儀を行うが、問題が発生する。

呪力を扱えない体質であることが判明し、さらに式神の召喚に失敗してしまう。


 今までの努力は全て水の泡となり、自信もプライドも砕け散った。

僅か十歳という若さで実家を追われ、孤独の生活を送るようなる。

 坂道を転がるような転落人生が始まったが、それでも陰陽師になるという夢を捨て切れなかった。だからこそ陰陽師を育成する五芒星学院に入学した。


 だが、呪力を扱えない体質の吹雪にとって学院生活は苦難の連続でもあった。

授業には付いていけずに補習を行うが、それでも成果を上げることができなかった。

 気付けば周りの生徒たちから嘲笑され、いじめの対象になってしまう。

心が折れるまでに、そう時間は掛からなかった。

  

 しかし、吹雪に転機が訪れる。それが異世界召喚であった。

異世界で出会った人々、異世界で体験した経験は吹雪の価値観を百八十度変えた。

 今の吹雪があるのはアルステムダム王国の人々のお陰である。

魔王を討伐したことで恩返しもできたし、異世界に心残りはない。


 出掛ける準備を終えた吹雪は、鏡で自身の姿を確認する。

腰まで伸びた白髪は違和感しかないし、若返った姿も見慣れない。

 このままでは女の子に勘違いされそうな容姿だった。

才能はないけど容姿には恵まれているよねと、よく言われたことがある。

 だが、容姿に恵まれているなど、一度も思ったことがなかった。


 玄関を開けようとすると、扉の隙間に手紙が挟まっていた。

瑠衣からの手紙だと理解した吹雪は、手紙を読まずに破り捨てた。

 今さら謝られても許すつもりはないし、これ以上は関わるつもりもない。


 「さて、学院に向かうか」


 



__________________________________





 


 自宅から学院までは歩いて一時間三十分ほど掛かる。

何も考えずに歩いていたら、学院に到着していた。

 宮殿を思わせるような建物が建ち並び、その光景は圧巻の一言である。

優秀な人材を集めるため、建設費に莫大な予算を注ぎ込んだのだろう。

 校舎の入り口には狐と狸の銅像が置かれ、グラウンドが広がっていた。

殆どの生徒が夏休みに入っていると思っていたため、学院には教師しかいないと思い込んでいたが、グラウンドでは鍛錬を行っている生徒がちらほら見えた。


 さすがは陰陽師を育成する特別な機関である。

夏休みの間も鍛錬を欠かさない生徒がいることに感心する。

 陰陽師の中でも選りすぐりのエリートが集まる機関なだけはある。

日々の鍛錬を怠ることなく、精進している。

 少しでも鍛錬を怠ると、周囲の生徒との差が開いていく。

陰陽師の世界は競争社会であり、強者と弱者が明確に分かれてしまうのだ。

 吹雪はその歪んだシステムを壊すために、異世界から帰還した。


 陰陽師の存在を否定し、陰陽師の存在意義を奪うために。

もしかしたら心の奥底では、未だに陰陽師を憎んでいるのかもしれない。

 ふと、そんなことを考えながら廊下を進むと、事務所の入り口が見えてきた。

職員室とは異なり、ガラスで仕切られた事務所である。

 廊下からは室内の様子を窺えるようになっていた。


 吹雪は扉を数回ほど叩いてから室内に足を踏み入れた。

室内にはデスクが整然と並べられ、何人かの職員が業務に追われていた。

 学院の事務所に来るのは、これで二度目になる。

一度目は入学手続きの書類を提出するために、事務所を訪れた。

 まさかこんな時期に退学手続きの書類を提出することになるとは……。

人生とは何が起こるのか、自分でも分からないことが多い。


 「おや?君は?」

 「退学手続きの書類を持ってきました」

 「……そうか。君もか……」


 スーツ姿の男性は、何かを惜しむように呟いた。

まるで吹雪以外にも退学手続きの書類を持ってきた生徒がいるかのような口ぶり。

 だが、学院を去る予定の吹雪が踏み込んで良い問題ではない。

聞き流そうとしたが、事務の男性は悲しそうに呟いた。


 「君で三人目だよ。まだ入学してからそんなに月日が経っていないのに」

 「そうですか……申し訳ないです」

 「いや、責めている訳ではないんだ。ただ毎年、脱落する生徒が多いのは事実。教員の皆さんには教育の改善を求めているのだけどね……」

 「……」


 なんと返事をすればいいのか分からず、無言になってしまう。

そんな吹雪の考えを悟ったのか、事務の男性は慌てて書類に目を通す。


 「おっと、君に話すことではなかったね。今、退学手続きの書類に不備がないか確認を取るから少し待ってくれ」

 「はい。お手数をお掛けします」


 書類の数が多いので、確認作業に時間が掛かるものだと思っていた。

ボーッと外を眺めていると、事務の男性はいつの間にか確認の作業を終えていた。

 手際の良さに驚いたが、それだけ退学する生徒が多いのだと察する。


 「うん。不備はないようだね」

 「では、俺はこれで失礼します」

 「気を付けて帰ってね」

 「はい。失礼します」


 事務所を出ると、来た道を戻るように廊下を進んでいく。

廊下は物静かで、人とすれ違うこともなかった。

 事務の男性は、吹雪が落ちこぼれだと知らないのだろう。

最後まで丁寧な応対だった。学院にも良い人がいたのだと改めて思う。

 すべての人間が悪い訳ではない。そんなことは分かっている。

だが、一部の人間が能力で人を差別し、能力に劣る者を踏みにじることがある。

 力で弱者を捻じ伏せ、屈服させる。

逆らった者には暴力を与え、吹雪のようにボコボコに痛めつける。

 そのような行為が許されるのだろうか。

学院側は生徒たちのそのような行為を黙認し、増長させるような教育を行っている。

 そのような環境が未だに存在することが許せなかった。


 「おい!!秋月。意識が回復したんだってな?」

 「……」


 校舎を出て、グラウンドを横切ろうとした時だった。

突然と背後から声を掛けられた。

 後ろを振り向くと、三人組の男子が吹雪を睨み付けていた。

下品な笑みを浮かべ、体全体を嘗め回すような視線が不快だった。

 声を掛けてきたのは、元クラスメイトである三影充みかげみつるだった。

クラスの中心的人物であり、陰陽師としての才にも恵まれている逸材だ。

 弱者を踏みにじり、何かと吹雪に突っかかってくる一人でもあった。


 充の背後には偉そうに腕を組んでいる沢辺仁さわべひとし楠万次郎くすのきまんじろうが控えていた。

仁は小柄な体躯をした元同級生だ。態度が大きいため、あまり関わりたくない。

 亜麻色の髪を短く纏め、陰険な目つきが印象的だった。

実際に性格も悪く、充と一緒になって弱い者いじめを行っている。


 そして万次郎は長身の男であるが、体の線が細い印象を見受ける。

いつも三人は一緒にいるため、仲が良いのであろう。

 性格がひねくれている者同士で気が合うのだと勝手に思い込んでいた。

吹雪を植物状態に追い込んだ張本人たちであり、どう対処するべきか悩んだ。

 反省の素振りも見せないどころか、威嚇するような態度だった。

 

 「何か用かな?」

 「俺たちさ、これから飯を食いに行きたいのよ。分かっているよな?金だよ、金」

 「まだそんな幼稚なことをしているのか?呆れてものも言えないな」

 「あぁん?なんだと?誰が口答えして良いって言ったよ?」

 「ははっ……」

 「てめぇ、何がおかしいんだよ?」

 「いや、弱い者いじめしかできないと思ったら、可哀そうに思えてな」

 

 一触即発の空気が漂う。

少しでも動いたら殺すつもりだった。

 吹雪は二本の鉄扇を取り出すと、慣れた手付きで鉄扇を開いた。

通常の扇子とは異なり、鉄で作られた扇子である。

 人を殺すことに特化した武器でもあり、魔王を倒した武器でもある。


 「おいおい!落ちこぼれが何を強がって……」


 充は最後まで言葉を発することができなかった。

吹雪が鉄扇を横薙ぎに振るい、容赦なく首を撥ねたのだ。

 肉を抉り、骨を砕いた感触が鉄扇を通して右手に伝わる。

充の頭蓋が地面を転がり、血飛沫が豪快に舞った。

 背後にいた仁と万次郎は何が起こったのか、理解できていないようだった。

茫然としていたが、止まっていた思考を無理やり働かせようと必死になっていた。

 現実を認識した二人は、瞬きを繰り返すと甲高い悲鳴を上げた。


 「うわぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁっぁ……」

 


 



 


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