最悪の初対面
「──ここが私のお父さんが経営している喫茶店です」
放課後。俺は胡桃沢に連れられ、彼女のお父さんが経営しているという喫茶店へと足を運んでいた。
モダンな雰囲気のある胡桃色の建物。最寄駅から比較的近い場所に立地している。窓ガラス越しではあるが、店内は程よく賑わっていた。
「あんま考えなしに来っちゃったけど、大丈夫なのかな……俺」
「なにがですか?」
「こんなオシャレな場所で、働ける自信ない、というか……場違い感が凄いというか……」
「そんなに心配しなくても平気ですよ。私ですら出来ているんですから、大層なことはしませんし」
「な、ならいいんだけど……」
俺の不安を払拭するように、爽やかな笑みを浮かべる胡桃沢。
だが、俺の不安はそう簡単には消えなかった。
初めてスターバッ〇スに行く感じに近い、かもしれない。学生の俺が、そう易々と入っていい空間ではないと、扉に備えてある六等分されたガラスが暗に語っている。
心拍がどくどくと上昇していき、口の中が乾いていく。
不安に押し潰されそうになっていると、胡桃沢はぎゅうっと俺の右手を両手で包み込むように握ってきた。
「……え?」
彼女の行動に理解が追い付かず、反射的に一音漏らす。
そのまま数秒ほど、沈黙の時間が流れた。すると突然、我を思い出したように、俺から距離を取った。
「あ、すみませんっ」
「いや……全然」
そう言いつつも呆気に取られる中、胡桃沢が赤い顔をして弁解を始めた。
「私が不安な時、よくお母さんが手を握ってくれて、それがすごく安心できたので……井之丸くんの不安を払拭出来たらいいなと……つい」
「そういうことか。確かに、ちょっと気が楽になったかも」
「……い、井之丸くんさえよければ……もう少し……やっても……別に」
「ほんと? じゃあ、お願いしようかな」
胡桃沢はごにょごにょと言いよどむ。
俺は小さく微笑むと、胡桃沢に向かって右手を差し出した。
胡桃沢は赤くなった顔を更に赤くすると、恐る恐る俺の右手に両手を伸ばしてくる。
包み込むように握りしめて、照れくさそうに微笑んだ。
「井之丸くんは大丈夫です。大丈夫」
「ありがと胡桃沢。元気出たわ」
「よかったです。井之丸くんが元気になってくれて」
わずかに周囲の空気が弛緩して、俺の不安が和らいだ──その時だった。
ドスの効いた冷え切った声が聞こえたのは。
「店前でイチャつくとはいい度胸だな。特別サービスで、マスター特製コーヒーを出そうじゃないか。なぁ?」
「お、お父さん……」
胡桃沢が声の主を視認して、戸惑い気味に呟く。
その声を隣で聞いた俺は、肩を上下に揺らした。
「お父さん⁉ え……あ、こ、これは……その……」
「キミにお父さんと呼ばれる筋合いはないな。まぁひとまず、店内で話そうじゃないか。大丈夫、お金の心配はいらないよ。お金の心配はね」
ぽんぽんと俺の肩を叩き、店内へと誘い込む……というか連れ込もうとする胡桃沢のお父さん。
俺は毛穴という毛穴から汗が吹き出し、全身の毛が一斉に立ち上がる感覚に襲われていた。
これはもう……アルバイトどころの話では、なさそうですね……。
親の仇を見つけたかの如く、瞳に殺意を滾らせている。
微笑を湛えているものの、目が一切笑っていないことに、俺は命の危険を覚えていた。
最悪の形での初対面を経て、俺は遺書にしたためる内容を考えるのだった。
★
「さて、どうかな、私の特製コーヒーは……すまない、学生のキミにはわからないか。この高尚な味が」
現在、カウンターテーブルに案内された俺は、胡桃沢のお父さんにコーヒーを差し出されていた。苦みの中に、仄かな甘みを感じる。鼻腔をつく落ち着く香りがした。
けれど、コーヒーの味を楽しむ余裕がないくらい、この空間は張りつめている。
いつ拳銃を出されてもおかしくない。数秒後にはぽっくりあの世に旅立っているのではないかと肝を冷やすくらい、殺伐としていた。
店内には、ほどほどに客がいるが、周囲には人がいない。そのこともあって、この隔絶された空間が、より一層俺の不安をあおっていた。
「あ、あの……お父様はなにか誤解をされていると思うのですが……」
重たい空気の中、俺は勇気を出して切り出した。
「キミにお父様と呼ばれる筋合いはないのだが」
「えっと、じゃあマスター、で大丈夫ですか……?」
「ふんっ、まぁいいだろう」
「それでその、マスターは誤解されていると思うのですが」
俺はしきり直して、再び同じ内容で切り出した。
胡桃沢のお父さん改めマスターは、メガネのブリッジを中指でくいっと持ち上げる。
「誤解……あぁ、
「ち、違いますっ! あれは俺の不安を取り払ってもらっていただけで……イチャついていたわけでは!」
「不安を取り払う……? まさか、これから結婚の許しをもらおうと──!」
「どんだけ飛躍してるんですか! まず第一付き合ってませんし、結婚できる年齢でもないですから!」
俺は店内の落ち着いた空気とはそぐわず、声を張り上げて矢継ぎ早に否定をする。
すると、マスターの目の色が変わった。
「付き合ってない、だと……それは本当か」
「本当です。神様に誓って!」
俺は柄にもなく力強く肯定する。
マスターは「ふむ」と一息つくと、胡桃沢へと視線を向けた。
「どうなんだ玲奈。さっきからずっと黙っているが、本当に彼……えっと」
「あ、井之丸
「井之丸くんとは、何もないのか? 特別な感情を抱いていたりしないのか?」
俺への事情聴取が終わり、標的が胡桃沢へと遷移する。
俺はコーヒーを一口含んで、ホッと安堵の息を漏らした。
一時はどうなることかと思ったが、ちゃんと話せば理解してくれる良い人だった。
あとは胡桃沢が、きちんと誤解を解けば丸く収まる。普段飲まない高価なコーヒーの味に舌鼓を打っていると、胡桃沢が満面に朱を注いだ。
「お……お父さんに話すことは何もないですから! 余計な口、挟まないでください!」
──んっ、あれ……胡桃沢……?
途端、マスターの雰囲気がおぞましいものへと変化する。
目尻に涙をため込み、右手を力強く握りしめていた。ぷるぷると体が小刻みに揺れている。
「覚悟はいいな? 井之丸くん」
「ま、待ってください! だから、俺と胡桃沢は何もないですから! 本当に!」
俺は身振り手振りを交えて、大げさに否定する。
眼鏡越しに俺を睨みつけるマスターをどう宥めたものか、必死に考える俺だった。
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