第11話 遊ぶカネ欲しさ
「…………はぁぁ……解った、解ったよ。もういいさ、どうせこれ以上ゴネても結果は変わらないんだろ? 女神であるお前がこうして、逮捕寸前だった僕を助けてくれた事自体が、きっと任務が成功した証拠なんだと思う事にするさ……」
僕はがっくりとうなだれながら、カサカサに逆立った古い畳を撫でた。
やけに古ぼけた埃まみれの部屋だが、太い柱なんかは虫食いなどもなくしっかりしている。
ん?
そう言えば、ここはどこなんだ?
「あっ! そうだ、言い忘れてました! サトルさん、先日お伝えの通りですが、サトルさんがこちらの世界で10年前に入居予定だったアパートの契約は無効になってしまっています!」
「あ、うん、そうね。いちひち繰り返されると凹むから別に言わんでもいいわ」
「で、ご実家なんですが……こちらも認知症のお父様が家具を引き倒すなどして大荒れで、その後もお母様が行方不明になってしまったので現状とても住めるような状態ではありません!」
「いやあの、だからさ、そういうのは改めて聞きたくねぇんだよ」
「そもそも固定資産税が支払われていなかったとかで、土地ごと国に接収されると聞──────」
「だああああああああああ! 悲しくなっちゃうからもうやめてって言ってるんだよおおおおおっ!」
コイツ、わざとやってるんだろうか……。
女神の報告の通り、僕が異世界にいるうちに経過した10年間で、僕の家庭は文字通り跡形も無く消え去る事になった。
認知症を患った父に会いに行くことは可能だろうが、僕の事を何もかも忘れていたらきっとショック過ぎて立ち直れない気がする。
機会があれば行方不明になっている母の行方を、このクソ女神に聞いて会いに行ってもいいのかもしれないが……正直、会ったところで何ができると言うのか。
というか今更だが、転生した僕の顔は生前の僕とは似ても似つかない。
女神がきちんとキャラメイキングの時間さえくれていれば、以前と同じような姿で転生することもできたはずだが、こんな完全他人な顔で旧知の人間に会ったところでどうにもならないだろう。
「そこで! 我らが頼れるサトルさんのために、天界が動きましたよぉ!」
「へぇ、どんな?」
「なんとぉ! 我が天界の上司が、今後のサトルさんの任務の手助けになるようにと、このアパートの一室を用意してくれましたー!」
「へー」
知ってた速報。
だが生返事をした僕のリアクションが気に入らなかったのか、女神はちゃぶ台をペチンと叩いて抗議の声を上げた。
「んもーーー! サトルさんっ、何ですかそのリアクションはっ!? 天界がひとりの人間のためにわざわざ動くなんて滅多に無いんですよぉ!?」
「はぁ……いや、貸してもらっておいて申し訳ないんだけどさ、天界ってカネ無いの?? すっげぇボロいんだけど、このアパート。もうちょっと何とかならなかったの?」
「ほほう! 部屋はいらぬと!? テントと寝袋の方が良かったですかぁ!?」
「ちょおおおおおおおお!? いえ! ありがたくこのお部屋を使わせて頂きます!!」
危ない、機嫌を損ねて宿無しになるところだった!
いや、コー●マンやスノー●ークくらいの一流メーカーのキャンプグッズなら、もしかしたら快適に過ごせるかもしれないが……年がら年中屋外でテント生活になるのは避けたいところだ。
よく見れば、キッチンのシンクは狭いながらも給湯器が備え付けられており、コンロまである。
ボードの黄ばんだ小さな冷蔵庫と、ツマミ式の古そうなレンジもあるので、ここを貸し与えて貰えるなら普通の生活はできそうだ。
「わかれば良いのですっ! 光熱費はとんでもない使い方さえしなければ天界が持ちますから、気にしなくても良いですよっ! それから、これをお渡ししておきますっ!」
そう言って女神が差し出したのは、マジックテープ式の黒いナイロン財布だった。
受け取って中を開けようとすると、バリバリと派手な音が部屋中に響く。
うるせーなコレ。
だが文句を言おうとしたその時、中身を見た僕は一瞬固まってしまった。
「…………えっ!?」
紙幣を入れるスペースに、福沢諭吉と渋沢栄一の万札タッグがごちゃまぜに入っているのが見えたからだ。
その額、ゆうに20枚。
「え、ちょ、ちょっと……な、何だよこの大金……?」
「それは、今回サトルさんが任務を遂行してくれた報酬ですっ! 『転生無職』のサトルさんが遊ぶカネ欲しさに無関係な人間を殺し始めないよう、任務が成功するたびにあらかじめ用意した報酬額を天界がお支払い致します!!」
「あ、『遊ぶカネ欲しさ』って言い方、やめてくれねえかな!?」
「ちなみにですが、これでも今回は少ないんですよ! サトルさんが昨晩トラックで転生者候補を天界送りにしてくれたあと、『隠蔽』加護を使って逃亡しましたよね? あれのせいで、世間では『幽霊トラック事件』とかマスコミに取り上げられていて大騒ぎなんですよっ!」
「え、えええええええ!? そ、そうなの……?」
し、しまった、そうだったのか。
僕はてっきり『隠蔽』の加護を使い、『凶器召喚』でうまく物証も消せたと思っていたのだが、まさか運転手不在の幽霊トラック扱いになっていたとは……。
「上司の見立てでは、たとえ騒ぎが続いてもサトルさんや天界の存在がバレはしないだろうとの事でしたから、今回に関しては問題視されていませんっ。でも、リザルトではBランクでしたから、その分報酬も減額となっています! もっとスマートに、証拠も目撃者もなく遂行できれば報酬はさらに多くなりますから、頑張ってくださいねっ!!」
「リザルトBランクって、ゲームじゃねえんだからさ……というか、上手に人間殺せば報酬ゲットって、もはや僕は完全に殺し屋だな!?」
「んもー、今更ですねぇ! まぁ、もしサトルさんがどうしても『こんな汚れたカネなんか受け取れるかぁ!』と言うのなら資金提供は一切しないというのも可能ですよっ。でも身分証も何もないサトルさんが、この時代の日本でまともな職業に就けるとは思えませんけど?」
「ぐぅっ…………!」
『ぐう』の音は出たが、反論などとてもできない。
目の前でケラケラ笑っている転生の女神が言う通り……転生した僕には、社会的な後ろ盾は何も無い。
免許証もなければ保険証もない。
それどころか、前々世で高校生のうちに死亡した事になっている僕には戸籍すら残っていない。
これでは仕事に就くのも、携帯電話を契約するのも、口座を開くことすら不可能だ。
『転生』という手段でこの現代に帰ってきた時点で、そうなってしまうことは必然だった。
世の転生モノもそのあたりをしっかり描写してる物語が少なすぎて、見落としていた。
「ねっ? ですから、私と仲良くしましょっ、サトルさん! これからも私たちの任務をこなしてくれれば、私たちは転生者をゲット! サトルさんはゲンナマをゲットですよ!」
「説得する気があるなら、もうちょっとその生々しい表現を避けるべきだと思うんだがね!?」
しかし、こうなってはもはや選択肢など無い。
僕がこの世界で生活していくには、こんな仕事を請け負うしか道は残されていないのだ。
……僕、この女神たちに騙されていない、よね……?
「さーて! サトルさんにも納得して頂けたところでー! 早速ですが次のお仕事ですよ!」
「えええええええええっ!? ちょ、早すぎるだろ!? 昨日1人『天界送り』にしたのに、もう!?」
い、いくらなんでもハイペース過ぎないか!?
陽気な笑顔でいつものブ厚い本を亜空間から取り出した転生の女神は、やる気満々といった具合でページを捲り始めた。
「そうなんですよぉ、昨今の『異世界転生』ジャンルは強いですからねぇ、まだまだブームに陰りが見えません! 『転生候補者』の需要はすごく高いんですよぉぉ!」
「な、何を言ってるの!? ブームがどうとかって、それどういう事ぉ!?」
「はいはい、いいからいいから! ブリーフィングを開始しますよ! メモは取らないでくださいねー! 次の標的は19歳の女の子でー!」
「ええええええええええ!?」
「真っ黒のロングヘアで、近視用の
「ちょおおおおおおおお!? ま、待ってくれええええええええ!? 心も頭も準備できてなあああああああああい!!」
こうして僕は、初めて人間を殺してしまった。
そしてこれからも、人間を殺す事になってしまった。
異世界で魔王を倒したあと、自身が下した決断が今になって悔やまれる。
だが、後悔などしたところでどうにもならない。
僕はこの日から、全く褒められたものではない毎日を過ごす事となった。
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