第10話 朝起きたら見知らぬ部屋、そんな経験も人生に一度は必要

 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 僕は微睡まどろみのような浅い眠りから一気に覚醒した。



「……はッッ!?」



 目を開けた時、僕は見知らぬ天井の部屋にいた。

 飛び起きてあたりを見回すと、殺風景な四畳半が広がっている。

 家具らしいものは殆ど無く、部屋の真ん中に置かれた丸いちゃぶ台のほか、自分が横たわっていた薄い布団が1枚あるだけだ。



「こ、ここは……!? 僕は確か……!?」



 自分がいまどこにいるのかも解らないままだったが、それよりも自分が直前になにをしていたかを思い起こしてしまう。

 夢だったなら良かったのだが、僕の五体にはトラックで人を撥ねたときの感覚がありありと残っていた。



「あ……あの男子高校生を、ひ、轢き殺して、それで────」



 起き抜けのせいもあるのだろうが、頭が回らない。

 遮光の効果が全く無いぼろぼろのカーテンの向こうからは、鳥の鳴き声とともに朝日と思われる光が差し込んでいる。

 今は……早朝か?

 それにしても、なぜ僕はこの部屋にいるのか。

 順を追って思い出す。



 トラックを暴走させ、転生者候補の青年を轢き殺したあの夜────────

 僕はその後、『隠蔽』の加護を発動させたまま運転して現場から逃げた。

 この現代日本では、轢き逃げなどしてもすぐに警察に捕まる。

 現場の目撃者のほとんどがスマートフォンを持っていて、中には事件の状況を撮影している人間だっているだろう。

 それに町中に設置された防犯カメラと、各車両に搭載されたドライブレコーダーの映像から容疑者を特定することだって容易いはずだ。


 だが僕は『凶器召喚』で呼び出したものは任意のタイミングで存在を抹消できる。

 必死に逃げ出した街中からパトカーの音が響き始める頃、僕は町外れにある閉鎖された廃工場の敷地内にトラックで突っ込み、そこでトラックを跡形もなく消し去った。

 手をかざして念じると、トラックはタイヤ跡のみを残して光の粒子となって消えた。

 これであの男子を殺したトラックは、もうこの世界に存在しない。

 証拠は完全に消えた。

 消えて…………そのあと、僕はどうしたんだっけ……?



「私が大サービスして、ここまで転送してあげたんですよぉっ!!」


「どわああああああっ!? な、ななななんだビックリしたなもおおおおおお!?」



 耳元でいきなり不機嫌そうな声を上げた女神に驚き、僕は部屋のちゃぶ台に足をぶつけながらも飛び退った。

 脛のあたりを強打した!

 痛ってぇ!

 こういうのホントやめてほしい!

 こ、この女神、まるで気配を感じなかった……。

 というか、どこから入って来たんだ!?

 女神だから空間を飛び越える事なんて朝飯前なんだろうけど、目の前で超常ありきのムーヴをされるのは嫌だ、正直マジで無理。

 こちとら5年間も異世界に居たとはいえ、転移や飛翔などの便利そうな魔法などは一切使えずに地べたを歩き回る生活だったのだ。

 こんなホイホイ飛び出されるのは慣れていない。



「まったくもー! サトルさん! 覚えてないんですか!? 昨日は廃工場まで行ったあと、すぐそこまでパトカーが迫ってきてるのにボンヤリしたまま動かないから、仕方なく私が昏睡魔法をかけて亜空間に放り込んだんですよ!?」


「それは『助けてくれた』って事なんだよね!? でも言葉だけ聞くととんでもねぇ事してくれてるな!?」


「はーやだやだ! サトルさんの世代の日本人って『ありがとう』が言えないんですかねー!?」



 『ごめんなさい』も言えない女神にこんな説教される筋合いは無いと思うのだが。



「あ、いや……ごめん、きっと初めて車で人間を殺しちゃったから、茫然自失だったのかも知れない……あ、ありがとう……」



 人間に干渉できないスタンスを取りつつも、僕に対しては何の遠慮もなく昏睡魔法をかける女神にお礼を言うのはどこか癪だが……あまりの衝撃で動けなかったのは事実だ。

 きっとこの女神の助けがなかったら、僕は駆けつけた警察官に逮捕されていたかもしれない。

 凶器は消し去ったとはいえ、タイヤ跡の残る閉鎖済みの廃工場にひとり人間がいたら、容疑者扱いされて当然だろう。

 そうなれば、今頃自分は牢屋のなかで目を覚ましていたかも知れない。



「こんなのは、今回だけですよっ! せっかく転生の手続きが終わって帰って、『San-Man』の冠番組がリアタイで見られると思ってたのに……残業になっちゃったんですからね!」



 転生──────


 そ、そうだ!

 あの男子は、どうなったんだ!?



「ちょ、ちょっと待って! 僕がトラックでこ、殺した、あの男子高校生は……転生できたのか!?」



 僕は埃の舞う四畳半の空間でも自由奔放にフワフワ浮いている女神に問いかけた。

 カーテンの隙間から入る朝日よりも無駄にキラキラと輝いている女神は、この部屋の光源になっている。


 そうだ。

 僕は、間違いなく彼を殺したんだ。

 はじめに道路に飛び出てきたのはロングヘアの女子だったので大いに焦ったが、そのすぐ後ろからあの男子高校生が出てきて、道路にいた彼女を突き飛ばした。

 きっと……あれは彼女を助けたんだろうな。

 それほどにまで自己犠牲の精神が強い男子だったんだ。

 結果、神々の情報通りになり彼は死に、助けられたロングヘアの女の子は助かった。

 でも、もしあの女の子が男子高校生と知り合いであったら……彼女の心中を察するに余りある。

 もしかしたら彼は、あの女の子と仲の良い関係だったのかもしれない。


 そんな彼を、僕は殺した。

 何度も頭の中で繰り返す。

 天界の神々によって転生者候補に選ばれてさえいなければ、この世界で今日も平和な日常を送るはずだった彼を……。

 改めてそう思うと、ひどく胸が痛む。

 僕は、彼がこの世界で迎えるはずだった未来から彼を取り除いてしまったのだ。

 せめて彼が無事に転生を果たしていれば良いと思ったのだが……


 残念なことに、残念な女神の口からは、残念な答えしか返って来なかった。




「むあー……サトルさん、ごめんなさい。ちょっと喋りかけちゃいましたけど……実は転生した魂の扱いに関しては、サトルさんも含め現世の人間には言っちゃダメな事になってるんですよ」


「えぇっ!? そ、そんなの今更じゃないか!? 僕は彼を転生させるために殺したんだろ!?」


「そ、そうなんですけどぉ……彼がどこに転生したか、そもそも転生を選択したのかというのは女神としての守秘義務なんですよっ!」


「な、何だよそれ……!? 僕は依頼を受けてこんな事をしたってのに、知る権利が無いのか!?」



 何だかよく解らないポイントで秘密主義なんだよな、天界って。

 しかし、さすがに今回は納得できないぞ。

 彼が無事に転生できたのかすら解らないようでは、僕がやっている事はただの殺人だ。

 異世界を救うために他人を殺める、という心の免罪符すら失ってしまいかねない。



「うぅ……本当にすみません、教えられないんですよぅ……。その昔、同じ世界に転生をした女性を愛の力で探し当てちゃった人がいて……その人たちの記憶を消したり、存在を抹消したりで天界が大混乱に陥った事があるんです。それ以来、よほどの理由がなければ現世の人たちに転生に関する情報を教えてはいけないことになって……」

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