第9話 一名様、ご案内
「それでは、時間となりましたので……サトルさんっ! 首尾よく、いってらっしゃいませ!」
「人間を殺す人間を、そんな満面の笑みで送り出す女神ってどうなの??」
「あらー? お望みでしたらコワモテの現場処理係の天使に変わりますけど、どうします? 私の部下にサングラスが似合う下位のマッスルアークエンジェルがおりましてー」
「是非これからも、引き続き私の担当をお願い致しまぁす! 女神様!」
いらん一言でとんでもない担当者をあてられそうになり、僕は慌てて否定し運転席に飛び込んだ。
5年もの間、現代文明からかけ離れた異世界生活を送っていたせいでMT車の運転席でさえもとんでもなく高度な文明に見えるな。
キーは刺さったままになっている。
「えーと……マニュアルミッションで、シフトがこうで……こっちがウインカーで、ワイパーで……ど、どっちのペダルがアクセルだっけ……?」
5年前の春休み、僕は大学生活が始まる前に免許合宿で普通免許は取得した。
AT車とMT車のどちらで取得しようか散々悩んだ覚えがあるが、見栄を張ってMT車の免許を取っておいてよかった……。
見た目は全然違うけど、これなら走るだけならなんとかなりそう、かな。
法律では大型免許がなければ運転できないのだが……はなから人を轢き殺すために乗るのだから、気にする必要など無い!
……僕、本当に倫理的に問題ありそうな事ばっかり言ってる気がするな……。
自分を轢き殺したトラックで、他人を轢き殺す。
とんでもなくサイコパスな事をしようとしている気がする。
もしかしなくても、僕は今まさに人の道を踏み外そうとしているのでは?
このトラックがひとたび走り出せば、後戻りはできなくなる気がする。
本当に女神の依頼に従っていいのだろうか?
異世界を救うためとはいえ、こんな──────
ハンドルを握りしめたまま動かなくなってしまった僕を見て、女神は心底かったるそうに声を掛けてきた。
「……もしもーし? サトルさーん? どうしたんですか? まさか
「い、いや……少しは迷う暇くらいくれたっていいじゃないか……。僕はこれから、ひとりの人間をこの手で殺そうとしてるんだよ? 少しは罪悪感ってものを……」
「はー、やれやれ。これから何十人と異世界送りにして頂くっていうのに、何をまだるっこしい事言ってるんですかー!」
「え……な、何十人……えっ?」
聞き返す僕の顔を見て、女神は「……あっ」と短く声を漏らした。
直後にわざとらしく視線を外すと、僕の尻をぺしぺしと叩くような動作をする。
「ほ、ほらほらっ! 早くしないと間に合わなくなりますよっ!? さぁ乗った乗った! 仕事のじかんですよぉ!」
「待てコラァ! 何十人って何だよ!? 僕聞いてないぞ!? そんな数──────」
問い正そうと抵抗する僕に対し、女神は普段とは違う鋭い眼光を向けてきたかと思うと、突然人差し指を突きつけた。
すると、僕の身体はまるで金縛りになったかのように自由が利かなくなる。
「むぐっ!? お、おい!? 何をした!? 放せェェェェ!?」
「はいはいはーい! エンジンかけますよ! 右足はここ! 左足はこっち! シートベルトは……えぇい、めんどくさいから省略っ!」
「やめろおおおおお! 僕の身体を好き勝手に動かすなぁぁ!」
女神が指をぐにぐにと動かすたびに、僕の身体はまるで操り人形のように運転席にセットされてゆく。
いつのまにか握らされていたハンドルから、指が離れないっ!
それを見た女神は満足そうに微笑むと、トドメとばかりに指をトラック前方に向けて叫んだ。
「アクセル全開で、いっってらっしゃーい! 吉報を期待してますよぉ、サトルさーーんっ!☆」
「こらぁぁ! 『サトルさーんっ!☆』じゃねェェ! せめてシートベルトはさせてくださいお願いしますウウウウウウウ!?」
僕の懇願も虚しく、トラックはエンジンを震わせながら、走り出してしまった。
「あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“あ“ーーーー!?」
軽い蛇行を繰り返しながら暴走を始めた大型トラックは、勢いよく幹線道路に向かって突き進む。
駐車していたところはまるで
この街の幹線道路である片側二車線の道は、不自然なくらいに空いていた。
もしこの道路に他の車がたくさんいたら、ターゲットを轢き殺すまでに何台も巻き込んでしまうところだった。
運良く空いているタイミングだったのか、それとも。
こういうのも、あの女神たちが裏でセッティングしているんだろうか……?
などと考えながら運転席の時計に目をやると……20時21分。
女神が言っていた時間の、1分前だ。
1分後に、ターゲットの男子高校生は道路に飛び出すことになっている。
1分後に、僕はこのトラックで人間を轢き殺すのか。
本当に良いのか?
ハンドルを握る手が、合成革の生地と擦れギュッと鳴る。
良く見れば、指先が震えているじゃないか。
心臓もバクバク言ってる。
窓の外ではネオンやLEDが輝く街がうしろに流れて行く。
でも、そんなものを見ている余裕もない。
時速80キロ。
法定速度をはるかに超える速度で、僕の乗る大型トラックは走り続けている。
これは、もしヘタに操作を誤れば僕まで死にかねない。
依頼をこなす云々の前に、落ち着かなくてはっ……!
「お、落ち着け、落ち着け僕っ! こ、これは女神からの依頼なんだ……! 異世界を、す、救うため、仕方ない事なんだ……!」
自分に言い聞かせるように発した言葉だったが、我ながら思う。
これじゃあ、どこからどう見ても異常者ですわ。
無意識に踏み込んだアクセルペダルは、重低音を響かせながらトラックの速度を上げる。
赤信号を無視して交差点に突っ込んだ。
はるか後ろからクラクションが聞こえた気がしたが、もう見えない。
僕の運転するトラックは、明らかに暴走車と成り果てていた。
デジタル時計の表示が変わった。
20時22分。
繁華街のスーパー前にある横断歩道が……見えた。
「う、うううっ……! うううううううっ……!」
手が震えているのは、トラックが揺れているからだけじゃない。
こんなの、受け入れられるワケないじゃないか。
なんで異世界を救った僕が、こんな事してるの!?
漫画や小説だって、こんな酷い仕打ちなんて滅多にないぞ!?
すると突如、スーパーから飛び出してくる人影が見えた。
後ろを振り返りながら、一直線に横断歩道へと向かってくる。
青信号のうちに渡ろうと走ってくる。
あれが、ターゲットの男子高校生──────?
そう思っていた僕は、背筋が凍りつく。
横断歩道へ走ってきたのは
スカートを履いた、ロングヘアの女の子だった。
「……え……ええええええええぇぇ!?」
ど、どういう事だ!?
この時刻、ここに現れて、僕のトラックに轢かれるのは
男子高校生だったはずじゃ……!?
このままでは、彼女を轢いてしまう。
は、話が違う。
止まらなくては。
時速100キロ以上出ていたトラックを止めようと、僕はブレーキを踏みつける。
瞬時に前のめりになる、僕の身体。
慣性の法則に従い、前方に傾く運転席。
だが、ABSが作動した大型トラックは止まらない。
横断歩道の上で、ようやく自分に迫る暴走トラックに気付いた女子高生と思われる娘は、目を見開いてその場に止まってしまった。
違う。
君じゃない。
違うんだ!
君は死んじゃダメなんだよ!
そう、心の中で叫んだ時────────
女子高生のうしろを歩いていた、ひとりの男子が
トラックのわずか数メートル前で女の子を突き飛ばし
彼は、そのままトラックのフロント部分に消えていった。
直後、『ボガン』という音が響く。
すると目の前の道路に、なにか黒いものが無数に転がっていくのが運転席から見えた。
ゴロゴロと転がったあと、しばらくして止まったそれは
少女を助けた男子の、肉片だった。
「う、わ、あああああああああああああああああああああ!?」
けたたましいブレーキ音を響かせながら、ようやく完全に停止したトラック。
だが、その前方には凄惨極まる景色が広がっている。
文字通りの、血の海。
道路上や歩道には、つい数秒前まで『男子高校生だったモノ』が飛び散っている。
フロントガラス越しに見える景色に、すべてモザイクをかけなきゃいけないような有様だ。
だがその景色も、いつの間にか作動してしまっていたワイパーが塗りつぶしてゆく。
ガラスに飛び散っていた血糊がワイパーによってべっとりと塗り広げられていくのを見て、僕は気を失いかけてしまった。
だが、周囲から聞こえる人々の声が、それを許さない。
「お、おい……! あのトラック……誰か轢かなかったか……!?」
「え、そ、そう……か? 誰もいないように見える、けど……!?」
「ひっ……!? ち、違う! 轢かれたヤツが、バ……バラバラになっちまったんだ!!」
「う、うぉええぇぇぇっ!」
「め、目玉が……! 指が落ちてるぅぅぅぅっ!? いやあああああああっ!?」
一瞬の間を置いて、周囲からは惨状を見た人々の叫び声が聞こえてきた。
もはや自分で見るまでもない。
このトラックの周囲がどんな状態になっているのか、容易に想像できる。
「運転手はどこだ!? まだ運転席にいるか!?」
大惨事を起こした犯人を探そうとする声が聞こえたとき、僕は口から胃が飛び出そうになるくらいに身体を跳ねさせた。
今の僕は、トラックで青年を轢き殺した犯罪者だ。
このままここにいれば、僕は日本の法律により裁かれる。
例えそれが神々の依頼で行った事であったとしても、そんな言い訳は通用しない。
に、逃げなければ!
僕は運転席の足元に隠れるように身をかがめながら叫んだ。
「……いっ、『隠蔽』ッ!!」
誰にも見られていなかったのか、幸いなことに加護が発動してくれた。
数秒のうちに僕の身体は透明になってゆく。
まるで運転席に誰も座っていないかのようだ。
しかし、このままではマズい。
『隠蔽』の加護は姿こそ見えなくなるが、僕自身がここに存在することには変わりない。
誰かが運転席に乗り込んでくるような事態になれば、透明になっている僕の存在に気付くヤツがいるかもしれない!
「う、うおおおおおおおおおおっ!!」
僕は震えを通り越してもはや痙攣のようになっている手をハンドルにかけ、ふたたびアクセルペダルを踏み込んだ。
繁華街の真ん中で青年を轢き殺して停止していたトラックは、再び大きな音をたてて進み始めた。
「お、おい……ウソだろ!? あのトラック……逃げるぞ!?」
「お、おいおいおい、轢き逃げじゃねえか……!! 待てぇ!」
「止まれ! 止まれっつってんだろ、クソ運転手! ……って、あ、あれ!?」
「ね、ねぇ!? あのトラック……誰も乗ってないのに、動いてるんじゃ……!?」
眼前に広がる男子高校生の肉片を踏み潰しながら、姿を消した僕の運転するトラックは猛スピードで走り出した。
轢き逃げするつもりのトラックに、周囲からは罵詈雑言が浴びせられているのが聞こえてくる。
だが、僕はそんな声をすべて無視してアクセルを踏み続けた。
あぁ
もし僕が、異世界転生モノの物語を読むなら
絶対にこの直後から始まる物語だけを読みたい。
知らないうちに涙を流していた僕は、必死にトラックを走らせながらそんな事を考えていたんだ。
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