2.紅ずわい蟹のアメリカンソーススパゲッティ

かのコロンブスのごとく、私がこの大陸を発見したのは小学生の頃だ。

両親が離婚し、母と二人で貧しい生活を送っていた私は、とにかく入場料がかかる場所に連れて行ってもらえなかった。動物園、水族館、もちろんあのテーマパークにもろくに行ったことがない。

休みの日にはどこへ行くかと言えば、スーパーマーケット。

併設されたイートインか、こじんまりとしたファストフードの店に立ち寄って帰る。それがささやかな楽しみだった。

とは言っても、さすがに毎週同じ店に通っていれば飽きも来る。やがて近所にあるスーパーマーケット、コンビニを片っ端から制覇し、子供心にマンネリを極めていた時だった。

ある日突然、武蔵野の町並みに「新大陸」が姿を現したのである。

新大陸へ招待するチラシが郵便受けに入っていたのを目ざとく見つけた私は、すぐさま母に言った。

「ここに行けば、アイスがタダで食べられる!」

母親と北海道産牛乳を使ったこだわりのミニソフトの無料クーポンを握りしめた私は、正体のわからない大陸に足を踏み入れたのだった。

そこは、まるで異空間だった。

扉を開けると何やら軽快なベルが鳴る。

ピンと背筋の伸びた男性と女性がトレイを片手に無駄のない動線でフロアを闊歩していた。

そして彼らは、私と母と見るなり口角をきゅっと上げる。

「いらっしゃいませ」

窓に近いボックス席に案内された私は、とにかくソファーとテーブルの広さに驚いた。

メニューと水と手拭きを目の前にテキパキと置かれ、ふとメニューを覗き込んだ時、私の頭には衝撃が走った。

たった今、自分の運命を変えるような大きな発見をしたのだと本能が教えてくれた。


アイダホポテトたらこと、一杯の紅茶を飲み干した私は、行き詰まっている小説の原稿に取り掛かることにした。

鞄の中から、なぜか5キロのダンベルかのようなずっしりとした重さのラップトップを引っ張り出し、テーブルの上に置く。

上蓋を開くと、突如として出現した我が国の南北を隔てる壁に気持ちは落ち込んだ。


ありがたいことに、大陸からは電気が供給されている。足元のコンセントにプラグを差し、電源を入れるも、年季の入ったラップトップは、とにかく起動までに時間がかかる。まだ何も表示しない画面の向こう側には、なんとも魅力的な繁華街が広がっていた。


私はあっさりと誘惑に負け、再びグランドメニューに手を伸ばす。

先程のアイダホポテトたらこが着火剤となり、体が次の何かを求めはじめる。

たいていいつも決まったメニューを頼むが、たまに贅沢がしたくなる。

この気持ちをうまく満たすには、ある程度こだわりを感じるうえに高級感のあるものを選ぶ必要があった。

例えば、タスマニアビーフ100%のハンバーグ、もしくはエビとモッツァレラのトマトスパゲッティ、はたまた背の高いパフェもアリだ。

そうやって次々に目移りする私の目の前に、ふと飛び込んできた文字「紅ずわい蟹」。

蟹というだけでもリッチな気持ちになれるのに、しっかりと紅ずわい蟹だと特定しているところは感服する。さすが我が国。

写真で見る鮮やかなオレンジのソースに紅ずわい蟹のほぐし身がたっぷり乗り、誇り高きバジルの葉が乗っている様は何ともそそる。


そうと決まれば、動き出すのは早い。食後のデザートの前に滑り込むようにして迅速に注文した。

「お待たせいたしました。紅ずわい蟹のアメリカンソーススパゲッティでございます」

数分後、蟹の旨味が詰まった芳醇な匂いを漂わせながら、紅色の海がやってきた。

国を隔てていた壁を即刻倒し、ぐいと強めに遠ざける。

国のど真ん中に出現したきらめく紅色の海。なんて美しい海だろうか。

口元を両手で覆い、感動と歓喜に震える手でフォークとスプーンを取った。

そっとスプーンでソースだけをすくい、口に運ぶ。クリーミーなソースの中に暴力的なほどの旨味が口の中に広がり、私はすぐさまスプーンを置いた。

「すみません、追加でパンを」

盛られた紅ずわい蟹をフォークで少しずつ崩しながら、くるくると麺を巻く。巻き取られていく麺に濃厚に絡むソースには、さすがに笑みを抑えることはできなかった。

そして無心で麺を平らげたあと、絶好のタイミングで追加のパンが運ばれてくる。

温かいパンを一口ほどの大きさにちぎり、小さな島を海に浮かべた。

最高のリゾート地の出現に、私の心は高揚した。

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