ここは私の国
走鹿
1.アイダホポテトたらこ
家族にさえも言っていないのだが、私には国がある。
そこはとある大陸の中のほんの一角で、私にとっては最も自由で豊かな国だ。
自分の国にいる時は、全てのしがらみから解放され、疲弊しきった体と心が満たされる。
今日も吸い寄せられるように大陸に足を踏み入れると、すぐさま出迎えてくれる。
すっかり見知った女性は、いつからか入国する人数を問うこともなく「お好きな席どうぞ」と私に告げる。
彼女にかるく会釈をして、ここ数ヶ月は固定化している私の国へと向かう。
外の風景を入れた額縁のような窓のすぐそばで、広々としたソファーに座った。そして一人に対しては広すぎるテーブルを目の前に、グランドメニューを突き立てた。
今日も、無事に建国。
冷えた水で口を清め、おしぼりで手を清める。我が国で欠かせない儀式である。
とっくに全て頭に入っているグランドメニューとは別の、季節限定メニューに目を通した。
たいてい、巷で流行りの料理か旬の食材を使った鮮やかな料理とデザートがセットで並ぶ。最近は海外のメニューが人気なようで、聞いたことのない料理名と新たな出会いをすることもあり、なかなか閉鎖的な私に刺激をくれる。
そしてテーブルいっぱいに料理が並ぶ様を想像し、呼び鈴を押す。
「ご注文お伺いします」
「アイダホポテトたらこと、食後にコーヒーゼリーミニサンデーと、ドリンクセットで」
「以上でよろしいでしょうか」
何だかんだで保守的な私は、結局いつものメニューを注文し、ドリンクバーに向かった。
ホット用のグラスをお湯で温めてから、木のスプーンでお気に入りの2種類の茶葉を絶妙なバランスで入れる。イギリスも腰を抜かすような、我が国自慢のブレンドティーである。
ゆっくりお湯を注ぐと、紅茶の透き通った赤茶色が不規則に広がった。二つとして同じ広がり方はなく、どんなアートよりも美しい。
テーブルの上でその様を見ていると、心が癒される。
私の国に辿り着くまでにあった嫌なことや、負の感情にふわっと白いフィルターがかかり、どうでも良くなっていくのだった。
私が極上の紅茶セラピーを受けている途中、頭上に人影が現れた。
「お待たせしました、アイダホポテトたらこでございます」
水分が少ないほくほくとしたポテト、その上にたっぷりと添えられたピンク色のたらこが宝石のようにキラキラと輝く。散らされた彩りだけではない青ネギもちょうど良い量が散らされている。そして鼻先をかすめる優しく香るバターの匂いに自然と頬が緩んだ。
まずは付属のスプーンを右手に、トレイの中から取り出したフォークを左手に持つ。
たらことその下に隠されたバターをロックオンしながら、アツアツのポテトを一緒にすくう。
口の中に入れると、少し冷たいたらことバターがちょうどよくポテトの温度を冷まし、絶妙に口の中で混ざり合う。
この瞬間、毎回感嘆の声が漏れそうになる。なんて素晴らしい味だろうか。シンプルなのに唯一無二。
ある日、この芸術品が忽然とメニューから消えた時は、人目も憚らずにテーブルの上でさめざめと泣いた。それはまさしく、後にも先にも我が国崩壊かと思われた歴史的な事件であった。
その後、長い空白期間を経て、ほくほくポテト、ベイクドポテトたらこと名を変え、ついにアイダホポテトたらことしてここに返り咲いた。
私の国に歓喜と絶望をもたらす、偉大なる存在。
いつまでもあると思うな、親と金。そしてアイダホポテトたらこ。
今ここに存在するありがたみを噛み締めながら、フォークを使ってポテトの皮の向こう側が透けるまで丁寧にこそげ取り、味わい尽くす。
それがマナーや品性よりも勝る、この国の法律だ。
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