壱


はるか姉サマ、悠姉サマ。何処どこ行くの?」

 明るくて無邪気な声。

 何も知らずに後を付いてくる、自分の妹。

 今はまだ、妹。

 だけど……

 悠の心には、迷いがあった。

「ねぇ、何処行くの」

 少女はもう一度、悠に尋ねた。

「あのね。ひいらぎの知らないところ」

 心の迷いを見破られまいとして、悠はなるべく明るい声で答えた、つもりだった。

 柊と呼ばれた少女は、まだ知らぬ土地への憧れを抱き、悠の不安をよそにはしゃいでいる。

 この子が本当に……

 だとしたら、やはり、連れて行かなければならないのだろうか。

 ここで生きていくことは、できないのだろうか。

 悠は、心に幾つもの疑問を投げかける。しかし、どれ一つとして、答えが返ってくるものは、なかった。

 柊は、自分がこれから何処へ連れて行かれるのか。そして、それが、どういう場所であるのかを全く知りたがらなかった。きっとまた、悠姉サマが新しい花畑でも見付けてきたのだと、思い込んでいた。

 しかし、その期待も森の奥深くへ入るにつれ、薄れていく。

 薄気味悪い樹々きぎは、光のころもまとう悠のために道を開ける。そして、その後に続く柊の内に秘められた力を悟り、捕えようとしている。

 柊には、自分の内に秘められた力など知るよしもないが。樹々は、柊がしっかりと握り締めている悠の光の衣の為に捕えることが出来ない。

 森全体が柊を拒絶しているようだ。

 それから、幾らかの時間が、二人の間で流れていった。

 これが、この子の運命だというのなら……

 悠は歩みを止めた。

 柊が不思議そうな顔をして、悠をのぞき込む。

 悠は何事にも躊躇とまどうことなく唱えた。

「影治めし、その世界くによ、我が前に道を開けたまえ。

 闇へと通ずる門扉もんよ、この娘を受け入れ給え」

 ただでさえ、暗い森は、天上を覆い隠した黒き雲の為に光を失い、更に暗くなる。そこは、一種の闇と化す。

 悠の纏う光の衣が風に舞う。光を放つ。

 柊の目がくらむ。

 樹々もその場を怖れ退いて行く。悠の周囲には、それを召喚するに値する空間が設けられた。

 悠は続ける。を閉じた、そのままで。右手がすうっとかざされた。

 柊は目を覚まさない。

「黒き門扉よ、我が前にその姿、現し給え」

 ピカッ、ゴゴゴゴゴ

 天よりいかづちが下る。召喚の場とされた、その中央から水が湧き出でる。

 コポコポコポ、と。

 水は黒く、濁っている。そして、悠の足を浸す寸前で止まった。

 一瞬、周囲には静寂が戻った、かのようにも思えた。が、嵐の前に静けさ。次の瞬間には、黒き泉の中央――黒き水が湧き出た場所より、まだ誰も見たことがないと言う、黒き門扉が、その姿を現し始めた。

 悠はそっと目を開ける。しかし、動じてはいない。

 悠の纏う光の衣から光が消える。周囲はこの門扉の出現によって、何かが狂い始めている。悠は、その様子も、その理由も、そして、どうすればそれが元に戻せるのかも、心得ている。

 黒き門扉――それは、光の世に存在してはならないもの。

 その昔、光の世がつくられる、それ以前に、によって作られた世界、まだ誰も足を踏み入れたことがないと言う黒の世界、闇へと通ずる門扉。そして、その姿を見た者は勿論存在しない。それは、同時にこの門扉の召喚に成功した者が存在しないことを教える。

 開けてはならない門扉。

 今、悠はそれを召喚した。柊の為に。柊を本来あるべき場所へと、本来あるべき姿へと返還する為。それは、光の術を受け継ぐ者、否、光の血をけた者全てにおいて、己の命をも奪われる、自殺にも似た行為である。

 悠の纏う光の衣が風を抱く。亜麻色の髪がなびく。

「光の者が、何用だ」

 天からの声のようだが、地より湧き出るかのような重みのある声。

 悠の髪が、その動きを止める。

 悠は、何かを感じた。今までに味わったことのない感覚に対して、怖れが生じる。

 しかし、それを見破られまいとして、容姿を正す。

 柊の体がビクンと動いた。




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