六 …二

 唸るように低く発せられた声。通常の人間よりも息遣いが荒く、幾分苦しそうなその声に、いささか違和感を覚えた。

 例えるなら、野良犬が飢えて飢えて仕方なく、口からダラダラと涎を垂らしながら獲物を見据えているような、酷く渇望しているイメージだ。

 その言葉の意味がなんなのか、到底分かりかねなかったが、何かに怯えているようにも、そして、早く解放されたい、というようにも見える。

 

「道連れ……?」


 青年から発せられた言葉を聞き返すと同時に、視界がふと真っ黒になる。

 何が起こったか分からないその恐怖で、みことは咄嗟に己を守るように頭を抱え、身を縮ませた。

 刺される⁉と思ったが、体に痛みはなく、代わりにドスン、という大きな音と、青年の罵声が聞こえてきた。


「何すんだ‼ 離せ……‼」


 みことは、縮めた身をそのままに、うっすらと瞳を開かせる。

 じたばたと、手足をバタつかせている青年。その青年を抑えているのは、黒いフード付きパーカーを着て、つばの長いキャップを目深に被った男。先程までみことを狙っていた青年は、パーカー男に包丁を持つ腕を強くひねり上げられ、そのまま包丁を床に落としてしまった。


「馬子にも衣装だな」


 ポツリと、みことを背にしたパーカー男が呟く。

 どこかで聞いたことがある、今日初めて声を発しましたと言わんばかりの、少し掠れた声。

 それは一昨日、暗闇の中で聞いたものと同じだった。


「あ…アナタ、」

「警察には、俺のことは秘密にしといて」


 ぶっきらぼうにそう言うと、パーカー男は床に落ちた凶器である包丁を足で端に蹴飛ばし、青年の腕をひねり上げたまま神楽殿の祭壇を下りてゆく。しかし、観客たちがいる正面出口とは反対方向の、茂みの奥の細道へと向かってしまった。

 あの先は、一昨日私とパーカー男が夜に出会った裏門へと続いている。


 ただ、呆然と見ているしかできなかった。

 というよりも、足がすくんで動けない。

 会場には警備員と警察が押し寄せ、誘導された観客たちは次々とその場を離れてゆく。

 みこと達も警察官に誘導され、急遽学内に設置された捜査テントの中で事情聴取を受ける。

 学祭は中止、校内アナウンスが流れ、波乱の幕は降ろされた———。



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