1,小国にて


 男は飛び起きた。

 息を一つ大きく吸って、自分が先ほどまで見聞きしていたものが夢だったことを確認する。そのまま目を閉じ、なるべく細く、長く息を吐き出した。ぱちりと目を開いたところで、悪夢による不快な気分は男の中から完全に消え去っている。同時に、聴覚をはじめとする五感を研ぎ澄ませる。北の方向、この足音は。

 主人の帰りを察知するやいなや、男はその方向に出来るだけ早く向かえるよう座っていた床から立ち上がった。服は元々寝巻きなどの用意はないのでそのまま、武器などの装備品を身につけ、足速に宿を出る。


 男が駆けつけた時には、彼の主人は宿から少し離れた河を越えたところだった。

「甲斐甲斐しいことだな、サイモン」

「どちらに行っておられたのですか」

 サイモンと呼ばれた男の主人は、大義そうにため息をつき、曇天を仰ぎ見ながらその肩に担いでいた革袋を下ろした。

「私の気配は察知できるのにこいつらの気配はわからんのだな」

 ごろり、と一つ。皮袋に入った丸く重いものがサイモンの足元に転がされた。

 一応中身を確認し、それが男の首である事を知る。大方、いつものように危害となりそうな輩を斬ってきたのだろう。

 この方はこの手のこととなると、狩りをするかのような俊敏さと狡猾さをみせる。敵意に誰よりも敏感で、嗅覚が恐ろしく鋭く、自分の邪魔になるものは躊躇いなく殺す。敵が複数人や群れをなしていたときには、必ず全滅させてその組織の頭の首だけを持ってくる。いわく、他の者共に横取りされて困るものはそれだけだから。

 まるで逆賊のやり方だ、と初めの頃は思ったものだった。「正々堂々」などという言葉は微塵も当てはまらず、奇襲に近い。しかし、自分たちのおかれた立場というものはほとんどそれに近かったのも確かだった。


 正々堂々と戦うことなどが許されない。サイモンとその主人は、そういった立場にあった。ひとたび自分たちの素性が知れれば、首を差し出すまで追手がつくことになる。「生き残る」という目的一つにも、彼らは多くを殺さなければならない。少なくとも、まだ、今は。

「食料の確保はできたか」

 サイモンははっとして答える。

「はい、バラク様」

 サイモンは心の中で、先ほどまで仮眠のせいか少し呆けてしまったことを恥じながら、このあとすべき事を頭の中で確認していく。

「そうか、ではすぐにでも出立しよう。その首は賞金になる身元なのか確認しておけ。私は水浴びしてくる」

「賊らはどちらに」

 主人に言われなくとも、サイモンの仕事には賊らの片付けと次の旅路の準備が加わっている。

「ここらで言うところの北の森の手前だ」

 首に巻いてあるスカーフを緩めながら、主人は声を潜めてこう続けた。

「私たちの来た方角だ、追ってきたのかもしれん」



 サイモンとその主人バラクが今いるのは、彼らの祖国から遠く南へと離れた小さくも活気のある都市国家だった。その小ささのおかげで、人びとの多くは知り合いかその知り合いの範疇であり、国家警備が多少粗末でもなんとかやっていける。そのためか、バラクはいつにもまして警戒していた。


 こういう国ほど、滅びるときは一瞬だ。中が腐るか、外から紙屑のように燃やし尽くされるか。サイモンもバラクも、そのことは身をもって知っていた。

 その場を後にしたバラクを見送り、サイモンは北の城門へと急いだ。


 雷が遠くで鳴っている。


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