森の奥の色彩の霞の国

 昼下がりの山の上から霞む地上を見下ろして、ガーネットが歌っていた。

 岩に腰かけて、とても心地よさそうに歌うから「なんの曲?」とパナシアは尋ねる。ガーネットは紅と玄と黒の混じった毛髪を押さえながら、ニと笑った。


「昔の唄。鮮やかな国だったらしくてな。どんなとこだったのかなーと思った」

「ムカシノって国?」

「分からん! クロウ家では『いたずら霞の里』って呼んでた」

「……昔ばなしの国って、個性的な名前がとっても多いわ」

「由来を分かりやすくしたらそうなるんだと。正式名称が残る国のが珍しい」

「アルツの国も?」


 ガーネットは僅かに目を細めて「パナシア」と神妙に名を呼んだ。


「アタシはいいけど、それ、ノイトに言っちゃ駄目だぞ。傷つける」

「…ごめんなさい。軽率だったかしら?」

「兄貴の名前と名誉のために、国を立て直そうと頑張ってる友達に言うことじゃねぇな。『お前の仕事は無駄だ』って言われたのと同じ気持ちになるかもしれねぇ」

「本当にごめんなさい。ヒトのお役目仕事を悪く言うこと……そう…」


 ガーネットは片眉を上げてから「フラクロウの国がどんな名前だったのか、誰も知らない」と言い、岩の上にV字でバランスを取った。ゆらゆらと雲を追いかけて目線が揺れる。羽と足がバランスをとるために、草花がそよぐように揺れる。


「ありあわせの野草で作った野草炒めに、わざわざ毎日名前は付けない。つけたとして、日記に書いたりはしない。世界ことわりにとって、国の名も文明の名も、そのくらいのものなんだと思う。大事なことだけど、後生大事に記録に残して毎日愛おしんで読み返すほど暇じゃない」


 パナシアは黙って俯いている。

 横目でそれを見て目を瞑り、ガーネットは歌うように語りだす。



 七つ丘の南東に『いたずら霞の里』があった。

 南部を広く硬い砂の荒地、北と西をご存じ七つ丘。厳しく豊かな自然に囲まれて、小さいが栄えたクニだった。


 ……「七つ丘って何?」と来たか。

 や、問題ねぇよ。こっちこそ悪い。配慮が足りなかった。

 まず、フラクロウ代の記録に残ってる「丘」は大抵すごく高くて険しい山だ。急峻な尾根ってところだ。文明終わりの大災害で、全部更地になる前は―――うん、今はどこも更地じゃねぇけど、一回真っ平になったんだ。で、もう惑星も多分変わってる。

 七つ丘ってのは、星の中央からちょいと北に寄った所にあったドデカイ山。七つ連なった、雲を突き破る連峰よ。あの頃のフラクロウにとっちゃ、雲の下は『ケガレとシの国』に近い忌むべき場所だったからな。丘に見えたというか…丘だと思い込んだんだろ。丘が七つで、七つ丘。

 地上から見たら、もっと多かったかもなぁ。山。


 閑話休題。


 『いたずら霞の里』は、七つ丘から吹き降ろす冷たい空気と、南の荒地から来る暑い空気とがぶつかって、やたら幻が多く出たことからついた名だ。本来どういう名前だったのか。正確な所は分かってねぇ。

 勇敢な戦士も、鮮やかな織物をつくる職人も、染毛の職人も、薬草遣いも、子どもでさえ、どこに行ったのか分からない。……彼らが行方知れずになった頃、噴火があったんだと。地下から大蛇が出てきて暴れまわってる最中だったそうだ。辛うじて逃げ延びた民もいるとは聞くが、残念ながらこっちに話は残ってねぇ。

 ショックな話だよ。本当。


 でもな、彼らの里に昔遊びに行った旅行者が後に本を出した。だからどういった暮らしの、どういうクニだったのかは残っているんだ。


(咳払い)


『彼らの里を見て、真っ先に感じた言葉は”矛盾”である。

 彼らは小高い樹木の中ほどに、ぐるりと板を繋いで家を建てていた。屋根はない。生い茂る木々の葉が天然の屋根として機能している。屋根がないため無論部屋もないかと思われたのだが、彼らは板の上に精緻な気象紋様を刻み、そこを境界としているようだった。

 極めて風通しのよいこの家屋で、彼らは薄いワンピース一つで暮らしている。激しく動く職務の者は、腰を革製のベルトで留めていることもある。

 寒くないのかと、諸兄らは考えられたことだろう。

 これが案外、過ごしやすいのだ。


 一つに、山からの寒気(ルォドと呼ぶらしい)は地表付近に溜まりやすい。反対に、南からの温かい気(ドウと呼ぶらしい)は上へのぼる。あまり上へ行き過ぎると、今度は長雨でドウは逃げる。

 彼らは長年の知恵に従い、ルォドからも長雨からも(言うまでもないことだが、上空や大地の恐ろしい捕食者からも)絶妙に身を隠し、守る。


 彼らの体毛が濃く沈むような色をしているのは、空からの捕食者から身を守るためであろう。また、足の裏やあごの下の皮膚や毛が緑であるのは、地上の捕食者を欺くためなのだろう。

 彼らの服飾も、基本は暗く、巨大葉の下に隠れやすい色合いである。


 この方針の真逆を行くのは、戦士職だ。

 彼らは派手な羽飾りや、様々な花実の加工品を身に着ける。顔・腕・胴体・足など、染められる毛という毛を染めて、魔除けや戦勝祈願のまじないとする。伝統的な図案も存在するが、個人の識別の役目を果たすものでもあるため、すべて同じになる戦士はいない。

 諸兄はおわかりだろう。戦士職は死と隣り合わせだ。

 比較的安全な住居を抜け出し、木々の合間を跳んで移動し、地の獲物にくを狩る。返り討ちに合うことも決して珍しくはないし、獲物を巡ってほかの生物と争うこともある。獲物をしとめた気の緩みや攻撃に移る瞬間を狙われて、翼人に攫われる者もある。

 派手で豪華な染毛模様は、命を懸ける者の特権であり、誇りであり、仲間の遺体を判別するための印でもある。(やや下世話な話になるが、模様の染め直しの回数や傷の方向によってモテ方が変わる。傷の多い後衛や色が鮮やかなままの前衛は、戦士職を下ろされることもあるそうだ。)

 なお、戦士ではない者にもちらほらと、足のみ染色を施している者がいた。彼らは果物取りや薬草遣いである。


 これは私の空想であるのだが、戦士職と果物取り職と薬草遣い職とは、元々同じだったのではあるまいか。ある時子どもたちはまず、運動神経の良しあしで2つの班に分けられる。一方は戦闘職に、もう一方は技術職だ。

 この時、戦闘職候補の子らのくるぶしに色が入る。

 ある程度の教育を受けてから、それぞれが各職人の親方へ贈られる。例えば、物覚えのずば抜けた子はツタイテや薬草遣いへ。手先が器用なら染毛職人や料理職へ、といった風に。

 そうしてふるいが終わってから、弓・釣り・投石・投槍・投げ罠・医療といった後方戦闘者は比較的目立ち辛い染毛をする。剣・短槍・盾などの最前衛戦闘者は目を眩ませるほど派手な染毛を施される。

 これならば、色の入りの違いで職の見分けがつく理由にはなり得まいか』



「旅行者は織物をどうするかとか、使っている薬草なんかにも少し触れていたそうなんだが、そこはまだ解読中なんだ。だから、アタシが知ってるのはここまでってな」


 ガーネットは寂しそうに笑い、やはり流れる雲を眺めていた。

 パナシアも隣に腰を下ろして、流れる雲が生まれる地平を眺めることにした。

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