大図書館収蔵
(G)カウルユルエウス・フーラの話
埃が雪のようだった。
古ぼけた木造の部屋に置かれた、時計と蓄音機を組み合わせたような奇妙な機械。
糊のきいた燕尾服を着こなす黒く艶やかな羽を持った老紳士が、落ち着いた手つきで管理するそれは映像投影装置だった。木製の机(机とは言っても、栗の木の枝に似ている)に吊るされた機械がパラパラ、ぴしひしと音を立てて動き始める。
老紳士が一つ、礼をした。
「それでは入館式の挨拶にかえて、『友人たち』より第10番審判者カウルユルエウス・フーラの独白です。どうぞ、ご清聴を」
*
(上映会場になった部屋よりも古めかしい、本棚ばかりの部屋が画面に映る。)
……こんな夜中までどうした?
そう、か。まあ勉学は身を守る一助にもなる。励みなさい。
(パチンと指を鳴らす音がして、明かりが浮かぶ。薄紫の画面に映ったのは赤混じりの白毛だった。画面の角度が正されないから、毛の持ち主も画面を起動させた人物の姿も見えない。)
……ええ、わたしの話? つまらないぞ。
ああ、うん。たしかに、そう教えた。
では、わたしと同じ誤りを起こす者がないよう願って、愚かしい過去話に付き合ってもらいましょうかね。……記録は、つけている? そう。よかった。
(明かりが揺れる。白く輝く光の玉だ。背景は、どこまでも続く、
君は人狼ゲームを知っているかな。
…はは、知っているなら話は早い。アレに似たことがわたしのいた世界では起きたのさ。別名を『マジョ狩り』とも呼んだ。
ある日唐突にお告げが下りて、隣人の誰かが『マジョ』になったと知らされる。『マジョ』が町を全滅させる前に『マジョ』が誰で、どんな方法を使って、住民を殺めたか、解き明かさないと『マジョ』は殺せない。
そんなことが、あちこちで。
まあ本当は『いつの間にか隣人が増えている。そいつはマジョである』が正しかったのだが。
何故起きたのか、ね。
簡潔にまとめるなら『触れてはならないものに触れた』んだ。七席の誰かにちょっかいをかけた命知らずの世間知らずのために、世界一つ、地獄になった。
……うん。たしかにわたしは琉璃の友人だ。第二席の友人。
それとこれとは無関係だよ。
「押すな」と書かれたボタンを押した奴のせいで酷い目にあった。君はボタンを憎むのか? それとも押した当人を?
そういうことだよ。まあ、色々あったことも事実だ。
話を戻すよ。
わたしは、処刑人だった。裁判官とも呼べる。
『マジョ』を追い詰めて、処刑する方法に特化した職業者。その一族。
『カウルユルエウス・フーラ』の意味は、業突く張りの大ウソつき。平凡な方の名前は覚えていない。
わたしはね、変わった子どもだったよ。ずっと生命の平等性を考えて、貴賤も貧富も性差も見目も信仰も信条も、全部投げ捨てた悪平等だった。
わたしが生まれた頃にはもう、文明も文化もガタガタでね。
毛の紅色が濃くても薄くてもマジョの種。―――ああ。わたしが生きていた頃も『隣人が突然マジョになる』と信じられていたからね。『マジョになる要素』の噂があったのさ。それが『マジョの種』。表皮が規定の濃紫から外れていてもマジョの種。腰ひげが白でなくても……あー、大体15cm以下でもマジョになりやすい種扱いだった。風評が広がった結果、あちこちで怪しい者は全員、こう。
(僅かな風切り音がした。光球に真横に動く影が映る。)
わたしはね、幼さから来る
「どうして、わたしと他の子どもは違う扱いなんだ」
「どうしてわたしの家族は忌み嫌われるんだ」
とね。
そもそも『マジョ』を研究すること自体が異端視される行動だ。家族はわたしの行動で、今以上に立場を悪くすることを恐れた。一族は
大人も子どももわたしを嫌った。目障りな虫だと唾を吐きかけた。
ヒト以下の身で、わきまえずに平等を臨む傲慢な子。それが『カウルユルエウス』。
…どうして業突く張りと呼ばれるのか、分からなかった。
聖職者、罪人、占い師、旅人、王侯貴族、役人。
教えと自分たち家族の境遇が違うのはどうしてなのか。どうして命は等しくないのか。どうして『マジョ』の種を壊すことに心血注ぐのか。人々に聞いて回った。
人以下の身で「神の教えを知っている」と囀る愚かな子。それが『フーラ』。
(光量の減った画面に布がこすれる音がした。かすれた声が聞こえる。)
ああ、ありがとう。大丈夫だ。
疑問は尽きず、答えは返らず……なんてね。
……たくさん、首を斬ったよ。知識を治療に生かすのと同じ手で、終わらせた。
正義ってなんだろうね。平等は? 愛って? 昨日富を握った者が、今日の処刑の露になる。昨日権力を握った者が、先月処刑した権力に引きずられて処刑台にまで来る。美しさも、人格も、愛の在り方も、知識も、血筋も、労働も、性別も、年齢も、一つとして統一されないで
わたしはとっくに壊れていて、役割を果たすだけの人形になっていた。
わたし以外の家の者はとっくに殺されてしまっていたから、わたしくらいしか処刑人がいなかったんだ。すべてに嫌われて、誰にも耳を傾けられない存在だから、誰の余波にも巻き込まれずに生きていた。
……一つだけ思うのは、刃が振り下ろされる理由は軽いってことか。
とても軽く移り変わる。それで、わたし思ったんだ。
『各々の尺度に結局意味ってあるのかな?』
とね。
(椅子を正す、軽い音がする。手を組み替えるように動く影が画面に映った。)
ある時、後輩…だった、と思う。
相談されたんだ。
「一人で百人以上を殺し、人を殺した金で生活するマジョがいる。反省も後悔もしていないし、町中が処刑を願うマジョがいる。けれど、そいつは一切分かっていない。住民の感情も己の罪もそいつは分かっていない。感情のないこのマジョを、一体どうやって裁いたものでしょうか?」
わたしはね、答えたよ。
(誰かの低く、弦楽器みたいな泣き声がした。笑っているようにも聞こえた。)
「眠っている間ならマジョの警戒も緩むだろうから、眠っている間に運ぶといい。ヨナガソウの花粉で眠りを深くすることも忘れずに。場所はユメルの丘がいいだろう。丘に鉄の杭を刺して、眠るマジョを縛ればいい。そのまま2日放っておきなさい。3日目になっても正体が分からなければ食事と水を与えに行って『何故自分が裁かれているか分かるか』と問いかけなさい。理解していなければ、水のみ与えて町の住民を呼びなさい。反省したようならば規則通りに首を斬るようにしなさい。ただし尋ねる時にはハクチュウ花の蜜を唇に塗っておくように。嘘がつけなくなるから。さて、町の住民が丘に着いたなら、マジョの罪状を彼らに叫ばせなさい。石を投げる者がいても止めてはならない。それでもマジョが自覚しないのならば、ムラサキオシロイの木で焚き木を組んで、タカヅメの実を混ぜて燃やしなさい。焚き木が燃えたら、住民も処刑人も帰りなさい。祖父の本に曰く、そこまでしても罪を理解しない者に付き合う必要はないからです。最後を看取る筋合いはないと母も言いました。片付けは獣に任せなさい。火が消えてから五日、もしも雨が降ったら、次の日に杭を抜きに行くといい」
うん。予想は違わない。
数日して目が覚めたら、町外れの丘だった。
反省したのかって? ……うーん、No、かな。いやいや、何も自分のやったことが分かっていないわけでもない。ただ……そうだな。説明が難しい。
……うん。
強いて言うなら、わたしが話した処刑方法は、住民が求めるのに合わせてどんどん激化した果ての物だ。住民の溜飲を下げるパフォーマンス化した処刑。罪を自覚させたり、反省させるためのやり方は失われていた。ちなみに「どうしてここまでするのですか」と聞いても、答えてもらえたことはなかった。
君は、一度も自分の質問に答えてくれなかった相手の質問に答えられる?
相手の気持ちに寄り添って考えてみようと思えるかい?
……まあ、とにかくわたしは、一切の罪を自覚できずにここに来た。
300年近く、遠巻きに、誰にも話しかけられず理解もされず過ごした。琉璃に会って……うん、そこまで過ごしても正直な話、彼らの怒りの本質をわたしは全く理解できないままでいた。
わたしは愚かで……、ほんの少しうぬぼれていいのなら、正直だったんだ。
琉璃のことも相応の罰を受けているマジョとしか思っていなかった。けれど、あの人は。
(微かに布のこすれる音がした。)
貧しかったけど、温かかった。やさしい生活で、楽しかった。
わたしはね、自助努力でも友人同士での協力でも、どうにもならない事柄を知ったよ。憐れむのをやめて、悲しんだのは初めてだった。規定に逆らうなんて考えもつかなかった。わたしは……自分の命が失われる時でも「規則だから仕方ない」って思っていた。
君、琉璃を知っている?
……ああ、言い方を変えよう。
『琉璃の赤子』を知っているか?
ああ。
琉璃は、何度でも同じ魂と同じ意識を持って生まれ直した。あまりに早くて、隠されていたから、ずっと”再生”だと思い込まれていた。ただ偶然、琉璃として生まれただけの、心も、精神も、肉体も、感情も別だったあの子たちは。
彼女らは生まれた罪で虐げられて、琉璃として生きた罪で殺されて、前の琉璃を殺して生まれた罪を負わされて積み上がっていた。
生まれて初めて、ふざけるなと叫んだよ。
500年近く生きて初めて、わたしは、他人のために怒る心を手に入れた。
生まれる事は罪ではない。
生きる事を望まれないのも、自身の死の責任を求められるのも、全部あの人に世界が押し付けたことだった。生まれたばかりの、偶々琉璃だっただけのみどり児に、琉璃の、1万年でもくだらない時間なんて注ぎ込んでみろ。
元の子の意識はどれほど残る?
彼女たちはどこへ?
……自我が育つ余地なく塗りつぶされて、この世の不条理と狂気を負わされて、死と痛みだけを知って消えていく。あんまりに、ひどい、と、わたしは。
(机を強く叩く音が、した。)
ああ。
そうだ。それでわたしはね、罪なんてなくても償わされる人がいると知ったのだ。
初代の琉璃はとっくに消えた。2代目も3代目も、償うことを許されずに消えた。それなのになぜ、無垢な赤子に縛り付けてまであの子たち共々痛めつける! どうして! 何のつもりで! 何の権利があってやったことだ!
あまつさえ赤子を痛めつけた罪を当の赤子に求めるなど、正気の沙汰じゃない!!!
……約束したんだ。
一度も学べないのが悲しいとあの子が言った。
学ぶ機会を奪われたために、間違えた初代の話だって、聞いた。
もう間違えないために賢くなりたいと笑った、あの子に。
名前すらなかったんだ。自分の人生すら知らなかった、あの子と約束したんだよ。
いつか、学びたい全ての人が、何も恐れずに邪魔もされずに、学ぶことができる場所を作ると……約束したんだ。
……わたしの、話はここまでだ。
さあ、もう夜も深い。
眠った方が、明日の勉強も捗るだろう。
ああ、おやすみ。
*
「これにて、上映を終了します。ご清聴ありがとうございました」
老紳士が羽を畳み、燕尾服に皺を作って腰を折る。時計と蓄音機を組み合わせたような機械は、歯車の止まる微かな音を残して停止した。丁寧な動きで運ばれていく装置を、誰ともなく見送る。
窓から差し込む光に舞う埃は、変わらず雪のようだ。
やがて視線のみのざわめきが戻る頃に、老紳士が戻ってきた。柔和な笑みで居並ぶ新入生を見渡す。かつて彼は、同じ場所で同じように館長に迎え入れられた。
「入学、おめでとうございます」
ここは大図書館。
知識を求める全ての命にひらかれた、どこにでもあってどこにもない場所である。
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