アサとヨル
ずっと昔のどこかの世界に、アサとヨルの双子がありました。
双子はいつ生まれたのかを知りません。ある時までバラバラに散歩していた双子は、ある時お互いを見つけたのでした。
「あなたはアサだ」
「キミはヨル」
お互いが名前を呼んでから、双子はアサとヨルになりました。二人は一日に数時間だけ、一緒に散歩をしました。広い空の上を走りながらアサは笑います。
「雲の向こうには何があるのかな」
ヨルは静かに答えました。
「上には仲間の光が見える。下にも別の仲間がいるのではないだろうか」
言葉にしてから、違うかもしれないとヨルは思いました。
ヨルがいつもいる場所は、指先すら見えない闇で、雲の上からは地上にポツポツ光が灯る様子が見えるのでした。アサが走る間、見えたことのない光をヨルは怪しく思っていました。実は光は地上の生き物たちの目玉でした。星や月を反射した光がヨルには炎のように見えたのでした。
太陽が昇るまでと、月が見えるまで。アサとヨルは一緒に歩きました。ミズクジラの歌を聞いたり、翼の生き物を追いかけて遊びました。
ある時、アサがヨルを待っていると翼の生き物が通りかかりました。海色の翼の持ち主は、目をしょぼしょぼさせてアサを見ます。
「はじめまして、ボクはアサ。海色の羽のキミ、お名前は何というの?」
「はじめまして、アサさん。私にはたくさんの呼び名があって、フラクロウはウミアオラと呼びます。よかったら、クジャクとお呼びください」
「とても素敵な名前だね」
けらけら笑うアサを見て、クジャクは考えました。今日結婚する娘のために、アサはこれ以上ない贈り物にみえたのです。クジャクは下から伺うように、アサに尋ねました。
「アサさん。実は今日、娘が結婚するのです。一緒に来て、あの子の羽を照らしてもらえませんか?」
「とんでもない! ボクはとても熱いんだ。羽を照らしたら娘さんが焼けてしまう」
アサはとても驚きましたが、クジャクは譲りません。
「では、娘の花道を照らしてください。あの子が綺麗に見えるように」
「それなら、お安い御用だ」
アサは通りがかりの生き物に言づけると、クジャクと走って行きました。
一方のヨルは、いつもの場所にアサがいなかったため、心配して辺りを探し回っていました。上と下の光に尋ねようかと考えるヨルの足に、生き物が勢いよくぶつかりました。
「何事だ」
驚いたヨルが声を上げると、目の大きな生き物は、羽を折り曲げてお辞儀をしました。
「私はメダイアオラ。よろしければフクロウとお呼びください。アサさんからの伝言を預かってきました」
「蹴飛ばしてしまってすまなかった。アサからの伝言を教えてほしい」
フクロウはホーホー、アサの言葉を伝えました。ヨルは少し考えてから立ち止まります。
「ありがとう。そういうことなら、わたしはしばらく待っていよう。そんなに長くは待たないだろうから」
空の決まり事を守るために、ヨルはアサをゆっくり追いかけることにしました。間の時間ではないのに、アサとヨルが一つの場所に留まることは禁止されていたのです。さて、ヨルがゆっくり歩いていると、ペンギンの群れが通り過ぎていきました。
「なあ、見たか。今日のクジャクの結婚式」
「ああ、見たよ。花嫁も可哀そうにな」
「不心得者の多いことだ」
ヨルは嫌な気持ちでペンギンの横を通り抜けます。それから「クジャクの結婚式は、確かアサが参加したのではなかったか」と思い出し、慌てました。悩んだ末に追いかけても、ペンギンはもう、見つかりません。
「ああ、どうしよう。アサはどこへ行ったのだろう」
ヨルがしゃがんで泣いていると、プオオと潮が降りました。
驚いて下を見ると、海の上に島がたくさん浮いています。島の一つがまたプオオと潮を吹きました。
「何をする」
「これはヨルさん。はじめまして。わたくし共はクジラです。下界の生き物を代表して、聞きたい事があるのです」
「よろしい」
ヨルは頷きました。クジラはまたプオオと潮を吹き出して、ヨルを見上げます。星空のドレスを着て空に浮かぶヨルは、カラスの女王様ほど美しく見えました。
「最近、アサさんとヨルさんがバラバラに動かれるので、わたくし共はへとへとになっています。何故正しく巡ってくださらないのですか?」
明け透けな物言いでしたが、ヨルは『クジラの言い分はもっともだ』と我慢しました。キラキラした黒い目がいくつも自分を見上げるので、しばらくしてからヨルは言いました。
「実はクジャクの結婚式に行ったきり、アサが帰って来ないのだ。探さなければ、時間を正しく回せない。それで困っているのだ」
「なるほど。クジャクの結婚式はわたくし共も聞いています」
クジラがトビウオから聞いた話では、クジャクの結婚式は大失敗しました。花道を照らす光を狙った下界の生き物の仕業です。
彼らは冬の備えとして、光をさらい、虹で縛って、洞窟に閉じ込めてしまいました。さらわれまいと光が暴れ、客たちも全力で抵抗した結果、クジャクたちのドレスには火が付いてしまったそうです。
「クジャクはひどく落ち込んで、羽を冷やしていたそうです」
「なるほど。その『光』はきっとアサのことだろう」
言ってからヨルは泣き出してしまいます。慌てるクジラたちにヨルは訴えます。
「待ち合わせでもないのに私たちが集まったら、世界が混乱してしまう。虹をどうすれば切れるのだろう。どうすれば世界を混乱させずに済むだろう」
クジラたちは顔を見合わせてから、プオオと潮を吹きました。
「どうぞわたくしに乗ってください。空のことなら大丈夫。わたくし共で空を隠しましょう。とびきり潮を吹いたなら、下の世界には雨が降って、誰も外へは出ないでしょう」
「けれど、お前たちが罰を受けてしまう」
「アサさんとヨルさんが、睦まじく規則正しく回ってくださるのなら、これ以上の報いはありません」
にっこり笑ったクジラたちに、ヨルは決心しました。まず、フクロウを呼び寄せて三日月を取って来させました。フクロウには、お礼として満月の瞳を与えました。次に、クジラの背中にまたがりました。準備が終わったことを知り、クジラたちはプオ、プオオと強く潮を吹きました。
見る見るうちに、辺りが霧に包まれます。クジラはぐんぐん海を進み、薄らぼんやりと光を放つ洞窟のすぐ近くまでやってきました。
「わたくし共は地上へ上がれません。ここで潮を吹いていましょう」
「ありがとう。あなたたちの献身は忘れない」
ヨルは地上をとても早く駆け抜けました。あまり早かったものですから、誰もヨルを目で見ることはできなかったでしょう。生き物の多くは、突然の大雨と濃霧で巣穴に戻っていましたから、挑戦できたのはクモくらいのものでした。クモは走っていくヨルに、たまたま糸が一本引っ付いたため、ヨルの走りに合わせて振り回されました。
「きゃあ。怖いわ怖いわ。助けて助けて!」
思わずヨルは立ち止まります。見れば、服の裾に一匹のクモが張り付いていました。クモは六本の足を折り曲げて小さく啜り泣いています。
「いきなり家を壊すなんてひどいわ。お友達を呼ぼうとしていたのよ」
「それはすまなかった。わたしはヨル。あなたは何というのだろう?」
「きゃあ、ヨルさんだったのね。私、クモって言うの。……どうしてヨルさんがここにいるの?」
「アサがさらわれてしまったんだ。このままでは、空の規則が乱れてしまう」
クモは少しだけ考えました。クモに羽はありません。いつも翼の生き物たちに馬鹿にされて、とても腹が立っていました。それ以上に友達が欲しかったのです。ヨルに叫んだ『お友達』も、本当に来てくれるかは分かりませんでした。クモはじっくり考えて、ヨルに提案しました。
「洞窟の場所なら知っているわ。昼の生き物たちが入り口を守っていたはずよ。この霧でいくらかは帰ったでしょうけれど、まだたくさんいるわ」
「あなたの糸で縛ることは出来るだろうか」
「あまり長くは出来ないわ。それに嫌われてしまうもの」
ヨルはクモをじっと見つめます。クモは目を逸らしてごもご言いました。
「もし、もしもよ。私のこと、ちょっとでも友達だって思ってくれるのなら、やってみてもいいわ。きっと私の立場は今よりうんと悪くなる。だけど、太陽と月の追いかけっこには代えられないものね」
「ありがとう。それならこうしよう」
ヨルは一本指を立てて笑います。
「あなたが助けてくれるのなら、あなたと同じ名前のものを空に浮かべよう。それはもう一人のあなただ。あなたは好きな時、好きなだけ空に来てもいい」
「本当! だったら頑張るわ。……そうね。ネコはヨルさんのことが大好きだから、私みたいに贈り物があったら、きっと手伝ってくれるわ」
「分かった。話を付けに行くから、先に洞窟で待っていてほしい」
「ええ。じゃあ、この糸を持って行ってね。合図に使うわ」
ヨルはクモと別れて、霧の中を走ります。しばらく走ると、道の先でネコがしっぽを揺らしていました。「それで」ネコは慇懃に髭を撫でつけます。
「アナタ様こそヨル様で間違いありませんでしょうか? 我はネコ、ネコと申します。アナタ様の忠実なる僕とは我のことでございます」
「そんなに遜らないで。アサを助ける時、クモと協力して生き物たちを追い払ってほしい。追い払ってくれれば、あなたの望む場所で、月と同じ動きができるようにしてあげよう」
「それはそれは! お安い御用です」
ネコはクルルと喉を鳴らして、霧の中を走っていきました。ヨルは一度だけクモの糸を引いて、洞窟のすぐそばまで走りました。
アサが閉じ込められているのは、特に木々の深い場所でした。
洞窟の前には、クモが言った通り昼の生き物たちがたくさん集まっていました。いくらかの生き物たちは霧や雨を理由にして帰った後でしたが、まだ残っていました。ピンと糸が張り詰めます。
まず最初に飛び出したのはネコでした。
すごい威嚇の声を出しながら、ネコが生き物たちに飛び掛かります。大きな悲鳴を上げて逃げる生き物たちは、誰も追いかけませんでした。襲ってくる生き物たちを、ネコは木の葉の踊るように避けていきます。注意深く洞窟の前に留まっている生き物は、クモが糸で転ばせました。
クモとネコの活躍で、洞窟との間に生き物がいなくなった瞬間、ヨルはすごい速さで洞窟に飛び込み、素早く虹を切り裂くとアサを連れて逃げ出しました。遠くではクジラの声が段々小さくなっていて、そろそろ潮を吹くのが限界だと分かりました。
「ヨル、ごめん。たくさん心配をかけちゃった」
落ち込むアサに、ヨルは微笑んで紫色のベールを被せました。いつも二人が散歩する場所と、同じような色でした。
「たくさんの動物が手伝ってくれたから平気だ。さあ、帰ろう」
「帰ろう。今度からもうちょっと、注意して出かけることにするよ」
この一連の騒ぎから後、アサとヨルがどれだけ大切かを覚えてもらうため、何年かに一度月食や日食が起こるようになりました。
クジラは空を泳ぐことを許されましたし、クモは空で遊ぶことを許されました。フクロウとネコは月を目に抱くことを許されました。唯一可哀想だったのは、クジャクと通りすがりのペンギンでしょう。何と言っても、クジャクは羽が焼けて飛べなくなりましたし、ペンギンもまたアサを助けようとしなかった怒りで飛べなくなってしまったのですから。
めでたしめでたし。
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