(L)黄薔薇の姫君【終幕】
セルーナは、ひめ君に深くお辞儀をしました。
「謝るのは、わたくしではありません」
「黄薔薇のひめ君よ。兄が捨てきれなかったぼくへの情。母が忘れられなかったぼくへの愛。二つを貴方に差し上げます。貴方は久遠を生きられる」
晴れやかな顔で精霊は笑います。ひめ君は言葉を詰まらせました。丁度、結界が破られました。風の速さで灰は城へ牙を剥きます。
「流れる水は留まれり」
精霊が杖を打ち付けると、床から青い光が流れ出ました。光はすべてを食らいつくすはずの灰を見事に押し留めます。精霊の背中で、ローブが揺れました。
「我が体は、兄ハイシアの残骸なり」
杖先で火花が散り、精霊の額に汗が浮かびます。白い肌が割れていきます。袈裟懸けの傷が、剥がされた鱗が開いて、青い世界に赤い雫を浮かべます。
「我が心は母、イヌダシオンの残り香なり」
血と光が、城を灰から守るために外へ外へと動きます。精霊は杖に両手で縋り付いて、前を睨んでいます。灰が徐々に城へ向かってきます。広間の扉がサラサラと、溶けて宝石に変わりました。荒い息の精霊がガラガラの声を張り上げます。
「我が意とは、我が前身、セルーナの残響なり」
その時、城から遠い丘の上で閃光が弾けました。遮るもののない大地を駆け抜けて、大きな音が城を震わせます。強い衝撃が大気も揺らし、迫っていた灰が目標を見失い、バラバラに浮き、漂います。
精霊が大きく目を見開きました。縋るようだった杖をしっかり握り、強く床に打ち付けます。吐いた血が足元に陣を作り、二重三重に重なる陣が灰を追い出して城を守る結界を作ります。精霊は、寂しそうに笑いました。
「流れる水を留めた罪、責任から逃げた報いを今、果たしましょう」
血が、光がセルーナの体から抜けていきます。
ひめ君は理解しました。灰の災害が取り込んだフーシャは理の中にあります。精霊たちも生き物もそれぞれの理の中で生きています。灰の災害ですら、きっと理の中にあったのでしょう。
セルーナを名乗るまじない師は違います。
ひめ君は、自らの手を握りました。
精霊の体は兄の遺体です。精霊自身も一度隠れています。生き物の理に精霊はいません。彼の言葉が事実なら、精霊は道具としての理からも外れています。二度死んだことを踏まえて考えるのならば、精霊としても後がありません。次に精霊種の資質を問われれば、精霊はすべての理から見放されるでしょう。
だからこそ、精霊は灰の災害の力でも破れない結界になることができるのです。理の違うものを、解くことは容易ではありません。いずれの理にも属していないのなら、条件を満たさない限り破ることはできません。
みるみるうちに、精霊はほどけていきます。
自ら告発した罪で、体も心も作り替わっていくのです。後に繋がる命を守るために。
ひめ君は、胸を抑えて呼吸を整えられました。気を抜くと、息の仕方を忘れてしまいそうでした。あんまりに不作法で、それでも言わずにはいられないことを言おうとする表情になりました。
胸の前に手を組みます。
「あなたは、八百年生きている」
「左様でございます」
精霊ははじめと同じように、ひっそり笑います。もう体のほとんどは青白く透き通っていました。
「わたくしにも、できるのかしら」
「必ずや」
精霊は、ひめ君を真っすぐに見つめました。晴れた日の朝焼けを見るように笑います。
「ぼくの八百年は、妄執を終わらせるための時間でした。兄も母も貴方も、立派な命です。だから、大丈夫。――――――久遠に思える刹那の末で、貴方の努力は報われる」
それが精霊の最後でした。
青い焔がひっそりと消えて、灰を拒む結界の中は深海のようになりました。奥の広間では、今日も黄薔薇のひめ君が一人きりで、子守歌を歌っています。
薔薇に変わった数多の命が、心を壊してしまわないように、ずっと花を寝かしつけているのです。与えられた知識と力で生きながら、ひめ君は今日も、与えられた仕事をこなすのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます