(L)黄薔薇の姫君【12番目の精霊の物語】
黄薔薇城の大広間には、若いひめ君と十二番目の精霊が二人きりでした。ひめ君の周りは天井も床も壁も、黄金の薔薇で覆われています。薔薇は金で出来ていますから、災いの手も届きません。
「賢者よ、あなたの話が聞きたい」
ひめ君は悲しそうに目を伏せます。城にぶつかった災いが大きな音を立てるのです。頑丈な結界が外側から一枚、また一枚と消えるのが様々のものが割れる音で分かりました。薔薇は災害を免れるでしょう。けれど、担い手であるひめ君がお隠れになると、彼らは二度と元の姿に戻れないのです。真珠のような涙を見て、まじない師は微笑みました。
「賢き姫よ、恐れることはありません。力は世界から貴方に与えられたもの。長き時を生きる準備はすでに整っています。守りは我らにお任せください」
「ヨモギ様は不作法ものに打たれます。フーシャ様はあれに取り込まれてしまったとも聞きます。精霊ですら取り込む相手に、わたくし一人でなんとしましょう」
ひじ掛けに持たれて、ひめ君は唇を結びます。城の外はもうほとんどが飲み込まれています。ひめ君は孤独でした。まじない師は、微かに視線を動かして大広間の入り口を見据えます。もうすぐ戦いの時が来ます。
精霊は、柔和な笑みを消しました。涙するひめ君を見上げ、優しい声をかけます。
「では、わたし《ぼく》の後悔をお聞き届け願えるでしょうか。黄薔薇城の城主、アルツのひめ君よ」
「許します」
精霊の声があまりに真剣でしたので、ひめ君は涙を振るって顔を上げました。精霊は、これまで一度も外さなかったフードを外します。現れたのはさざなみの髪に、晴れた日の海を写し取ったような目をした、とても美しい生き物でした。
ひめ君が驚いたのは、美しい顔に走るいくつもの傷でした。皮膚を無理にはぎとった痕に息を詰めただけであったのは、流石の豪胆さでございます。
精霊は目を細めたきり顔を伏せて、話を始めました。
「この体はぼくの兄のものです。兄の名は、ハイシア。海守ハイシアです。……そしてぼくは、セルーナ。一番若い精霊であり、最も古いまじない師でもあります。セルーナ派の、はじまりにある者です」
精霊の告白にひめ君は固まりました。無理もありません。『海守ハイシア』など聞いたこともありません。ひめ君が知っているのは、神話に語られる荒くれ者の大鯨と、弟の「セルーナ」のみでした。
「黄薔薇のひめ君よ。今こそ、我が不始末を謝罪する時が来ました。ぼくは、報いを受けなくてはならない」
セルーナは真っすぐひめ君を見つめて、口を開きました。古い、語られなかった物語を告げるために。
*
ぼくたちは、ハピーメロウの技術を守り繋ぐ「イヌダシオン」の技術者集団に生まれました。母がクジラの骨から削りだしたのがハイシアとぼくです。ぼくたちは、技術を伝えるために生まれた道具のようなものでした。
いいえ、嘆くことはありません。ひめ君がひめ君として生まれたように、鳥が鳥として生まれるように、ぼくはぼくとして生まれたのですから。心の在り方が、別であることは認めます。
ご存じの通り、はじめ兄は荒くれ者……というよりは、奇抜で面白いことを求める性質がありました。無条件に愛されると信じて、気に入らない相手がいたら取っ組み合いの喧嘩で友人になろうとするような、そんな兄でした。
気は合いませんでした。仲は悪くありませんでした。
二人共『すべての命を大切にしたい』気持ちは同じでしたから。
ええ。兄の話は、後世の創作です。責任の一端はぼくにあります。
ある時、母が死にました。
技術提供を断ったことでライジュウ一族の怒りをかって、雷に打たれたのです。相手も精霊種でしたから、母はすべての精霊種がそうであるように、五つに分かたれてしまいました。その内、意思が兄に、心はぼくに宿りました。ぼくは、母の死を認めたくありませんでした。すばらしく強く優しい母ですら、死から逃れられないと知った時、永遠に焦がれたのです。
一つだけ弁明をするのならば、この頃のぼくは『生物すべてが同じ苦しみに対面すること』を嘆いただけでした。すべての生命を大切にするために死別の苦しみを取り除こうと思ったのです。
兄は、ぼくに反対しました。
母が常々説いていた「永遠ではなく、次代に繋ぐことを尊ぶように」の教えを語り聞かせました。どんな世界も文明も、必ず滅ぶと繰り返しました。滅びを避けようとしてもっとひどいことになった事例をいくつも上げて、考え直すようぼくに言いました。
ぼくは、頑なになりました。
「どうやっても命を救おうとしない」と兄を軽蔑しました。ぼくは仲間を集めて研究をし、永遠を夢見ました。フラクロウと手を組んだのもこの頃です。彼らの理想にぼくは、希望を持ちました。ぼくたちの在り方を恐れて集落を出ていく者も多くいましたが、兄は止めなかった。おそらく彼らに研究を託していたのでしょう。母から受け継いだ研究を自分が隠したように見せかけたのです。
気が付いたぼくたちが追いかけようとしても、兄には歯が立たなかった。
……顛末は、ご存じでしょう。
ぼくは、心を入れ替えた風を装って、兄と話し合う席を設けました。一切警戒しない兄は、ぼくを家に迎えました。あるいは、止まってほしかったのかもしれません。
ぼくは事前に喉を潰す毒を水に混ぜていました。振る舞う側の兄が先に茶を飲むからです。
忘れ、られないのです。
兄の唇は「どうして」と言っていました。いえ、そう見たいだけかもしれない。だって、兄は、兄の目が。……すみません、取り乱しました。
自慢の歌声を潰されて茫然とする兄を、ぼくたちは切り刻んだ。情報を聞き出すために生かしました。精霊種ですから、本気で害そうと思わなければ、そうそう死にはしません。指も、目も、骨も、舌も。……ぼくは、兄を、痛めつけた兄を、牢屋へ入れました。
民が兄を虐げても「兄が話してさえくれれば」と。仲間が兄を痛めつけても「協力さえしてくれたら」と。兄はずっと柔らかな目で、ぼくたちを見ていました。
ひめ君の尺度で数えて、三百年が過ぎました。仲間もぼくも、三十年は年を取った。兄だけがずっと変わらず、若々しかった。
今なら分かります。永遠に若くある術などありません。兄は「世界の端末」のままだったのです。お話した通り、我らは技術を守る道具として生れ落ちる。重要なのは「世界のためにそれを成す」ことです。
ひめ君。貴方の力が生命を災いから守るために与えられたのと同じく、我々が技術を与えられたのは世界のためでした。技術を繋ぎ、知識を繋ぎ、生き物に最も近しい精霊として必要なだけ助ける。家族や恋人、愛しい友人に対するように。もしくは、自分を愛するほどに世界のすべてを慈しむからこそ、許される力でした。
決して一つの命、一つの文明のために使っていい力ではなかった。
兄は、逃がした民の命。我らが繋げば救えるかもしれない命全てを一人で守ろうとしました。後世のために、自分一人が惨い目にあうことを受け入れたのです。
そう、ですね。例え話ですが、ひめ君は我らの預言/言葉を信じてくださった。
理解無き罵倒のただ中でも、生き物を黄金の薔薇に変えました。
近い未来に全てが宝石に変えられると説明しても、我々の言葉/世界の忠告を信じてくれた。ぼくたちが捨てたのは、その心です。我々の行いはあの不届き者のようなものでした。
世界を宝石科学から守るため、山上の町を閉ざすしかなかったフーシャ様を弑した。町は一時解放されましたが、すぐ町民も国々も、今は世界さえも解放された宝石科学に食い潰されつつある。我々は目先の救いのために、世界と、生きるものすべてを脅威に晒したのです。
だから零落した。
力を与えられるにふさわしくないと判断された。
仲間たちは別の考えでした。当時のぼくも衝撃を受けこそすれ、恥ずかしながら同じような考えでした。疑問を持つことができなかった。
我々は、永遠を知るためにますます兄を痛めつけました。とても、口に出せない行いです。そのために兄は……害意なければ死なないはずの兄が、死んでいました。嫉妬も羨望も、研究欲に塗りつぶされて、それでも。
ぼくは、兄を故郷の海に葬りました。
兄の何一つ、ぼくには宿らなかった。大きなクジラが一頭、遠ざかるのが見えただけです。次いで材料に望まれたのは、同じ体を持つぼくでした。差異を調べようとしたのです。分かったのは、ぼくが精霊種から零落しつつあることでした。怒り焦った仲間の一人が、ぼくを殺す事故/ミスをしました。
ぼくは辛うじて…部分的に精霊種でした。「世界すべての命を救いたい」「そのために死を克服する」考えのみが、ぼくを辛うじて精霊種たらしめていました。
ぼくは、死ななかったのです。
正確には二つに分かれました。生物と、精霊とに。
精霊の部分は、あまりに弱くなっていたので真っ暗な思考に閉じ込められていました。「生物」であるぼくの心のどこかに隔離されていたのです。動くこと、話すことはもちろんできません。突然性格が変わったように見えたでしょう。
ぼくは研究され尽くして捨てられました。
精霊でなくなったこと、『非協力的な兄の弟』だったこと、兄を死なせた責任……色々な事情がありました。捨てられたぼくは彷徨った末、とある島に流れ着きました。ええ『大鯨伝説』の舞台ルイーズ諸島です。
島には、親に捨てられた子や病気で見放された人たちが暮らしていました。彼らの世話をしていたのが「くじら」を名乗る……ええ、兄です。正確には五つに別れた内、遺体に宿った存在です。ぼくたちが付けた傷だらけで、声も失っていました。人のぼくは喜びましたよ。
「これで、自分を捨てたものを見返せる」
「研究が続けられる」と。
恥ずかしくて、とても顔向けできなかった。自分の行動、考え、計画、暗闇の中でつぶさに感じて恥ずかしさで消えそうでした。兄を殺したぼくは、兄の存在ですら生物のぼく越しでないと見ることができなかった。
『ぼく』が兄を捕え、何をしようとしているか伝えたかった。何度も叫びました。けれど、ぼくに声はなかったのです。
とうとう、”ぼく”が兄を追い詰めた時、兄はぼくを試しました。
兄を切り捨てて高みを目指す覚悟があるのか。母の教えを裏切ってまで生物であるのか。生物のぼくは、兄から逃げるために無防備だった兄を切りつけました。兄は、とうとうぼくを見放しました。
けれど、最後の慈悲はあったのでしょう。精霊だったぼくの意識だけは兄の遺体に移されました。兄はただ『待っている』と。
世界にああも逆らったぼくは、泡になりました。そもそもが事故で死んでいたはずなのです。不思議でもありません。こうしてぼくは、兄の体で生きることになりました。
ぼくから始まった永遠への執着。
与えられるべきでないときに与えられ、大きくなりすぎた技術。
断ち切ること、終ぞ叶わず無念ではあります。せめての償いに、今ある命を守りましょう。
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