(L)黄薔薇の姫君【序】
黄薔薇城にひめ君が生まれた時、森から十三人の精霊が招かれました。
精霊と仲良くすることは、フラクロウに禁じられていましたが、海の国はひっそりと、彼らを頼みにしていました。
「お招きいただき、光栄です」
疾風の精霊がお辞儀をし、王様は「うむ」と頷きます。机は、ごちそうに端から端まで埋め尽くされて、精霊たちの前にはかすみや花の蜜が準備されていました。
お祝いがすんでから、精霊たちはひめ君の前に集まります。しばらくは物音一つ、しませんでした。最初に口を開いたのは、疾風の精霊でした。
「ひめ君は、僕よりうんと長生きされるだろう。久遠の時に耐えられる、強い心をお贈りする」
にわかに、広間は騒がしくなりました。お妃さまなどは、娘に降りかかる運命に気を失ってしまうほどでした。
「精霊より長い命など、聞いたこともない」
「大きな災いの前兆ではないか」
「やはりフラクロウめはやりすぎたのです」
広間がざわついても、精霊たちは静かでした。
一柱ずつ前に出て、贈り物は続きます。大地の精霊は「一生食べ物に困らない方法」を、水の精霊は「すべてを眠らせるほど美しい歌声」を、灯の精霊は「困難を乗り越えらえる知恵」を。それぞれがひめ君の運命を見て、ひめ君に必要な素質を与えていきました。
とうとう贈り物は、十二番目と十三番目の精霊を残すだけになりました。
お城の人々は落ち着かない様子で残る二柱を見ます。たくさんの贈り物の最後は「力を得る代わりの困難」と「困難を和らげる贈り物」である習わしがあるからでした。
濃紺のローブの下から、夜の精霊は悲しそうにひめ君を見ます。夜の精霊が、今年の「十三番目」でした。夜の精霊はひめ君の顔をじっと見て、もう一度悲しそうに首を振ります。
「あなたの人生は困難にあふれている。…わたくしが代価を与えることすら許さないほどに」
驚いたのは王様です。
一生食に困らず、無機物とすら心を通わせ、これ以上ない知恵を持つ。一つだけでも大きな「困難」を与えられる贈り物が十一個。それらを手にしても、ひめ君の運命には足りないのです。
重々しく、夜の精霊は杖を掲げました。
「ならば、よろしい」
ガン、と大きな音を立てて、杖が床に打ち付けられます。
「黄薔薇のいと尊きひめ君よ。あなたが触れるすべてのものは意思持つ黄金の薔薇となる。あなたの孤独を癒すものがいずれこの地に降り立つまで、薔薇になった者たちは決して元の姿には戻らない」
言い放ち、精霊は広間を出ていきます。
あまりのことに誰も口がきけません。ただ「十二番目」の精霊を皆がじ、と見ていました。最後の精霊は、水の流れる色をしたローブを揺らし、ひめ君の足元へ跪きました。
「いつか、あなたの命もこの国も、必ず私がお守りしましょう」
王様は恐ろしくなって、これきり精霊に頼ることを止めてしまいました。そうと言いますのも、本当にひめ君の触れるすべてが金色の薔薇になるのです。
乳母も、虫も、動物も、みんな花になりました。ひめ君を哀れんだ医者も、食事を与える召使も、友人になろうとした子どもも。果ては生まれたばかりの弟さえも薔薇に変えてしまったのです。
王様は大いに困って、お妃さまとひめ君を外れの塔へと閉じ込めました。
「こんなおそろしい子を産んだのだ。お前の無実を、誰が信じられよう」
お妃さまはあんまりに嘆かれて、泣き疲れたある日、ひめ君の頬のキスをして薔薇になってしまいました。王様はカンカンに怒り、塔への出入りを一切禁じられました。
ひめ君はとても強かったため、薔薇の暮らしを整えることにしました。一本一本丁寧に箱へ並べ、決して踏みつけにしませんでした。
ひめ君はまた、とても賢かったので、知り合いだったり仲の良かったりする薔薇を隣り合わせました。望む薔薇には静かな一人部屋も整えました。無機物とすら心を通わせられるひめ君には、本物の金で出来た薔薇であっても、気の良い友人です。
教師だった薔薇には勉学を、兵士だった薔薇には身の守り方を、荒くれ者だった薔薇には戦い方を、召使だった薔薇には生活に必要な事柄を教わりました。
時には病に侵された民が禁を破ってでも塔へやってくることがありました。ひめ君は病によく効く薬を使い、病を治してから彼らを薔薇へ変えました。
ひめ君が十五歳を迎える年、国はどんよりと暗く誰もがお城に近寄ることを嫌がりました。嫌な事件が多いことも一因でした。
各地で飢饉や災害が増えました。
山上の町が一夜で石に変わったり、海が荒れて島が沈んだり、不死の者たちが次々機能不全に陥りました。生き物たちは「災害は精霊の所為である」と信じました。フラクロウで、悪い精霊を倒す勇士が持て囃されるようになりました。
黄薔薇の城は、金の薔薇にあふれました。獣も虫も、流浪のまじない師が連れて来た浮浪児や捨て子や植物も、ひめ君は等しく金色の薔薇にしました。
王様は誰もいないお城で、玉座を眺めていました。
「おうさま」
しゃがれた声は勇士のものではありません。力なく垂らした腕は学者のものではありません。引きずられる足は戦士のものではありません。現れた若者は水の流れるようなローブを着ています。
「好きにせよ」
若者はふらつきながら一礼をします。困った様子で「おうさま」と呼びました。王様は振り向きません。
「娘は東の塔だ。右の通路を進み、二つ目の角を曲がれば庭園に出る。階段を上れば、後は道なりだ。そこ以外を通ると迷う故、気を付けよ」
「もうすぐ賊が来ます」
「例の勇士なら捨て置け。国はこの有様だ。あれは余を討つだろう。貴様は貴様の好きにせよ」
「おうさま」
とうとう振り向いた王様に、若者は恭しく腰を降り、とても満足そうに笑いました。
「賢明な方よ。ひめ君を留めてくださったこと、深くお礼申し上げます。貴方は世界を救った」
「この様でか?」
「もちろん。貴方に与えられた『十三番目の困難』を貴方は見事に耐え抜いた。今はなき『十二番目の祝福』と報いを、大地にかわってお返しします」
軽い杖の音がしました。同時に王様は剣を抜いて走り出します。十二番目の精霊も、娘への道も通り過ぎて大広間の扉から王は走り去ります。
「さようなら。予知と武勇に寿がれた王よ」
目を閉じてから、ゆっくり、ゆっくり精霊は足を進めます。
杖で支えても折れそうな膝を叱咤します。王様に教えられた道を進みます。二つ目の角を曲がるとき入り口の両脇に、指で線を引いて進みました。角を曲がった時に杖を鳴らすと、入り口が塞がれてすぐ隣に何もない倉庫が出来上がります。
庭園は金色の薔薇に覆われていました。十二番目の精霊は階段を上って、城壁の通路を歩いていきます。どこからか飛んできた矢が通路に突き刺さっても躊躇うことなく、のたりのたりと歩いていきます。
遠い城門の近くから、激しい戦闘の音が聞こえてきます。行き止まりの見張り台を降りて、アーチを潜れば黄金眩しい庭が現れました。
「何者です」
「約束に従い、参上しました。わたしは十二番目の精霊です」
気品ある声に、十二番目の精霊は昔と同じように跪きました。ひめ君はピクリと眉を動かしてから、息を吐きます。
「話は伺っています。ようこそ、おいでくださいました」
女主人の振る舞いで、ひめ君は精霊を案内します。薔薇の花は皆、眠る準備を進めていました。
「あなたが来たということは、災いが近いのですね」
「あと半月ほどで成るでしょう」
「おそろしいこと。…あの者たちはそんなにも?」
「ヨモギ様が準備を進めていますが、彼らはこの城の次に、山へ向かうでしょう」
「そう。…お父様は」
「決着が付くかと思われます」
「そう。……お父様を花にすることは、叶わないのね」
十二番目の精霊は、何も言いません。無言で、部屋に設えられた鏡の前に立ちます。鏡は陽炎のように揺らめいています。ひめ君は美しく礼をすると、精霊に連れられて鏡を潜りました。
*
ひめ君が目を覚ますと玉座の後ろでした。夜の静けさが城を包んでいます。星の光の中で、扉の開く音がしました。
「ひめ君、御父上をお連れしました」
豪奢な服の胸元を真っ赤に染めて、ひめ君と同じ姿の王様は眠っていました。ひめ君は小さくしゃくりあげると、父親の頬にキスをします。途端に王様は、茎を折られた金の薔薇に変わりました。
「ああ、間に合った」
若者は満足そうに笑います。
鏡を潜った時を思い出して、ひめ君はもう一度若者の手に触れました。しかし、何も起こりません。十二番目の精霊は、悲しそうな目でひめ君を見ます。
「ひめ君、準備をしなくてはなりません。例の者たちは、ひょっとすると戻ってくるかもしれません」
ひめ君は賢かったため、時間がないことを理解しました。奪われた宝物や、持ち去られた武器に息を吐いて、壊された花を整えます。精霊は行く先々の通路にまじないをかけて、表門も裏門も隠し通路でさえ固く閉ざしました。まじないの上にまじないを重ねて、決して入ることができないように用心しました。
城のあちこちには、新しいものから古いものまで、精霊やまじない師が残した結界がありました。
「しめたぞ」
精霊は、これらも城を守るために使いました。
「壊された薔薇は、広間に出来るだけ運びましょう」
生活の道具や城からあふれた薔薇、治さなければならない薔薇は全て、大広間に集められました。ひめ君と精霊はすっかり準備を終えると、はじまりと同じように広間で向き合いました。
ひめ君は白金のドレスに身を包み、真珠の冠をかぶっています。さながら、ご婚礼の衣装のようでした。
「話していただけますね」
厳かな声に、精霊は首を垂れました。
城の周りにはチリチリと、疾風も大地も水も灯も夜も飲み込んだ災いが迫っています。災いの通った後には、宝石ばかりがカラコロと転がっていました。
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