第7話 宿場町✕私が本物の聖女です

 我ながら、私の神経の図太さには感服である。

 湯浴みの危機もギリギリで乗り越え、同衾の危機は――乗り越えられずに、同じベッドでイクスと寝ることになって早深夜。隣からの雑音にもやは慣れ、私は沈むように寝入っていたものの、隣の部屋からの「ああああああああああんっ!」という盛大な嬌声にさすがに目を覚ます。


「うるさい……」


 そりゃあ、私だって大好きな相手とくっついて寝ているんだから。緊張しないわけもないんだけどさ。それでも、慣れない旅に疲れてるんだろうなぁ……こうやってぐっすりと眠って……。


 と、ぼんやり考えていた矢先だ。ふと布団が寒くなっていることに気づく。


「イクス……?」


 身を起こして暗がりを見渡しても、そこに人の気配はない。

 イクスが……私を残していなくなった……⁉


「イクスっ⁉」


 私は慌てて身を起こす。寝る時はあの紐な服ではなく、元から着る予定だった町人風の貫頭衣を着ていて良かった。私は一人、慌てて部屋を飛び出した。


 この宿は一階が大々的な酒場。二階が客室となっている。酒場といっても露出の多い女性が接客するというそういった酒場は深夜こそ賑わっているが、今はそんな目のやり場に困るどころではない。カウンターにいる店員にイクスの姿を見たかと確認しようとした時だった。


 おおおおおおおおおっ‼

 そんな野太い歓声に、自然と首が振り返る。見ちゃいけないヤツかな……と後悔したのは後の祭り。だけど、そこにはだけた女性がいるわけでもなく――見知った美青年が固く握った拳を天井へと向けていた。


「兄ちゃん、つえーなァ!」

「何連勝だぁ?」

「次ー! 次挑む者はいねぇーのかっ⁉」


 そんな歓声をあげる男たちの周りには、当然店員の美人なお姉さんたちもキャッキャしていて。

 ひときわ胸の大きなお姉さんが、拳を掲げた美青年イクスの腕に胸を押し当てている。


「あぁん♡ ワタシ、強い男の人ってだーいすき♡ ワタシで良ければ……たくさんサービスしちゃうわよ?」


 お姉さんの指先が、イクスの胸元をくるくる弄っている。当然、そんなシーンは目を逸らしたいんだけど――私は逸らせなかった。だってイクスはあっさりと女の人の手をポイッと離し、凍てつくくらい怖い視線を女性に向けるから。


「そういうのには興味ない」

「あら? もしやソッチ系のひと?」

「もっと興味ないな。ほら、そんなこといいからさっさと集金――」


 あ、クールなイクスもカッコいい……と、そこで。人の隙間から連勝を続けているらしい男の人と目が合う。彼は私を見て、思いっきり目を見開いては「なっ――」と何かを言いかけ、口をパクパク。多分だけど、私の名前を呼ぼうとして、だけど呼んだから不味いことに気がついて戸惑っているんだろうね。あんなに間抜けな顔を見たのは久々かも。ちょっと可愛い。


 私も彼の名前を呼ぶのは不味いから、代わりに彼の近くに向かおうとした時だった。


「よぉ、姉ちゃんキレーな髪してんなぁ!」


 いつの間にか近づいていた見知らぬおじさんが私の下ろしている銀髪を撫でている。これは……やばい。酔ってるから私が指名手配犯(不本意)だとは気がついてないのは幸いだけど、そもそも気持ちが悪い。それに彼が――……。


「おい、貴様。俺の女に何を――」


 俺の女……⁉ と名前を呼べないからって聞き捨てならない単語にときめいた時だった。イクスの身体が急にぐらつき、近くのおじさんに無理やり酒瓶を咥えさせられた。


「ほら、何勝ち逃げしようとしてんだ! 飲め飲めっ‼」

「ダメ――っ‼」


 私が静止させようとしても、私は私で酒臭いおじさんに「こっちおいでよ~」なんて引っ張られるし、イクスはイクスでその酒瓶を振り払うけど、もう顔は真っ赤で……。実はイクスさん、お酒にめっちゃ弱い。とにかく弱い。一滴も飲めない。何度ループ生活を繰り返しても、それだけは治らなかった。


「ナナリー……」


 ポウッと私の名を呼び捨てたイクスが膝をつく。そしてその場に崩れたイクスを見て。

 ――あ、これはもうだめだ。私はおじさんを振り払い、指先で印を切る。これは教会で神に願うを乞う際に誰もが行うべきとされる動作だ。この文様から神の御わす次元に我らの言葉を伝えてくれるとされているが――その実なんか、何でもいい。今はただイクスが守れるなら、何でもいい。


「ナナリ=ガードナーが厭う者に、静かなる眠りを!」


 開けた瞳に熱が籠もる。私の祈りに、酒場の賑わいは静寂へと変わり。パタパタと、その場で全員が崩れていく。静かな寝息がいくつも重なったのち、私は人を避けつつイクスの元へ。真っ赤な顔をした彼は、「ナナリーに、俺のナナリーに触れるな……」とむにゃむにゃ寝ぼけているみたい。


 もう……心配かけないでよ。腕相撲で賭け事してたの? お金のことは全てイクスに任せていたけど……路銀に余裕がないのかな? それだったら、ちゃんと私にも相談してくれたら良かったのに。そんなに心配させたくなかったの?


「イクスのばーか」


 ふわふわ藻掻いているような手をそっと掴んであげると、彼は安心したのか「ナナリー」とふにゃっと笑って。ふふっ、可愛い。私のこと敬称なんか付けないで、呼び捨ててくれていいんだけどね。もう聖女やめたんだしさ。でもそんなこと言ったら――イクス自身がどこかへ行ってしまう気がするのは、気のせいなのだろうか。


「さて」


 ずっとこの寝顔を見ていたいけど――絶対そうも言ってられないよなぁ。私は立ち上がって、ため息と共に辺りを見渡す。うん、店の全員が一斉に眠っているとか、バレたら絶対ヤバいよね。誰が、どうやって――なんて騒がれたら、聖女だって一番にバレる。お酒に極端に弱いイクスもこの通りだし、さすがに私が頑張るしかない。


 その時、ふと落ちている羊皮紙に気づく。美男美女の似顔絵が描かれたそれは、『偽物国家聖女御一行』の手配書だ。私はそれを二つにビリっと破いて放り捨てた。


「ざんねーん。私が正真正銘の聖女で~す」


 その言葉を誰も聞いてはいないけど、ね。

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