第8話 sideイクス 1回目の死

 聖女ナナリー=ガードナーは俺の幼馴染でもあり、初恋の少女でもあり――俺が仕えるべき相手だ。

 だけど最初の頃は俺も公私混同して、公の場以外では「ナナリー」と呼び捨てていた。『天才国家聖女』と持て囃される彼女は三年前に王太子に婚約破棄を言い渡されてから、その後相手がいない。国と教会の権力構造が複雑で、王太子の馬鹿な申し出がなかなか受理されなかったからだ。王太子の思惑は定かではないが――当時の俺にとって、そんなものはどうでも良かった。


 ナナリーがいつまでも俺の隣に居てくれるなら、それだけで幸せだったからだ。



 そんな折、ナナリーに魔王討伐が言い渡された。発案者は新国王陛下。元陛下は病で崩御し、新たに王権を握っているのがこの馬鹿な元ミーチェン王太子だ。領土で大人しくしてくれている魔族を『存在だけで悪』と宣い、新王権を華々しく飾るため、魔王討伐を試みるのだという。


 ――馬鹿か? そう思ったのは俺だけではないはずなのだが、国に派遣されているナナリーはその命を断れるはずもなく。当然、その厳しい旅路に俺も同行した。一緒に旅をしていた者たちも、どんどん志半ばで倒れていって。


 そして最後、白い枯木が生い茂る森を背にした焦土で俺と二人きりになった彼女は――。


「イクス……無事……?」


 俺の腕の中で、命尽きようとしていた。腹にぽっかり大穴を開けて。辺り一面血の海だ。誰の目が見ても助からないのは一目瞭然。魔王の黒き刃で貫かれそうになった俺を庇った『天才国家聖女』は、弱々しくもまるで任務をやり遂げたように、満足げな顔をしていて。


「あのね……わたし……イクスがね……」


 彼女の大きすぎる傷から、キラキラとした光の粒子が舞い上がっていく。赤いのは彼女の魔力エーテル。それより圧倒的に多い金色の光が彼女の聖力マナ。何よりも眩しく、美しい光に包まれて、彼女は最期の言葉を紡ごうと――したところで、彼女の重みが一気に増してしまった。


 力尽きた彼女はの身体から、どんどん光は溢れていってしまう。やめてくれ! 戻れ! 彼女の命の光をいくら捕まえようとしても、それは俺の手から零れ出てしまう。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ‼


「あああああああああああああああああああああああ‼」


 壊れたように、俺は慟哭をあげる。

 なぁ、神よ。ナナリーは日夜民のために、ずっと貴様に祈りを捧げていたんだ。それなのに、貴様はナナリーを助けてはくれないのか? ナナリーは奇跡とも呼ばれる力で人々を救ってきたのに、なぜナナリーを助けてくれる奇跡は起こらないんだ? 不条理だろう。不平等だろう。もう神でなくても何でもいい。誰でもいいから、彼女を助けてくれっ‼

 

「ならば、我が手を貸そうか?」


 そう提案してきたのは、目の前にいる魔王だった。魔を統べる王。神と対する存在が、ナナリーを殺した張本人が、俺に提案してくる。


「今なら、まだ彼女を助けることができる。彼女の聖力マナを世界に結びつかせ囚えれば――世界の時は元へ戻り、彼女は再び息を吹き返すだろう」

「何でもいい! 早く、早くナナリーを――‼」


 理屈なんかどうでも良かった。ただ、ナナリーが助かるのなら。世界とか、神とか魔王とか何でもいい。ナナリーが生きていてくれさえすれば、俺の命だって全く惜しくない。


 だから、


「その楔となるのは、お前の彼女への想いだ。彼女への強い想い、記憶が彼女と世界を結びつける。お前にはその覚悟があるのか?」


 こんな抽象的なことにだって、俺は敵だった魔王に縋り付いて「あぁ!」と即答する。対価なんて何でもいい。何なら貴様の足だって笑顔で舐めてやろう。だから、どうか。どうかナナリーを……。


「ならば、覚えておけ――この輪廻を終わらせる時は、貴様の想いが叶う時。その時に……お前の彼女に対する全記憶や感情と引き換えに、彼女は輪廻から解放される。本当に、それでも良ければ――」


 ごちゃごちゃごちゃごちゃうるさいな。

 ナナリーが助かるのなら、俺は何も要らないって言っているだろう⁉


「早く、早くやってくれ――!」

「……わかった。ならば我は、汝らの“愛”というものを学ぶことにしよう」


 そして、世界に散らばろうとしていたナナリーの欠片が戻っていく。光の粒子がナナリーに収束し、鎖となり――俺を絡めて、世界へ根付こうとしているのを肌身で感じる。


 その暖かさと温もりに、ホッと胸を撫で下ろしたのは――この時で最後だった。


 ◇ ◇ ◇


「あれ……イクス?」


 気がついた時、そこは見覚えのある部屋だった。王宮の国家聖女に充てがわれた部屋。特に洒落た飾りなど何一つとしてないが……部屋の中にほのかに残るナナリーの香りが、俺は何よりも大好きで。

 そんな部屋のいつものナナリーが読書をしている椅子に、ナナリーはいつものように座っていた。たおやかな銀の長髪が窓からの日差しを浴びてキラキラと輝いている。真新しい聖女の装束には、当然破れたり汚れたりしている箇所もなく。それを身に纏っているナナリーにも、傷一つ見当たらない。


 だけど、おかしい所があった――どことなく彼女が幼いのだ。


「あれ、私……」


 彼女はキョロキョロと周りを見渡してから、俺を見上げる。その瞳は強い祈りを捧げた直後のように、爛々と輝いていて。


「もしかして……イクス、若い?」

「……どうだかな」


 俺自身とて、まだ鏡を見たわけではないが……身体の動きからしてわかる。背丈は変わらないようだが、少々鍛えが足りない。若干身体が軽い気がする。だから、おそらく今は――と憶測を立てた時だった。


「聖女ナナリー様。ミーチェン王太子殿下がお呼びでございます」

「あ……はい……」


 扉の向こうからの侍女の言葉に、呆然と応える若き姿のナナリー。

 その時にはもう、彼女の瞳はいつもの碧色に戻っていて。


「どういうことかな?」

「……とりあえず、話を聞いてきたらどうだ?」


 そして王太子と話した後に戻ってきた彼女は、信じられないと言った形相で目を見開いていた。


「婚約破棄って言われた……もしかして、三年前に戻ってる……?」



 こうして、俺たちのループ生活は始まった。

 その生活に終わりを迎える代償の重さを――俺が実感するのは、まだ少し先の話。

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