七話 老人
倒れてから二週間で随分と細くなってしまった身体。痩せこけた顔。けれど、それでもなお霞むことを知らない老人の蒼き瞳は真っ直ぐ俺を射貫いた。
男の子の肩に乗っている俺を見つめていたのだ。
俺は咄嗟に逃げようとしたのだが。
『逃げないで話を聞いてくれると嬉しいな』
と、脳内に声が響いた。また、糸のような老人の魔力が俺の身体に結びついていた。これは〝思念を伝える魔法〟と言ったところか?
『気づいていたのか』
『まぁね。レーラー先生みたいに魔力の隠蔽がとても上手だったけど、数ヶ月間も一緒にいたからね。気づいたよ』
『なら、俺をどうするつもりなんだ。ってか、男の子が困っているんだが』
老人が男の子の肩をずっと黙って見つめていたことによって、男の子が不安そうな雰囲気を漂わせた。
『男の子? ああ、ライゼ君のことか。うん、トカゲ君は優しいね』
『優しいとかどうかの話をしているわけではないんだが』
『まぁ、そうだね。じゃあ、ライゼ君にもこれを繋げるか』
と、そういった老人は俺と同じようにライゼに魔力の糸を結びつける。ライゼはその魔力の糸に気が付いたのか、不思議そうに老人を見ていた。
『んん、ライゼ君、聞こえるかね』
『っ、は、はい! 聞こえます。先生!』
そして俺の頭の中に甲高い子供の声が響く。感極まった感じの声故に、俺の頭にガンガンと響いていてうるさい。
『はは、ライゼ君。そんなに大きな声を出されるとトカゲ君も困ってしまうよ』
『……トカゲ君? 先生は何を言っているのですか』
『いるんだよ、君の肩に。ほら、トカゲ君も隠れてないで出ておいで』
しょうがない。
俺はライゼの肩から飛び降りて、老人が寝ているベットの上に下り立つ。
『初めまして、ライゼ。ペレグリーナーティオトカゲだ。名前はない』
そして俺はライゼに頭を下げた。ついでに顔を横にずらして、老人にも頭を下げる。
ライゼは、急に現れて話しかけてきた俺にこげ茶のまん丸な瞳を向けて、呆然としている。
また、老人も何故か驚いている。
『これは驚いた。ペレグリーナーティオトカゲっていったら、太古の人々が馬代わりに使っていたトカゲではないか。そうか、絶滅していたわけではなかったのか』
『いや、それは違う。俺は突然変異だ。生き残りがいるかどうかは知らん』
『……そうなのか。けど、君がいるから絶滅したわけではないね』
老人は何故か納得したように目を細めていた。
『……先生、本当にこのトカゲさんが話しているのですか』
『うん、そうだよ。このトカゲ君は三か月前くらいからずっとライゼ君の肩にいたんだよ』
『えっ!?』
ようやく、トカゲの俺がしゃべっている事実を飲み込んだと思ったら、男の子はまた、驚いた声を頭に響かせる。眉を若干下げている。
まぁ、三か月近くトカゲが肩に張り付いていたと知ったら確かに嫌なのは分からるのだが、少しだけ寂しいな。
『……不快な思いをさせたら、すまない』
なので、謝っておく。こういう時は謝るのが一番だ。
『い、いえ、大丈夫です!』
『ならよかった。……で、老人、なんで今になって俺に声をかけたんだ?』
俺は老人に訊ねる。
老人は一瞬だけ、蒼い瞳を下げた後、ライゼを見て言った。
『僕はもうすぐ死ぬ。今日か、明日か、一週間後か。まぁ、近い内に絶対に死ぬんだ。だからね、ライゼ君を一人ぼっちにはしたくないと思ったんだ』
『っ、せ、先生! 嘘ですよねッ!?』
ライゼが思わずと言った具合に老人に飛びつく。折れそうなほど細い腕を必死になって握る。けれど、ライゼの体格は小学生一年生くらいだ。折れるはずもない。
老人はそんなライゼを優しく見つめる。
『いや、本当さ。八十少し、普通は七十近くで死んでしまうから僕は良く生きた方だね』
『まぁ、確かに寿命だろうな。けど、近い内に死ぬのはなんで分かったんだよ』
確かに寿命で死ぬのはわかる。この老人が言った通りの一般常識に当てはまれば、老人は長く生きているからな。
『……勘かな。けど、僕の勘は外れたことがないから』
眉を困ったように八の字にしている老人を見て、それは嘘ではないんだろうと思った。たまに、そういう予感が当たる人がいるし。
『……そうか。それで、俺はどうすればいいんだ』
未だに現実が受け止められないのかライゼは泣き叫びながら老人の細い腕に額と角を押し付けていた。
老人が困ったように嬉しいように笑いながら、ライゼに目線を移す。
老人は嬉しいんだろうな。自分の死に対して泣いてくれる子がいる事が。悲しいわけはない。嬉しいのだ。それだけの人生を送れて、それだけの人に巡り合えたことが。
『ライゼの仲間に、家族になってくれないかな。喜びを分け与えて、悲しみを分かち合う家族になってくれないかな』
『……普通、無理だろ』
こちとらトカゲだ。それにライゼにとっては俺は見知らぬトカゲでもある。
そもそも、トカゲである俺にそれを頼み方がおかしい。普通人間に頼む筈だ。
『確かにそうだね。だけど、これも僕の勘だけど、トカゲ君は、ライゼ君とだったら不幸になっても後悔しないと思っているよね』
『……たかが数ヶ月近くにいた人間をそう思うか?』
『うん。僕はそうだと思ってる』
細く痩せこけた老人は儚いが、しかし、芯がある強い笑みを俺に向けた。俺はそれを受けて、黙ってしまう。
図星というわけではないが、俺はライゼの一生を見てみたいとも思っていたのは確かだ。
そして、その思いは老人が倒れてからさらに強くなった。
『……けど、俺はいいとしても、ライゼの意思はどうなんだ』
ただ、家族とは共に思って想いあう関係だ。たぶん、そうなんだ。
だから、俺がそう想っていても、ライゼがそう想っていなかったら意味ないんだ。
『うん、そうだね。うん』
老人はライゼにしがみつかれている手とは反対の手を持ち上げて、ライゼの頭におく。優しく撫でる。
『ライゼ君。僕は君の先生であっても家族ではなかった。君は家族というものを怖がっていたしね。だから、君は誰の近くにもいたくなかった。もし、いたいと想っても怖かったから、僕のように先生として、お金という利害で繋がる関係を求めた。けどね、トカゲ君は三か月以上も君のそばにいたよ。君を見守ってたよ』
詭弁だな。完全なる詭弁だ。
『だからね、僕からの、先生からのお願いだと思って、トカゲ君と家族になろうと努力しなさい。もちろん、努力して無理だったら諦めてもいいよ。まぁ、その時にはトカゲ君の方が君を離さないだろうけど』
『……先生』
ライゼは泣き止み、真っ赤に腫らした顔を老人に向ける。
老人はそんなライゼに儚く微笑み、首にかけていた蒼い宝石が付いたペンダントを取り、紐の長さを調節した後、ライゼの首にかけた。
そして一週間後。
老人は亡くなった。
ライゼは家無しの完全な孤児となった。
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