エピローグ Fledged――a
雨が全てを洗い流した。
ライゼは雨に打たれる。ライゼの肩に乗っている俺も雨に打たれる。
冷たくて、寂しくて、心を凍てつかせるような雨だけれども、雨は優しくもあって、ライゼの瞳を包み込む。優しく雨粒が頬を撫でる。
『ねぇ、ヘルメス。僕はどうすればいいんだろう?』
希うように、祈るように頭の中に呟きが響く。染み渡る。
ライゼは俯き、老人がライゼに残した唯一のダイヤ型の蒼い宝石がついているペンダントを握りしめている。
自分に何かを教えてくれる『先生』がいなくなって不安になって、子供は親が導くのが当たり前で、だからこそライゼは暗闇の中に立っているのだ。
『それはライゼ自身が決めることだ。俺はお前について行きたいと、俺が決めた』
だが、俺はライゼの『先生』でも無ければ『親』でもない。俺はライゼの仲間であり、家族でありたいと思っている。
だから、助言はしても、俺がライゼの行き先を決めたりはしない。
ライゼの道程を歩くのは、ライゼの足だけなのだから。
『……けど、どうすればいいかわからないよ。先生の亡骸は王都へ行った。子供じゃない僕はそれについて行くこともできないし、先生の家だってなくなった』
俺たちはあの老人が死ぬところを見ていない。死ぬ少し前に、私兵と思われる兵士たちがあの老人を連れて行ったのだ。ただ、この町を出る前に、馬車の中で死んだらしい。兵士が騒いでいた。
そりゃそうだ。死にかけの老人を、あんだけ揺れる馬車に乗せたのだ。死ぬに決まっている。ただ、その当たり前にすら気づかないほど兵士たちは焦っていたのだろう。
けれど老人が死んだあとに、老人を殺したと言える兵士とは別の兵士たちが現れた。そして
彼らは老人の遺体は丁重に扱って、火葬をした後、王都へと移送された。それはもう、厳かに運ばれていった。なんでも、王都の名誉墓地に納骨するらしい。
その話題で町中が満ちていた。悲しいのかどうかは知らないが、多くの人の表情が沈んでいた。
だけど、丁重に運んだから、俺とライゼは老人の死顔も見れてない。老人の子供でもない、家族でもないライゼが見ることはできなかったのだ。それに老人の家にも訪れることはできなかった。老人の家が忽然と消えていたのだから。
『なぁ、老人の墓には行きたくないのか?』
俺は訊ねる。俺は墓に行きたい。
『行きたいよ。けど、僕の足じゃ行けない』
ライゼだって行きたがっている。最後の最後まで、ライゼは老人を家族とは言わなかったけど、それでも『先生』の墓に今すぐ訪れたいと思うのは明白で。
けれど、ライゼは諦めている。自分の立場を現状を弁えている。
子供一人が旅できるほどこの世界は優しくはない。それは俺も老人から聞いていて、知っている。
だけど。
『そうか。なら、俺が連れてってやる。俺は仮とはいえ、お前の仲間だ。お前の家族だ。お前が望む事を共に為す存在だ』
だからこそ、俺が連れていくことができる。ライゼの足らない部分は、できない部分は俺が担うことができる。
その逆もできる。
そうしたいと俺は思っている。
『……どうやって。ヘルメスは小さなトカゲだよ。それは僕と会話できるくらいに頭はいいけどさ』
そして暗闇に怯えて沈んでいた瞳に小さな種火が宿る。
ライゼだって諦めたくはないし、たぶん、大人になったら王都へ行くつもりではあった。
けれど、大人になるのにはあと数年かかる。十年近くかかる。
ライゼはそれが嫌なだったのだ。
けれど、その我儘で死ぬのは嫌だったのだ。
老人に紡いでもらった命を粗末にすることも嫌だったのだ。
雁字搦めになっていた。
『ライゼ、お前にはまだ言っていなかったがな、俺は大きくなれるんだ。それこそ馬の様にな』
けれど、やっぱり、俺がいるのだ。
種族の説明を見れば一目瞭然なのだ。
『大きく?』
ライゼは、少しだけ疑うように呟く。目の前に差し出されたチャンスを、希望を掴むかどうか迷っているのだ。
少しだけ怯えているのだ。
『ああ、そうだ。遥か昔は移動手段として、馬の代わりに使われていたほどだ。食料はそこら辺の草でも大丈夫だし、早い。お前の足じゃ無理かもしれないが、王都にだってローマを経由しなくても行けるぞ』
『ローマ?』
ライゼが不思議そうに肩にいる俺を見る。
『あ、すまん、こっちの話だ。それにお前の持つ
『……行っても大丈夫なのかな』
『どうして大丈夫じゃないと思うんだ。お前の人生はお前が決めるんだ。誰の許可も必要ない。まぁ、明らかに間違った道を行こうとしたら俺が止めるがよ、そうでなかったら俺はお前の隣を、それか前を全力で歩くだけだ』
俺がそう言ったら、ライゼは静かに佇んだ。
雨に打たれているライゼを不思議そうに眺めている通行人がいるが、ライゼは気にしない。
ライゼは考えた。
そして、天使の梯子が射した。
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