第18話 猫のこと?

「雅君」


 人がまばらになった教室に、聞きなれた声が響く。

 声のする方を見ると、入り口のところに小柄な女子が立っている。

 リアラだ。


「な、何しに来たんだよ」

「迎えにきただけよ」

「……お前なあ」


 今朝からこいつはどういうつもりだ?

 まさか俺たちが婚約してることを周知の事実にして親父さんに嘘がバレないようにしようとか、そこまで考えてるとか。

 ……にしても、やりすぎだ。


「リアラ、お前さ」

「バレちゃったものは仕方ないでしょ。さっ、帰るわよ」

「お、おい」


 リアラは皆の注目をひきながらさっさと教室を出て行く。

 慌ててついて行こうと立ち上がったその時、何人かの生徒の視線を感じた。

 しかし、どれもこれもあたたかく見守るような目で。

 あー、応援されちゃってるなあ、と。

 気まずくなりながら教室を飛び出した。

 そしてすぐにリアラに追いつく。


「待てって」

「なによ、私が迎えにきたら迷惑だったんでしょ」

「そんなこと一言もいってないだろ」

「そんな顔してた」

「……お前はいいのか?」

「何が?」

「何がって、俺と、ほら、そういう関係だって思われることがだよ」


 俺とリアラがやってるのは恋人ごっこだ。

 とはいえ嘘がバレたらリアラの親父さんが強制的に見合いをさせそうなので、その嘘をよりリアルにするってのはわかるけど。

 やりすぎるとそれってつまり、本当に付き合ってるってことになる。

 今更全校生徒に嘘ついてましたなんて言えなくなるぞ?


「……あんたはどうなのよ」

「俺? いや、俺は……」

「いやなの、やっぱり」

「……」


 いやなもんか。

 俺は高校でもリアラを彼女として自慢して、みんなに羨ましがられるような、そんな毎日を中学の時もずっと想像していた。

 それくらい俺にとってこいつは自慢の幼馴染で、自慢の、彼女だったんだ。

 だから内心嬉しいと思ってしまっている。

 でも、それを言えばもう……。


「あの、俺はだな」

「あーもういいわよ」

「?」

「別に無理に答えなくていい。でも、私は見合いさせられるくらいならあんたと噂される方がましってだけ。それよりお腹すいた」

「……ああ、スーパー寄るか」

「うん、今日はデザートも買う」

「好きにしろよ」


 俺は今、なんと答えようとしていたのか。

 リアラに遮られなかったら、何を口走っていたんだろうか。

 それを想像すると少し胸の動悸が強くなる。

 一転してまたご機嫌な様子のリアラとは対照的に、俺は家に帰るまで終始だんまりだった。



「さてと、先にお風呂済ませてきてよ」

「ああ、わかった」


 先に雅君を風呂に向かわせてから、部屋で一人になると一息つきながら座りこむ。

 

 ……ちょっとやりすぎたかな。

 メンヘラっぽいかなあ、こういうのって。


 尊君に私たちのことばらしたのも、みんなに噂を流したのも、全部私なんだって。

 こんなこと、雅君にバレたら怒られるかな……。


 で、でもでも。

 雅君だって悪いんだから!

 いい加減ヨリ戻そうって言ってきてもいいのに。

 嘘はやめて、ほんとに付き合ってって、なんで言ってくれないのよ。

 いいじゃんべつに、ちょっとくらいめんどくさいのも可愛いって思ってくれたって。

 

 どうやったら、わかってくれるのかなあ。



 いつもいつも、風呂で考え事ばかり。

 それも、考えることはリアラのことばかり。


 最初はこうして一つ屋根の下であいつと暮らすのが嫌だった。

 一度別れた相手とこんな形で同棲なんて、理由はどうあれ不本意だった。

 でも、一緒にいてよくわかったことがある。

 結局、俺はあいつが好きなんだって。

 ほっとけないんだって。


 だからあーだこーだ言いながらもこの生活を続けている。

 ただ、ここまで俺たちの仲が周囲に知られてしまった以上、けじめはつけないといけない。

 このままだらだらとこの状況を続けるのはよくない。


 ……風呂から出たら、リアラとちゃんと話そうか。



「おい、あがったぞ」


 風呂から出て、部屋に戻るとリアラが一人で部屋の隅に座ってテレビを見ていた。

 ジッと集中して画面を睨んでいる。こうなると俺の声は届かない。


「おい、あがったぞ」

「え? あ、雅君お風呂出たんだ」

「ああ。何をそんなに集中して観てるんだよ」

「猫の特集。かわいいなあって」

「ああ」


 そういや猫、好きだったなこいつ。

 付き合ってた頃は「将来は一緒に猫飼おうね」とか言ってたっけ。

 

「ねえ、猫ほしい」

「……は?」

「猫、ほしい」

「いや、聞こえてるけど」

「じゃあ、明日買いに行きたい」

「いや、急すぎるだろ。それにここで飼うのか?」

「うん、ダメ?」

「ダメっていうか……」


 当然俺にペットを購入するお金なんてないし、仮にもらってきたとしても二人で育てるなんて、それはつまり二人が飼い主になるってことだ。

 いずれ終わるとわかってる関係だとすれば、そんなものは持つべきじゃないと。

 ただ、猫を見てうっとりするリアラを見て、そんな現実的な話ができるわけもなく。


「……明日、見にいくか」


 とだけ。


 そのあと、嬉しそうに猫の話をするリアラに付き合って、結局言いたいことは何も言えないまま就寝。


 いい加減、俺も腹を決めないといけないとだけ実感させられる夜だった。



「見て見て、かわいいよ!」


 翌日。

 ペットショップに来た。


 動物愛護団体の人から言わせれば狭いケージに動物を閉じ込めて展示して売るなんてことはそもそもどうかと批判の対象になるような場所だけど、しかし最近は野良猫なんてあまり見なくなったしこういう場所でしか動物と触れ合う機会のない人間もいるんだしやっぱり需要があるのだろう。

 多くの家族連れがケースの向こうの猫や犬を見ながら目をキラキラさせている。

 ちゃんといい人のもとに引き取られるのを祈るばかりだ。


「ねえ、訊いてる?」

「あ、ああ」

「どうせまた変なこと考えてたんでしょ。私たちが悩むより、ちゃんと買ってあげて大事に育ててあげるしかできないんだからね」

「わかってる」


 そういえば昔、リアラとそんな話をしたっけな。

 ま、こいつの言う通り学生の俺たちがあれこれ言っても仕方ない。

 さて、可愛い子はいるのかな。


「見て、この子足が短い! かわいー」

「マンチカンか。いや、値段が」

「値段なんていいの。それよりこの子見せてもらお?」

「あ、ああ」


 サラリーマンの月給分は優に超える価格の子猫を、店員さんに頼んで抱っこさせてもらう。

 すると、リアラの顔がほわっと崩れる。


「わー、かわいい。この子、全然怖がらないしなつっこい」

「まあ、こういうとこにいるから人に慣れてるんだろ」

「またそうやって冷めたことばっか。マチタン抱っこさせてあげないんだから」

「まちたん?」

「うん、この子の名前。この子、連れて帰る」

「え?」

「すみません、この子飼います」

「お、おい」

「一目惚れしたの。私、一度好きってなったらそんなに簡単に嫌いになんかなれないんだから」

「……ん?」

「なによ」

「い、いや」


 結局、子猫を一匹連れて帰ることになった。

 名前はマチタン。みゃあっとなく薄茶色のマンチカンだ。

 手続きをして、そのまま一緒に家に帰ることになる。


「ふふっ、帰ったらご飯たべようねー」


 籠に入れてもらった猫を俺が持って、その横でずっとデレデレするリアラ。

 まあ、こんなにうれしそうなんだったら飼われた猫もきっと幸せなんだろうなあと、勝手にそんなことを思いながらさっきのリアラの言葉を思い出す。


 一度好きになったら、か。

 どういう意味だ、あれは。


 まあ、猫のことなんだろうけど。

 どうしても、その言葉が猫に向けられたものだけだとは思えなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る