第19話 俺次第

「うへへー、まちたーん」

「おい、笑い方がキモいぞ」

「あーキモいっていったー! ふーんだ、マチタン、こっちおいでーだ」


 昨日、猫がうちにきた。

 名前はマチタン、メスだ。

 一歳の子猫だが、すっかりリアラになついている様子でリアラもずっと猫につきっきり。

 おかげで何か大事なことを話そうと思っていたはずなのに、それが何かもよくわからなくなってしまっていた。


「ほら、ママがご飯あげるからねー」

「ママねえ」

「雅君も、ちゃんとパパしてあげてよね」

「パパって、お前なあ」

「いいじゃん、この子にとってはそうなんだから」

「なんかリアルな会話だな」


 まるで離婚した夫婦が子供と月に一度会う時だけ両親として手を取り合うみたいなその例えに変な気分になる。

 しかし今日も学校だ。

 猫を半日ここに置いてて大丈夫なのかどうか。


「おい、こいつを放っといて大丈夫なのか?」

「うん、一人だと不安だから日中はお父さんにきてもらうの」

「あ、そ。ほんとお前の親父さんって娘の奴隷だな」

「言い方に悪意あるんだけど。ね、そのついでに今日はお父さんとご飯食べない? 様子見たいって言ってたし」

「……大丈夫か?」

「雅君次第だよ」

「……」


 俺次第、か。

 なんか、その言葉もひっかかるけど。

 

「まあ、断るわけにはいかないんだろ? だったらいいよ」

「じゃあ決まり。学校いこっか」


 合鍵は渡してあるらしい。

 まあ、見られてやましいものもないしとして疑われるようなもの何もないが。

 しかしつくづく甘い親だと呆れながらリアラと学校に向かう。


 今日は、好奇の目にさらされていることを自覚した。

 全校生徒がチラチラと俺たちを見てくる。

 元々噂になっていたカップルが同棲をして仲睦まじく一緒に学校に来てるんだから、そりゃ注目を集めるのも無理はない。

 最も、その注目のほとんどはリアラに向けてのもの。

 学校どころか、地元歴代でもナンバーワンだとの呼び声もある彼女が一体どんな男と付き合っているのだろうかと。


 さぞ、お似合いのイケメンが隣にいるのだろうと想像した皆様方は、失礼なことに俺の方を何度も見ては首を傾げる。

 ほっとけと言いたい。

 あと、付き合ってないんだよとも言いたいが言えない。


 でも、この嘘がバレたらどうなるんだろう。

 やっぱり男子どもは歓喜の雄たけびをあげるのだろうか。

 女子は、俺のことをケダモノのように見てくるのだろうか。


 いつまでこの嘘を放っておくのか。

 それとも……。


「おい、ちょっといいかお前」


 しかし物事はそう単純に運ばないもので。

 大半の人間は優しくとも、一部例外というものは必ず存在する。

 俺のことをよく思っていない輩だっているのだ。


「は、はい?」

「お前、橘さんと付き合ってんのか?」

「え、ええと」

「はっきり言えよ。お前、橘さんに何した?」

「な、なにって別になにも」

「んなわけねえ、じゃないとお前みたいなモブが彼女と付き合えるわけねえだろ」


 だそうだ。

 だからほっといてくれ。

 

 絡んできたのは同級生の数人。 

 顔は見たことあるが、名前は知らない。

 ちょうど正門を過ぎてリアラと別れたところを狙われた格好だ。


「お前、いい加減にしろよ」

「いい加減にって……別に俺は」

「お前さ、見てても全然嬉しそうじゃねえじゃん。橘さんを手籠めにしてそれで満足ってか?」

「……」


 そうか、俺は不服そうに見えたんだ。

 ああ、確かに不服だよ。

 皆に大手を振ってリアラとの仲を自慢できない今が、本当にうんざりする。


 ……でも、あいつといて嫌そうな顔してたなんて、今はそんな風に思われるのだけはごめんだ。


「あのな、俺はリアラが好きだ。だからほっとけ」

「あ? 口ではなんとでも言えるだろ」

「本気だよ。俺たちの問題に他人が首ツッコむな」

「調子乗るなよお前!」


 ああ、喧嘩だ。

 喧嘩になっちゃったよ。

 でも、俺は腕っぷしも弱いし今から逃げるにしても足も速くない。

 何発か殴られて、そのうち先生が来てお終いかと。

 覚悟したその時、俺に迫っていた連中が急に身じろぐ。


「あ」

「おい、お前ら何してるんだよ」

「さ、佐野君これは」

「失せろ」

「は、はい!」


 尊が来た。

 まるで蛇に睨まれたカエル、いやジャイ〇ンに脅されたの〇太の如く怯んで逃げていく連中を見ながら尊はクスクス笑っていた。


「おい、雅臣。何してるんだよ」

「尊……ごめん、助かったよ」

「何もしてないけどな。でも、さっきのはしびれたねえ」

「何が?」

「俺はリアラが好きだ! ってさ。ヒューかっけえ」

「お、おい訊いてたのかよ」

「まあね。橘にもそうやって愛の言葉を毎晩ささやいてんのか」

「おっさんくさいこというなよ。んなわけねえだろ」

「言えばいいのに。喜ぶぞきっと」

「言えるかよ……」


 第一、さっきだってどうしてあんなことを口走ってしまったのかと後悔してるレベルだ。

 万が一あいつに訊かれでもしたら……そう思うとゾッとしない。

 ほんと、聞いてたのが尊だけでよかった。


「とにかく、助けてくれたのは礼を言う。でも、さっきのことは」

「はいはい言わないよ。でも、たまには好きだってちゃんと言ってやれよ? 女はそういう些細なことで愛情を確かめてるもんなんだぜ」

「……気が向いたらな」


 快く返事しない俺に尊は呆れた様子で「愛想つかされないようにな」と。

 そう言って先に教室に向かっていった。



 朝の騒ぎはそれなりに目撃されていたらしく、俺に絡んできた生徒たちは先生に叱られて図書室でペナルティの課題を受けることになったらしい。

 おかげで教室に着いてからは平和だった。

 そして、さっきの一件で俺を助けた尊の話で女子たちは盛り上がっていた。


 中には「佐野君と橘さんの方が絶対お似合いだよねー」とか言うやつもいて、自分の弱さというか情けなさに胸を痛めながらも、何も言えずにただ時間だけが過ぎて。


 昼休みになった。

 今日もリアラが弁当を持って教室にやってくる。


 しかし、彼女の様子が少し変だ。


「……雅君」

「なんだよそんな小さい声で」

「だ、だって……もじもじ」

「トイレでも行きたいのか? だったら」

「ち、違うもん。あの、お弁当なんだけど、今日はここで食べない?」

「教室で? いや、でも」

「お願い。ね?」

「……わかったよ」


 いつもより控えめな、それでいてどこか恥ずかしそうな様子のリアラはどうしてもここでお弁当が食べたいと。

 はっきり言って教室でクラスメイトにリアラといるところを見られるのは気乗りしないが、今更そこまで否定するのもどうかということで、結局向かい合わせに座って弁当を食べることになった。

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