第2話 朝の過ごし方

 目覚めは誰かに頭を軽く蹴られた衝撃で。


 ふと目を開けると、そこにはキッチンに立つ元カノ、そして今は何故か婚約者として同棲する羽目になった橘リアラの姿があった。


「……おはよう」

「おはよう。朝ごはん作るのに邪魔だからさっさと布団片付けて」

「はいはい。ご苦労様です」


 橘リアラの性格の悪さについては、多分俺だけが知っている。


 みんなでいる時にはニコニコしてるくせに、二人になると「さっきの言い方キモい」とか、「女にデレデレすんなタコ」とか、まあ言葉遣いも含めて態度が豹変する。


 裏表、というよりは全く切り離された別人格のようなその変わりように、最初は戸惑って次第にムカついて最後にはブチギレた。


 なんでこんな女を好きになっちまったんだと。

 なんでこんなのが幼なじみなんだと、ずっと感謝していたはずの神様を随分と恨んだものだ。


「あー、机片付けて。邪魔」

「お前の私物だろ。お前がやれよ」

「は? 朝飯作らせておいてそんなこともしないなんて、何亭主関白気分でいるのよタコ」

「朝飯?」


 見ると彼女が持っているお盆には、味噌汁とご飯がそれぞれ二つずつ。

 それにおかずも。


「お前、俺の分も?」

「勘違いしないで。あんた、料理できないし一応ここの生活はお父様からの資金援助で成り立ってるから領収書も見られるし、カップ麺とかばかり食べられてたら私が怒られるの。それだけよ」


 そう言って、ガチャンと強めに食事を置くと、リアラはさっさと朝食を食べ始める。


「い、いただきます」


 その言葉だけを言って、俺も無言で箸をとる。


 彼女の食事はどこか懐かしい。

 付き合う前は、俺の親がいない時に彼女がよく飯を作りにきてくれていた。


 だから知っている。

 こいつの飯のまずさを。


「辛っ! なんだこの目玉焼き……塩ひっくり返したのか?」

「う、うるさいわね! あんたなんか体壊して死んじゃえばいいのよ」

「相変わらずのまずさだな。はっ、これで俺の嫁さんだなんて笑わせる。早く良案とやらを見つけてくれよ、リアラさん」

「な、なによ! 人が作ったものに文句言うんならあんたが作れ! 私だって……一生懸命なのに」


 リアラが沈黙した。

 ああ、こうなるとまためんどくさい。

 このあとどうなるのか、俺は知っている。


「ううっ、あの頃は美味しいって。嬉しいって言ってくれたのにぃ」

「あの頃はあの頃だろ。今とは違う……って本気で泣くなよ」

「だって……だって……」


 こうなるともうダメだ。

 俺が折れて、ごめんを何度も繰り返して幕引きしないと、こいつは朝まででも泣き続ける。


 あーもう、学校間に合わねえよ。


「ごめんって。ちょっと言いすぎたから、謝るから」

「じゃあ……お弁当も、持ってってくれるの?」

「な、なんでそんなもんまで作ってんだよ」

「だって。お父様からいいお嫁になるためには一日三食、ちゃんと作れって言われてるもん」

「めんどくさい家だなマジで。あーもうわかったよ。弁当ももらうから、それでいいか?」

「うん……じゃあ準備する」


 ぐすぐすと鼻水をすすりながらも、なんとか大洪水は免れた。

 彼女はそのあと、自分の焼いた目玉焼きを食べると「まずい……」とこぼしてからそれをさっさと台所に引き上げてしまった。


 ……でも、俺は食べないとまたあいつがびーびーと言うに違いない。


 そう思って、死ぬほど味が濃い目玉焼きを白湯のような味噌汁で中和しながらなんとか口に流し込んだ。


 しかし俺たち、本当にいつまでこの生活を続ければいいんだ?

 同棲したからといって、二人の仲が急に良くなるわけでもないし、むしろ悪化しそうな気しかしない。


 それにそもそも付き合ってもない、というか既に破局したはずの男女が一つ屋根の下で、しかも親公認の婚約者として生活するという嘘にはかなり無理がある。


 今はまだいいが、そのうちいろんな綻びが出てきて、嘘がバレる未来しか見えない。


 ……俺も、あいつに協力して早くここから脱出する方法を探った方がいいのかもな。


「はい、お弁当。い、一応あんたの好きな唐揚げにしといたから」

「それも親の指示か? 相手を喜ばせるのもいい嫁の務めだ、とか」

「……それは別に」

「あっそ。まあ期待せずにいただくよ」


 リアラは感情の起伏が激しいタイプである。

 嫉妬深いし、すぐ怒るしすぐに泣く。

 それに機嫌が悪いかと思っていたらコロっと良くなったりもする。


 それが最初は可愛かった。

 でも段々と疲れた。


 それがこいつと別れようと考えだしたきっかけだ。

 めんどくさい女の相手を一生するなんて、できるわけがない。


「で、一緒に学校行くのか?」


 同じタイミングで部屋を出て、彼女が鍵を閉めたところで俺が質問。


 この偽装夫婦ごっこを演じる舞台となるアパートは、高校へ続く広い通り沿いにあり、多くの生徒がここの前を歩いて学校に通う。


 そんなところなのに、堂々と二人でアパートから出てきて一緒に並んで登校なんて、他の生徒に勘違いされにいってるようなもんだ。


 当然彼女も、「誰がお前と一緒に行くもんか」と言うとばかり思っていたのだが、


「い、一緒に行く」


 と。声を震わせながらこっちも見ずにそう答えた。


「は? なんでだよ」

「お、お父様の使いの人がもし仲悪そうなとこ見たら、それこそ私たちの関係を疑われるし。だ、だから学校とか外ではあくまで付き合ってるフリしてないと、困るのよ」


 勝手な理屈だ。

 はっきり言って俺に何の得もない話だ。


「お前さあ。それじゃなんだ、俺は好きな子ができてもお前と付き合ってることになってるから諦めろって、そういうことがいいたいのか?」


 あまりに勝手な話だからムカついて、語気を強めながらそう話す。

 

 すると。


「好きな人、いるの?」


 とだけ。なぜか怒っているように見えた。


「た、例えばの話だ。でも、もしそうなったらどうすんだってことだよ」

「そ、そうなったら……ううん、そうなるまでになんとかする。だからそれでいいでしょ?」

「答えになってない気もするけど。まあ、そうなれば無条件でこの偽装工作も終わりだ」


 早くそうなることを祈るよ。

 そう言って突き放した。


 それに最後にフラれたのは俺の方だ。

 最初に別れた方がいいんじゃないかと切り出したのは俺だけど、別れようと告げたのはリアラの方だった。


 だからこいつは俺のことが嫌いなんだ。

 もう、余計なことは考えさせないでほしい。


 そんなつもりで突き放したのだけど。

 

「……ひどい、最低。協力するっていったくせに」


 なぜか彼女は泣きだした。


「な、なにいってんだよ。お見合いのことは協力したし今だってこうして」

「途中でやめたら意味ないの!私が変な人に連れていかれないようにしっかり彼氏のフリしてくれないと意味ないの!意味ないの!」

「わ、わかったから。だから大声出すな。近所迷惑だ」

「じゃあ、ちゃんとする?」

「あ、ああ。するから。するから泣くな。泣いてるやつと一緒に登校なんて拷問だ」

「……わかった」


 すんすんと。鼻をすする音を立てながら彼女はハンカチで涙を拭く。


 そしてようやく。

 

 結局。


 一緒にアパートを出た。

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