元カノの嘘に付き合っていたらいきなり同棲させられてしまった件

明石龍之介

第1話 元カノ

 唐突ではあるが、橘リアラという女子について少々語らせていただく。

 まあ、それにはもちろん理由があって。


 彼女はハーフで青い目をした銀髪の美人。

 ただ、その容姿について詳しくどうこう述べたいわけではない。


 実は彼女とは、幼なじみで物心ついた頃からずっと一緒で家が隣で幼稚園から中学までずっと学校もクラスも一緒。


 まあ、そんな事実も彼女を語る上では外せないことだが、俺が言いたいことは他にある。


 橘リアラは。


「ねえ」


 俺の。


「聞こえてる?」


 元カノである。

 だったじゃない、現在進行形で。


 一度交際をして、破局を迎えた彼女と俺は復縁も何もしていない。

 かつての交際相手である。


 しかしだ。


 何故か今日から、彼女と俺は。


「あのさあ、テレビ見たいから邪魔なんだけど」


 同棲をすることとなった。



 鬼龍院雅臣きりゅういんまさおみなどという豪華絢爛な名前を授かったことで、これまでの人生において自己紹介で外すなんて苦労だけはすることがなかった。


 そんな俺は名前ほど大層な人物ではないし、優れた容姿も、明晰な頭脳も、なんならスポーツの天才なんていう秀でたスペックもない。


 ただ、一つだけ神様に感謝したことがあった。

 

 それは、幼なじみの存在だ。


 橘リアラ。

 彼女は生まれた日も同じ、家も隣でクラスもずっと一緒という、まあ幼なじみの中の幼なじみ。

 これを幼なじみと呼ばなければ何をそう呼べばいいのか、というほどに彼女は俺の幼なじみだ。


 最も、我が家は普通のサラリーマン家庭だが、彼女の親は超がつくほどの金持ちらしく、家も隣というだけで敷地なんて10倍は違う。


 どこの豪族だよと言わんばかりの大きな門を構えた屋敷は、この辺りでも評判の大豪邸。

 隣にある小さな我が家なんて、比較したら物置くらいに見えてしまうほどだ。

 

 そんな身分の差がありまくりな俺たちだったが、子供にはそんな事実なんてどこ吹く風。

 

 毎日毎日、日が暮れるまで彼女と遊んで。

 来る日も来る日も、彼女と語って。


 次第に俺たちは両思いになった。


 至極自然なことの運びだったと思う。

 彼女と付き合ったのは、まあ必然と言ってもいいくらいだ。


 しかし、距離が近くなるほどに、それまで見えていなかったものが見えてくる。

 今まで知らなかった彼女の一面、というかその二面性が露骨になってきたあたりで俺は彼女に対して嫌悪感を抱くようになった。


「ねえ、なんで返事しないのよバカ雅臣」


 この女は。


「うるさい、黙ってろ。今テレビ見てんだよ」

「はあ? まじうざい。そういうところが、マジで嫌い」


 死ぬほど性格が悪い。


 学校ではその端正な容姿もあって『白銀の女神』なんて呼ばれ、入学して間もないというのに人気と知名度は抜群。そして八方美人なリアラは誰に対しても愛想よく、男女ともに彼女のことを嫌いなんて言うやつは一人もいない。


 俺も彼女と付き合うまではずっとそうだった。

 優しくて、笑顔が可愛くて、誰もに愛されるそんな彼女を、独り占めしたくてしょうがなかった。


 そして、その夢は一度は叶った。

 俺は中学三年生の夏休みに、彼女に告白をした。


 言葉は覚えていない。

 いっぱいいっぱいだったし、好きだとかそんなありふれたことを言ったような気もするが、あまり記憶にない。


 でも、その時に涙を流しながら喜んでくれて、顔をくしゃくしゃにしながら俺に向かって「私も大好き」と言ってくれた彼女の顔を、今でも鮮明に覚えている。


 今思えばあの辺が俺の人生のピークだった。

 その後しばらくはその余韻で幸せムードだったのだけど、少ししてから様子がおかしくなった。


「あんたさ、何か勘違いしてるみたいだけど、ここは私の家だから」

「ここは、お前の親が買った家だろ。お前はなにもしてない」

「でもうちのものにかわりないわ。あんたなんかベランダで寝なさいよ甲斐性なしのくせに」

「ああ、別にそれもいいかもな。誰かさんのうるさいイビキを聞かずに済むからそうさせてもらうよ」

「わ、私はイビキなんてしないわよ!」

「どうだか。証明してみろよ」

「まじ死ね。ほんとその性格、だいっきらい」


 これは今、リアラと実際に話している内容だが、こんなやり取りを付き合っている間もずっとやっていた。

 仲がよくてラブラブだったのなんてほんの一ヶ月程度のこと。

 それから半年くらいはずっと、こんな感じだ。


「ふん。やっぱりあんたに頼み事した私が間違いだったわ。もうでてけ」

「ああ、言われなくてもそうさせてもらうよ。明日でバイバイだ。じゃあな」

「……風呂、入ってくる」

「勝手にどーぞ」


 そして俺たちは高校にあがってすぐに別れた。


 理由はありすぎてよくわからなかった。

 とにかく一緒にいても喧嘩しかしないからという理由で、俺たちはどちらからともなく別れ話を展開し、確かに袂を分かったのだ。


 それなのに今、どうして彼女と同じ部屋にいて、こんなことになっているのかと言えば、大嫌いな元カレを部屋に残して呑気にシャワーを浴びる元カノが、ある頼みごとをしてきたからだ。


「私のお見合いを阻止してほしい」


 高校生がお見合いなんて、そんな話が今時あるのかよと驚くより先に、どうして別れたばかりの男にそんな話をしてきたんだと、そっちのほうにまず驚いた。


 しかし理由は単純だ。

 リアラには男友達がいなかっただけだ。


 なにせずっと俺と一緒でずっと二人でいたんだし。

 中学までの同級生は皆、俺たちの仲を疑わなかったし、彼女にアタックしても俺がいるから無駄だと諦めて、男は誰も踏み込んでは来なかった。


 それに、高校にあがってすぐということもあり友達もまだ少なく、たまたま同じ学校に進んだ俺に対して、元カノとしてではなく幼馴染として相談をしてきたというわけだ。


 橘家では、十六歳になるとお見合いをするというしきたりが今も残っているそう。

 なんとも古風というか、時代遅れにもほどがある話だが他所様の家の事情にまで苦言を呈してもまあ仕方のない話だ。

 

 付き合ってる時にもそんな話をしたことはなく、寝耳に水なその話に俺はまず。


「なんで俺がやらなきゃならんのだ」


 と、冷たく答えた。


 当たり前だ。 

 喧嘩ばかりで別れたばかりの元カノの相談なんて、どうして聞いてやらねばならないのだ。


 もう二度と関わることはないくらいに思っていたし、なんなら高校だってどうして一緒のところを受けたのかと後悔してるまであった俺にとっては鬱陶しい相談事でしかなかったというわけだ。


 しかし。


「お願い……私、好きでもない人と結婚なんてしたくないの」


 と。泣きながらお願いされたら男は弱い生き物だ。

 一度は好きになって、一度はこの手で抱きしめた女子が、泣きながらそんなことを言ってきたのだから話を聞くしかなかった。


「で、何をしたらいいんだ?」


 この一言が俺の人生を狂わせたともいえる。

 彼女は、俺に対して


「彼氏のふりして、一緒に家に来てほしい」

 

 と。そう頼んできたのであった。


 それ自体は予想の範囲内だったし結構たやすいことだ。

 元々付き合っていたわけで、最近までそれはふりでもなんでもなかったのだからそう名乗ること自体に特別な感情を抱くようなことはなかった。


 適当にこいつの彼氏のフリをして、お見合いが破綻になればそれで終了。

 ただそれだけの簡単な仕事だからと、手を貸してやったのは俺の甘さだ。


 たとえ幼なじみとはいえ、一度好きになった相手とはいえ、そんな情で他人の嘘にまで付き合う必要なんてなかったなと、今となれば猛省しているわけで。


 もちろん話はそう簡単なものではなかった。


 協力すると言ってしまった俺は、一緒に彼女の家に行ってリアラのとして彼女の親に挨拶をすることになったのだけど。


「君がリアラと付き合っている雅臣君か。娘からよく話は聞いているよ」


 そう言って、でっかい居間(はっきりいってこの部屋だけでうちの全部屋を足したくらいの広さ)の中央に並んで座らされた俺たちの前に現れたのはリアラの父、橘豪介たちばなごうすけ


 白髪のオールバックに、着流し姿のいかにも金持ちそうな彼は威圧感たっぷりな睨みを効かせながら、よいしょと声を出して俺たちの向かいであぐらをかく。


「は、はい。リアラさんとは、真剣にお付き合いさせていただいています」


 そんな嘘を真顔で。

 もちろん道中にリアラと打ち合わせした内容の棒読みだけど、他人に嘘をつくのははっきりいって気持ちいいものではなかった。


 ちなみに俺は、彼女の家に入るのも、こうして親に会うのもはじめて。


 いつも俺の部屋や公園なんかで遊んでいたが、何故か彼女の家に行こうという話にならなかったのは、子供心でもその身分の違いというものをどこかで理解して遠ざけていたからだろうか。


「ふむ。して、君は娘と添い遂げる覚悟があると。そういう話なのか?」


 急に話が飛躍した。

 てっきり、それなら見合いの話は考えようなんて展開でケリがつくと思っていた俺は、その質問になんと答えたらよいか焦った。


 しかし、横にいるリアラは、


「お父様、私は雅臣さんを真剣に愛しています。だからどうか、この人との交際を許してください」


 なんて真顔で。

 よくそんな嘘がつけるものだと、呆れながらも感心した。


 よほど見合いをするのが嫌とみえる。 

 まあ、そうでなければ大喧嘩して別れたばかりの元カレに、いくらほかに頼む相手がいなかったからといってこんな頼み事なんてするはずもないか。


「そうか。少し考えさせてくれ」


 橘家の女性は、十六歳になると将来を約束された相手と同棲し、花嫁修行を兼ねて共に生活を始めるのがルールだと、俺はリアラから聞いて知っている。


 現役女子高生にそんなことが許されるのかと言いたいところだが、厳格な表情で悩む彼の前ではもちろん、そんなことなど言えるはずもなかった。


 父親が黙り込み、しばし沈黙があった後。


「……新居はすぐにでも手放していただいて構いません。私は、この人以外の誰かと一緒になるなんて嫌なのです」


 育ちの良さが垣間見える凛とした態度で、リアラが再び頭を下げる。

 それに俺は少し圧倒されたが、協力すると決めた以上は最後まで付き合おうと、重ねるように「お願いします」と頭をさげた。


 すると。


「わかった。私も可愛い娘の頼みとあれば、聞かぬわけにはいくまい。二人で幸せになりなさい」


 厳格な彼女の父親の態度が和らぐ。

 リアラの見合いは、どうやらあっさりと破談に終わることとなったようだ。


 ありがとうございます、と二人で再び頭を下げて、さっさと部屋を出ようとした。

 話がまとまった以上、長居は無用。

 もう、これでリアラとの偽装カップルごっこも終わりだ。


 そう思った時。


「待ちたまえ。まだ話は残っている」


 呼び止められた俺たちは、もう一度腰を下ろす。


 そして、


「君たちが愛し合っているということを言いたいのはわかった。しかしだ鬼龍院君、君のその覚悟を私に示してほしい」


 だから。

 そのあとは言うまでもない。

 聞くまでもなかった。


「リアラと結婚を前提に、一緒に住みなさい」


 それが、二人の仲を認める条件だと。

 リアラの父親は言った。


 その後の展開はお察しの通り。

 俺はどうしたらよいかわからず慌てふためき、何かうまい嘘はつけないかと黙りこくっているうちに彼女の父親がどんどん話を進めてしまった。


 リアラもまた、動揺しているのかその場で固まってしまい、終始無言。


 使用人を呼び、早速彼女の荷物を新居に送る手筈を整えだして。

 俺の家にもさっさと使いをよこし、両親に事情を勝手に説明して。

 俺の部屋の荷物も、何の許可もとらずにさっさと運びだされて。


 俺たちは、婚約者となり同棲することとなってしまったのだ。



「ふう、気持ちよかった。ってまだそこにいたの?目障りなんだけど」

「なあお前、この状況をどうするつもりだよ。今からでも遅くないから俺たちが付き合ってるのは嘘でしたって言いにいったほうが」

「そんなことしたら、今度こそいよいよ私、知らない人との見合いをさせられて無理矢理婚約させられて一緒に住むことになるわ。いやよ、そんなの」

「だからって、俺と一緒に住むのはどうなんだ。俺もはっきりいって嫌だけど、お前だって」

「じゃあ何?あんたは私が知らない男と、好きでもない男と無理矢理くっつけられてあんなことやこんなことされるのを我慢しろって?」

「そうは言ってないだろ。なんていうかさ、それなら知らない奴よりは俺の方がマシって、そういうことか?」

「ち、違うわよ!あんたみたいな甲斐性なしの童貞なら一緒に住んでてもどうせ手も出さないでしょうし、アンパイってだけのことよ」

「あっそ。で、いつまで嘘をつくつもりだ?一生、なんてくだらないこというなよ」

「それは今考えてるところよ。良案が見つかったら、こんな関係即日解消だから」


 今は同棲初日の夜。

 ワンルームの狭い部屋で二人、こうして歪み合いながら話をしている。


「まあ、お前みたいなクソ女に手を出すつもりなんてないよ。俺の童貞はもっと清い心をもった運命の人に捧げるさ」

「ふん。付き合ってる時だって部屋に行ってもびびって手すら繋いでこれなかった奴がよく言うわよ」

「なんだよ、期待してたのか?だったらそう言えよ」

「わかってよ、それくらい……」

「は?今なんて」

「あーもう知らない。とにかく私は寝る。あんたは廊下で寝なさいよ」


 そう言って、彼女は勝手に一つしかないベッドに潜り込んでしまった。


 怒って黙り込むと、もう彼女はそこから翌日まで口を開くことはない。

 それは昔から。よく知っている。


 だから俺は廊下に布団を敷いて、さっさと寝ることにした。


 今はまだ春だ。

 蒸し暑い部屋の中であいつと同じ空気を吸うくらいなら、廊下で静かに眠る方がマシだ。


 さっさと布団に入り、真っ暗な廊下の天井を見上げる。


 ……あいつ、俺にそういうことをしてほしくて部屋に来てた、のか?


 たしかに、どこかに行こうと言ってもリアラは部屋でゲームをしたいと、いつもそう言って俺の家に来ていた。


 いや、そんなの後付けだ。

 俺と別れた今だから、そんな適当が言えるんだ。


 俺の方こそ。

 そうしたかったのに。


 お前に嫌われたくなくて。

 できなかっただけなのに。

 

 

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