第9章 緊張と不快感

 私たちはまず、三階から二階に降りる階段を探してフロアを巡回していた。

 どうやら三階に一般客が入り込みにくくするために、階段はフロアの端の方に位置づいているようです。


 私は何も言わずに、シノさんの後ろを追従する。


 聞きたいことは山ほどあったけれど、いつ敵が現れるのかも分からない状態で安易に会話するのは避けたい。

 それに、私は自分の身だけ案じればいいのに対して、シノさんは敵との戦闘を一手に担っているのだ。これ以上シノさんの手を煩わせるわけにもいかない。


 先ほどの銃声とは打って変わって、外にいたギャラリーたちのざわめきが僅かに聞こえてくるだけで、銀行の中は不気味なまでに静かだった。


 そんな中、私たちは無駄な音を立てないようにしながらも、周囲への警戒にも細心の注意を払い、長い廊下をただただ突き進んでいた。


 今のところ何も起こっていないけど、何も起こらないからこそ、この張り詰めた緊張感が私の神経をすり減らしてくる。集中力や体力には自信があったのに、精神的な疲弊が尋常じゃない。


 前を行くシノさんを見てみると、疲れた様子は微塵も見せず、周囲を観察しては前進するという作業をただ黙々と続けている。


 頑張れ私、せめて足手まといにならないようにしないと……


 私が気合いを入れなおした、その時――


 ガダンッ


 何かが倒れる音。そして――


「はぁ、だ、誰か助け……げほ」


 大人の男性の悲鳴にも近いうめき声が聞こえてきた。しかも、ここからそんなに遠くない。


「隠れるぞ」


 シノさんは手短にそう言うと、近くのオフィスルームの一角に身を隠した。私も遅れないように付いていき、シノさんの隣で息を潜める。


 私とシノさんは、部屋の窓から外の様子をうかがった。部屋の窓際に植木が置いてあるので、向こう側からは見えづらいはずです。


 しばらくすると、左斜め向かいの部屋から人が出てくるのが見えた。


「――っ!」


 しかし、私はその凄惨な光景に息を飲んでしまった。


「何やってるんですか警備員さん、あなたが隠れてたら駄目でしょう?」

「うぁ、い、痛い痛い、うっ、ごめんなさい、は、離してください」


 出てきた人物は二人。


 一人は黒い長袖に黒いズボン。種族はビュームで、腰からは数丁の魔法銃がぶら下がっている。でもそれ以上に印象的なのは、顔を覆っているひょっとこ面でしょう。


 もう一人は警備員の格好をしたエルフの男性。先ほどの悲鳴はこの男性のものでしょう。よく見ると、右足のすねにナイフが突き刺さっている。


 ひょっとこ面の男は、足を負傷して動けないでいる警備員さんの頭を鷲掴みにして、引きずりまわしていたのだ。


「はいはい、これから死ぬ奴の言葉なんて、俺聞こえなーい。早く皆のところに逝きましょうねー」

「い、いやだ、ごめんなさい、ごめんなさい、ゆ、許してください」

「あはは、大の大人が泣くなよ」


 ひょっとこ面は、警備員さんが許しを請っている様を見下して、心からたのしんでいるようだった。


 ひどすぎる……


 きっとあのひょっとこ面が、今回の犯人グループの一員なんだ。早くあの警備員さんを助けないと……


 私はシノさんに、言葉を――


「助けないぞ」


 言葉をかける前に、シノさんは私に向けてそう告げてきた。


「っ、どうして!」


 私は小声ながらも強い口調で反論した。あのままではいずれ警備員さんは殺されてしまうかもしれない。でも今ならまだ助けられる……。だというのに!


「ひょっとこ面の後を追う。あのエルフを今すぐ殺さず、引きずってでも運んでいるくらいだから、どこかしら有用な場所にたどりつけるかもしれない。助けるのはその後だ」

「でも、あの人怪我して――」

「出血量もそこまで大したことないし、今すぐ死ぬほどの怪我でもないだろ」


 私の中で言いようのない嫌悪感が芽生えた。この人はどうしてここまで、非情に徹することができるのかと……


 確かに、あのひょっとこ面が人質のもとに警備員さんを連れて行ったり、仲間のもとで尋問したりする可能性はある。その場合、自力で捜索するよりも遥かに素早く敵陣を探ることが出来るでしょう。そしてそれは、安否の分からない銀行内の人々の救助に大きく関わってくる。


 けどそれは、果たして目の前で苦しんでいる人を利用してまですべき行いなのか……、あの人を助けながらも、効率よく捜索する方法があるのではないか……


 私はシノさんの指示に従うことになっている。シノさんが助けないと言ったなら、私は独断で彼を助けなければならない。それには責任が伴うし、もしそのせいで他の人たちの救助が遅れたりしては元も子もない……


 でも、私は――


「……もし、敵地が分かったら急いであの警備員さんを助けてください」 


 私は唇を噛みながらも、この場はシノさんの言う通り、ひょっとこ面の後をつけることにした。

 他の解決策を考えてみたけれど、どれも助けるメリット以上のリスクが伴うものばかりだったのだ。


「わかってる……。行くぞ、遅れるな」


 シノさんはそう言うと、身を低くしながらひょっとこ面の後を追いだした。私もシノさんのすぐ後ろに張り付くようにしながらついていく。


 しばらく尾行を続けると、先ほどから目指していた、二階へ降りる階段まで到達した。


 ひょっとこ面は、階段を下りる際も警備員さんを引きずり、警備員さんは痛みで悲鳴を上げる。


 正直、見ていて物凄く不快である。


 私はなるべくそれを視界に入れないようにしながら、階段を下りていく。


 二階に降り立つと、そこは三階とは雰囲気が異なる開放的な空間だった。無駄に豪勢なその内装には、所々に彫像が置かれていたり、噴水が設置されていたりもしている。


 そしてひょっとこ面は、どうやら通路の奥、一階と吹き抜けになっている広間に向かっているようだった。


 先ほどとは違い、遮蔽物が減ってしまった中でどう尾行していくんでしょうか。


 私がそう思っていると、シノさんから声を掛けられた。


「リリエル、お前は俺が出た二秒後にあの警備員の元までダッシュして、口を塞いで声を出せないようにしろ」

「――えっ?」


 私が疑問符を浮かべた瞬間――シノさんはあまりにも静かに、けれども、物凄いスピードで走り出し、ひょっとこ面に向かって突撃していた。


 ――そういうことか!


 咄嗟の事ではあったけど、私も言われた通りに、二秒後に警備員さんの元までダッシュし、彼が声を上げる前にその口を手で塞いだ。


「ごめんなさい、少し静かにしていてください」


 私がささやきかけた警備員さんは、何が起こったのか分からないといった様子だったけれど、幸いにして、大声で慌てふためくといったことはなかった。


 シノさんはというと、ひょっとこ面の背後に一瞬で回り込み、その無防備な背中にきれいな羽交い締めを決めていた。


 完全に技を決められたひょっとこ面は、しばらく足をばたつかせ、苦しそうにもがいていたけれど、やがて意識を失ったのかピクリとも動かなくなった。


 ここに乗り込むときもそうだったけど、さすがに判断が早い。シノさんは、このフロアでの尾行が困難と悟るや否や、機会を逃す前に警備員さんの救助に切り替えたんでしょう。

 私に二秒後に突撃するよう指示したのは、接敵するまでの間、敵に気付かれにくくするため、といったところでしょうか。


「あっちの陰に隠れるぞ、お前はその人を連れてこい」


 シノさんは銀行窓口の方を顎で示すと、ひょっとこ面を肩で支えながら、指した方に向かった。


 その人、どうするつもりなんだろう……


 そう思いつつ、私も警備員さんに肩を貸しながらそちらに移動を始めた。

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