コンビ始動編

第1章 とある日常と、果てしない後悔と

「リリエルちゃーん、朝ですよー」


 下の階からそんなモーニングコールが聞こえてくる。 


 私ももう15歳になったんだし、さすがにちゃん付けはやめてほしい……


 それに昨日は、明朝まで魔導書や歴史書を紐解いていたこともあって、寝不足なのだ。あと一時間は眠っておきたい……


 そんなぐうたらなことを考えているから、未だに母にちゃん呼びされるんだろうな……。と思いながらも私は、母からのモーニングコールを毛布に身を埋めることでシャットアウトする。


 すると今度は同じ階から――


「リリエルちゃーん。そろそろ起きてこないと、あなたの身を包んでいるであろうその毛布に、なぜか上級炎魔法のインフェルノが浴びせられることになりますよ」

 

 と、モーニングコールではなく、さっさと起きないと燃やすぞ!という脅迫が聞こえてくる。


 何が恐ろしいって、以前これと同じようなことがあったときそのまま起きないでいると、部屋のドアが開くなり、水魔法のハイドロカノンを浴びせられたことがあり、おそらく、いや間違いなく今回も本気で言っているはずだからだ。


 足音が近づいてくる。


 このままぬくぬくしていたいのは山々だけど、火葬されるわけにもいかないので、仕方なくベッドから床につ。


「はいはーい、今起きましたよー」


 そう声を上げつつ、なまった体を伸ばす少女。腰付近まで伸びた髪は寝起きで乱れているが、艶があるサラサラの金色。その双眸そうぼうは、世界を海と青空だけで構成したような純真の蒼色。僅かにあどけなさを残しながらも、その顔立ちは人形のように整っている。そして長く尖った耳は彼女、リリエルがエルフであることを示していた。


 私はカーテンを開け、朝日を一身に浴びた後、寝間着から普段着である丈の長いライトブルーのワンピースに着替える。


 ドアの向こうに人の気配は無い。おそらく母は私が起きたと分かるなり、一階に朝食の配膳に戻ったのでしょう。


 二階建ての屋敷は、エルフ市街のすぐ外にある森の中に点在し、一フロア十部屋ある宿くらいの広さを有している。

 そこに私は母親と二人で暮らしているわけだけど、なぜそんな過剰な広さの屋敷に住まっているのかというと、その理由は私の母の仕事にある。


 リビングに入った私は、十数人座れそうな長机の、パンとスープが置かれている席につき、いただきますと呟いてから朝食をとる。


 部屋の壁に魔法で射影された、国政に反対するレジスタンスのニュースを流し見ていると、隣の部屋から年齢の割にはかなり若々しい、ショートヘアの女性エルフがリビングに入室してきた。この人が私のお母さんのスズランである。


 お母さんは慌ただしくも身支度を済ませ、あとはいつも通りにパンをくわえて職場に赴くところだった。


「今日は晩ご飯作ってたほうがいい?」


 それに対し、お母さんは眉をひそめ申し訳なさそうに応える。


「ごめんね、愛娘まなむすめの愛情料理は食べておきたいけれど、今日はエルフ専用の魔法学校に反対するク〇ジジィ竜人どもとの会談があるのよね。多分帰りは深夜になると思うから外で済ませてくるわ」


 そのごめんねはきっと、今日一日だけのことを指しているのではないのでしょう。


 お母さんの仕事は、つまるところ国の官僚なのである。エルフの人口約二十億人のうちわずか五名しかなれないこの仕事は、その人員からは想像も出来ないほどの膨大な仕事がある。

 だから今こうして母と顔を合わせていることさえも、二日に一回あるかないかという頻度なのだ。


 この屋敷は、転々とする母の勤務先に合わせて建てられた別荘の一つであり、ここ自体を重要な会談場にするために、通常の生活空間以上に大きく造られているのである。


 多忙な母に付き添う中で、私は通っている魔法学院に毎日行けるはずもなく、母の仕事に振り回される日々を送っている。


 だけど――


「気にしないでよ。それに今日は街の大図書館に籠るつもりだったから、ちょうど良かったよ」


 私は心中を表すために、満面の笑みを返した。


「はぁ~、なんて出来た娘なの。私が男だったら、間違いなく脳死で押し倒してたわ」

「お巡りさーん!ここに未来の強姦犯がいます!!」


 まぁ、仕事に忙殺される中で、こんな変態になってしまった母だけれど、それでも、私の事を大切に思ってくれている母が大好きだったし、この国指折りのエリートであるその敏腕ぶりには尊敬もしていた。

 だから、母と暮らす日々は確かに大変だったけど、それを苦に思ったことは一度もなかった。


「それじゃお母さんもう行くけど、一人でもしっかりやるのよ?」

「何を今更、いつものことじゃない」  


 自慢げに言ってみせたけど、今朝一人で起きれていない私に、お母さんは微笑しながら――


「ああ、それとね、押し倒すことはしないけど、お母さんはリリエルの事、世界で一番愛してるからね」


 そんならしくもないことを真剣に言ってくる。


「えっ!?いきなりどうし、いや、あっ、うん。あ、ありがとう……。ていうか早くしないと遅刻するよ!」


 私は反射的に目を逸らしながら、照れ隠しのためにお母さんを玄関に押しやり、「いってらっしゃい!」と口早に言い、そのまま有無を言わさずに家から追い出した。


 まったくもう、急にどうしたんだろう……


 ――この時、私はこれがお母さんとの最後の会話になるなんて、思ってもみなかった。

 

 ああ、どうして……


 あの時、私も大好きだよって言えなかったんだろう。

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