第8章

第1話 吉谷、世話を焼く


「有住っ!どうしたのその足!」


 年が明けての登校初日、教室の入り口からクラスメイトの驚きの声が聞こえてきた。

 有住、という言葉に反応して振り返ると、確かに有住がそこにいて、その姿でクラスメイトが驚いた理由が分かり、慌てて駆け寄る。


 登校して来た有住は、足首に包帯が巻かれていて、松葉杖をついていた。


「えー、何、どうしたの有住、大丈夫?」

 心配そうに洋ちゃんが学生鞄を受け取り、背中に手を添える。

 私も傍に付き添って、有住の机の椅子を引いてあげた。


「えへへ、冬休みにジョギング中、ぼーっとしてたら段差で転んじゃってさ。捻挫だって。何だか恥ずかしいね。こんな大げさな恰好になっちゃって」


 やっぱ今日は休めば良かったかな。

 ぼそりと呟く有住は本当に恥ずかしそうにしながら、松葉杖と自身の足を交互に見つめている。


「松葉杖自体は数日でいらなくなるみたいなんだけどさ」

 ふへへ、と困ったように頬を掻く有住の周りには、心配したクラスの皆が集まり、ちいさな人だかりができあがる。


 有住が怪我をした。

 しかも私が見ていないところで。


 その事実に衝撃を受け、有住の制服の裾を摘まんでそばにしゃがみこむ。

「ありずみぃ~……」

「ちょっ、な、なんであんたが泣きそうになってるのよ……」


 だって、有住が足を怪我したのだ。

 改めて見た足の包帯と松葉杖が痛々しい。


 思わず有住の足をさすると、「こら」とさっちゃんに小突かれた。


「それ、修学旅行までには治るの?大丈夫?」

 さっちゃんが気遣うように確認する。


「ありずみがいけないんだったらわたしもいかない……」

「こぉら、吉谷、そんなこと言わないの。でも、うん、それは大丈夫だってお医者さんも言ってた。ただ今週中は安静にしないといけないけどね」


 お母さんにも暫くはジョギング禁止って言われたし、とぼそりと有住が呟く。

 大晦日のメッセージのやり取りといい、どうやら冬休み中、かなり走り込んでいたらしい。正月太りどころか、少し痩せたみたいだし。身体にもきっと疲労が溜まっていたんだと思う。


「そっか。まぁ、それならこっちもサポートするし、すぐ助けるから言ってよ」


 やっぱりさっちゃんは頼もしいなぁ、隣で見ていてそう思う。

 対して私は、先ほどから有住の横にしゃがみこみ、怪我をした本人からなだめる様に頭を撫でられている。


 慰められる立場、逆なんだよなぁ。

 こういう時、有住のために動けるようにならないと。

 でもどうしたら良いんだろう。



 ショートホームルームの時間になり席に戻りながら、無い頭を使って考える。

 有住だって、普段しっかりしているけれど女の子だ。

 普段から私だけが一方的に面倒を見られているわけにはいかない。

 まずは怪我をしている有住の為に何ができるだろうか。


 足を捻挫しているってことは、主に移動もだし普段の生活もままならないよね。

 ……いっそのこと、一緒に住んじゃう?


 いやいやいや、まだそれは早い。それはもうちょっと関係が進んでから…。

 っていうか、そもそもまだ付き合ってないし。

 ついつい気が緩むと、有住のことを考えて顔がにやけてしまう。

 まだ告白自体していないのに。


「吉谷さん、吉谷さーん」

 うんうんと唸っていると教卓の方から、担任の先生の声が聞こえてくる。

 ばっと顔をあげると「いま私、大事なお話してたんだけど聞いてたかな?」と問いかけられた。


「わ、わたしもいま、じゅうようなことをかんがえていてきいていませんでした……」

 途端に先生が頭を抱える。


「あーもうっ! 2週間後の修学旅行についての周知事項とか、進路調査に関してのお話をしたので、後で相棒の有住さんから聞いておきなさいっ」


 どっ、と教室が笑いで包まれる。

 私の斜め前に座る洋ちゃんは、わざわざ私の方を振り向きこちらを見ながら、ぷぷぷっと口を押えて笑っている。


 それ全然笑いをこらえられてないからね。


 ああもう駄目だ。

 有住の役に立ちたいのにこんなんじゃ。

 私がしっかりするしかないんだ。

 机の上で拳をぎゅっと握りながら、私は強く決意した。




「有住、移動教室、私が教科書持つよ」

「有住、私が椅子引くからちょっと待って」

「有住……」


 散々考えた結果、私が出した結論は、兎に角とにかく有住の傍に居て世話を焼く、ということだった。

 休み時間の度に有住の席の傍に行き、足は痛くないか、何かして欲しいことはないかを確認する。


甲斐甲斐かいがいしいねぇ」

 今日も移動教室での階段の上り下りを、有住の身体を支えてサポートしていると、横でさっちゃんが茶化してきた。

 その手には私の教科書を持ってもらっている。有住の教科書は洋ちゃんが持ってくれていた。


「みんなごめんね」

 申し訳なさそうにする有住に「私達がしたいからしてるんだよ」と返す。

 そうすると、少し恥ずかしがりながらも「…ありがと」と答えてくれた。

 その恥じらう姿が、可愛いなと思う。


 支えるために触れた身体から、有住の体温がじんわりと伝わってくる。

「あ、有住もしかしてちょっと汗搔いてきた?」


 高くなった体温と触れた感触で気づき、ついでにくんくんとその首筋に鼻を寄せて匂いを嗅ぐと、何故か有住と洋ちゃんとさっちゃんの3人に頭を叩かれた。


「あ、あ、あんたねぇ……」

 一体何で怒られたんだろうか。




「あ、私ちょっとお手洗いに行きたい」

「私もー」

「じゃ皆で寄るか。有住は急がないでいいからね」

 さっちゃんが気遣い、有住がはーい、と返事をする。


 そうやって皆でぞろぞろと女子トイレに入り、そしてそれぞれが個室に入ろうとした時だった。


「えっ、あ、え、ちょっと待って、吉谷」

「ん?」

「ん、じゃなくてっ!……な、何で一緒に個室に入って来たの?」


「え、何でって……」

 不思議に思いながら、首を傾げる。

「手伝うためだけど?」


 両隣の個室の中で、さっちゃんが呆れた様に溜息をつき、洋ちゃんが爆笑している声が聞こえる。


 目の前にいる有住はというと、顔を耳まで真っ赤にしながら「そんな手伝いいらないわよっっっ!!へんたいっ!!!」と叫んで追い出されてしまった。


 気遣いって、なかなかうまくいかないものである。





 そんな感じで、終始学校では皆で有住のサポートをし続け、1週間後にはほとんどひとりで歩けるように回復していた。


「っはぁーー、健康って大事」

「凄い実感こもってるねぇ。はい、あーん」


 洋ちゃんが摘まんだ卵焼きを有住の口に放り込む。

 この1週間で、何となく皆、有住を甘やかすのが板についてきてしまったみたいだ。


 そうとは知りながらも、有住との距離が近い洋ちゃんを見て、さっちゃんの方をじとりと見る。

『いや、大丈夫だから。洋ちゃんのはあれは違うから』

 と目で答えられるけど、どうしても有住を取られた気になってしまう。


「駄目だ。こんな甘やかされちゃ。もうほとんど完治したんだし」

 突然、ぶるぶると有住が頭を振り、その場で立ち上がる。

 普段からしっかりしている分、皆から心配されて世話を焼かれていることへの罪悪感もあるんだと思う。


「みんな本当にありがとう。吉谷も、いっぱい助けてくれてありがとうね。嬉しかったよ。これからは、もう流石に大丈夫だから」

 皆を見渡し、最後に私の方を向いて微笑んだ有住に、ううん、いいんだよ、と首を振る。


 本当に、良いのだ。

 だって。


「有住のことが好きだから、こんなに心配で色々したくなっちゃうんだもん。また困ったら言ってよ。私が有住を守るよ」

 ぎゅっ、と両手を胸の前に持ってきて拳をつくる。これが今の私の、精一杯の気持ちだった。


「うぐっ」

「あらあら」


 有住は目を見開いて「あ、ありがとう……?」と何故か疑問形で返事をする。


 さっちゃんは固まっている。

 さっちゃんのお箸からおかずが落ちてまた弁当箱の中に転がったのを、「あらあら」と洋ちゃんが横からさらっていった。


「ちょぉ、洋ちゃん、おまっ」

 隣でさっちゃんと洋ちゃんが取っ組み合いを始めたのを横目に、有住がもごもごと口の中で何かを呟いている。


「……さらりと好き、とか言わないでよ。あんたは何とも思って無いんでしょうけど」

「?」

「……もういい」


 そうして少し元気が無くなった有住は、後は黙々とご飯を食べ始めた。

 有住の気持ちはよく分からない。

 女心と秋の空ってやつか。私も女の子なんだけどなぁ。よく分かんないや。


 けれど、ようやく何も気にせず修学旅行に一緒に行ける様になったんだ。

 それが凄く嬉しくて、楽しみで楽しみで仕方が無い。


 3泊4日の京都旅行は、もう来週に迫っていた。




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